02話 俺の夢は

 俺はもう長いこと、趣味で小説を書いている。初めて自分の言葉で世界を描き出したのは確か小学生のときだ。もちろんその頃はまだ、昨夜見たアニメの主人公が自分だったら、なんていう他愛もない物語で、今読むと全く支離滅裂としか言いようがない。


 ただ俺にはそうして物語を書くのが性に合っていたようで、中学生になってもそれは続いた。ノートにびっしりと不揃いな汚い字で書いた物語は、やがてオリジナルのキャラクターが動き出すようになり、大学生になった今、PCの中ではありとあらゆる出来事が起こる。


 初めは人に読んでもらえるのが嬉しくて、人気のジャンルでテンプレ通りの話ばかりを書いていた。けれどそのうちに俺が書きたいものは違うのではないかと思い始めて、今は違うタイプの物語に挑戦している。何度か有名な出版社が主催する文学賞にも応募してみたが、一次選考すら通過したためしがない。


 何度も心が折れそうになったが、考えようによっては小説を書くのにリミットは無い。一生、俺が書き続ける限り終わらない。俺はそう思い直してただひたすらに小説を書き続けている。講義やバイトの合間、少しでも時間があればスマホやPCに書き溜める。それが無理ならノートの端でもメモ帳でもいい。小説のいいところは自分の頭と紙とペンさえあればいつでも書けるところだと思う。



*****



 昨夜遅くまで小説を書いていたせいで、今朝は危うく寝坊するところだった。俺は慌てて部屋を飛び出し、駅まで徒歩十五分の道を八分で走り、急行電車に飛び乗った。教室に入り、席に荷物を置くと、後ろから声を掛けられる。


宥生ゆーき、おはよう」


 高校の同級生でもあった大野伊織おおのいおりの声だ。


「おう、おはよう」


 俺が振り向くと、伊織が俺の隣に荷物を置くところだった。伊織は俺の顔を見て笑う。


「ゆーき、寝癖がひどいよ。いまどき小学生だってそんな寝癖のやついないだろ」


「あ、マジで? ――朝、時間なくて」


 俺は自分のつむじのあたりを手で探る。伊織は自分のバッグをゴソゴソかき回すと、ニットキャップを取り出し俺の頭に被せた。


「とりあえずこれでも被っとけ」


 そう言って伊織が俺の髪をキャップの中に押し込み、よし、と呟く。俺は自分の頭に被せられたキャップを無意識に撫で、ようやくたった一言を絞り出した。


「……ありがとな」


 ごく自然に、動揺は隠しきれたはずだ。内心は、伊織の匂いが俺の鼻をくすぐって、寝癖どころじゃなかった。意識するとその匂いはますます強く感じられて、落ち着かなかった。昔から、俺は伊織のそばにいると時々妙に照れくさくなることがある。


 いつからなのか、はっきりとは思い出せないが、高校二年の夏には、俺は伊織を意識していたと思う。午後の教室で、同級生達はうるさく騒いでいた。誰かが伊織にぶつかって、あいつは鼻血を出した。


 大したことではなかったが、垂れた鼻血がシャツを汚したのであいつは鼻を押さえながらシャツを脱いだ。同じサッカー部にいて、あいつの裸は何度も見ている。俺よりは小柄だが、特に線が細いわけでも色が白いわけでもない。普通に筋肉のついた日に焼けた男だ。それなのに、その時俺はなぜか伊織を直視できなかった。


 そんなことが何度かあった。伊織が何気なく着替えたり、隣に座ったりするたびにどういうわけだか俺は妙に落ち着かない気分になった。俺はゲイなのかと思いもしたが、伊織以外の男にはこんな風になったことはない。妄想のオカズだっていつも女性だし、第一その時俺にも伊織にも彼女がいた。だから俺はたまたま性欲が誤反応したのだと自分に言い聞かせた。時間が経てばいずれそんな出来事があったことすら忘れるだろうと。


 そして何の因果か、俺と伊織は同じ大学に進学して今に至る。まさか専攻まで同じとは、俺は何かを試されているのだろうか。


 伊織はもともとコミュニケーション能力が高く、顔も良い。年よりも少し幼く見える顔立ちに、身長は百七十八センチとスタイルもいい。俺が知る限り、あいつにはいつも誰かしら言い寄って来るから、彼女が途切れたことは無い。今も新入生で一番可愛いと噂の女子と付き合っている。


 俺はと言えば、人と話すのが苦手で、自分から話しかけることはないし、飲み会などに参加する暇があれば小説を書きたい。流行りの髪型も服もいまいちよくわからないから、いつも代わり映えのないジーンズとTシャツのローテーションだ。寒くなればその上にスウェットを着るだけのこと。高校から身長が伸び続け、百九十を超えたあたりから服選びもなおさら面倒になった。


 そんな俺にもたまには興味を持つ女子がいて、何人かと付き合ってきた。だがその全員が、そのうちに俺に愛想を尽かして離れていった。いつの間にか近づいて来て、いつの間にか離れていく。俺はただそれを黙って見ているだけだった。


 静かに本を読んで過ごすのが好きな俺は、付き合って楽しいタイプの男ではないだろうという自覚はある。どこに行きたいかと聞かれれば本屋か図書館、たまに財布に余裕があれば映画館だ。初めのうちはそれでも良いと言う子も、そのうちに飽きてきて自然消滅というのがいつものパターンだ。


 本というのは意外と高い。発売されたばかりの新書にはなかなか手が出ない俺は、本屋で読みたい本をチェックしては図書館でそれを借りるのが常套手段だ。だがそんな俺も、毎月必ず発売日に買う本がある。


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