005 『死神』

 



 メアリーが落ちたのを確かめると、マグラートはポケットから縦長の機械を取り出した。


 携帯電話というやつだ。


 魔術師なら、充電せずとも魔力を与えてやるだけで使える優れものである。




「こんなとこまで電波が届くとはなァ、魔力で増幅してんだっけ。魔導科学サマサマってヤツだ」




 マグラートは近場の木にもたれると、耳に当てた端末から発される着信音を聞き、コツ、コツ、コツ、とつま先で地面を叩く。


 相手は、意外に早く通話に出た。




『……誰だ?』


「あ、ドーモ、ロミオ子爵で良かったかな? 俺、マグラートだけど」


『マグラート? 父上が雇った例の殺し屋か! どうだ、フランシスとメアリーは仕留められたか?』


「フランシスはきっちり殺したよ。メアリーは死神の谷に落ちたんで、さすがに死んでるんじゃねぇーの?」


『そうか、それは何よりだ。半端に生き残られたんじゃ、僕の命が危ないからな』




 電話の向こうのロミオは、ほっと胸をなでおろしたようだった。


 だがすぐに、神妙な声でマグラートに尋ねる。




『なあ、マグラート。一つ確認したいことがある』


「仕事外のことは答える義理はねーなァ」


『仕事に関係することだ。お前は僕の父に雇われたんだろう?』


「まあ、そうなるな」


『だったら、なぜ父上がメアリーを殺そうと思ったのか聞いていないか? プルシェリマ家と協力したことも含めてだ』


「最初からそのつもりだったんじゃネーの?」


『違う。彼女は僕と結婚するはずだったんだ。思惑があって、父がそう決めた。それがパーティー前日に計画変更でこれだぞ? 父上と仲が悪いはずの国王まで登場して、いくらなんでも急すぎる!』


「んー、気分? なんか殺したくなったんじゃねーの。俺もよくそういうことあるからさァ、あははははっ!」


『真面目に答えろッ! お前は今、スラヴァー家の跡継ぎと話しているんだぞッ!?』


「いやあ、俺さ、貴族とかそういうのキョーミ無いんだって。信じてるもんが違うからさァ。つーワケで、仕事も終わったしこれでお別れだ。ジャーナ」


『お、おい待てまだ聞きたいことがッ!』




 ピッ、とあっさり通話を切るマグラート。


 そして彼は端末を投げ捨てると――それは地面に落下することなく、空中で潰され、破壊される。




「さて、パーティーも終わったことだし帰りますか」




 両手をポケットに突っ込んで、マグラートはその場を立ち去った。




 ◇◇◇




 メアリーは闇の中にいた。


 目を開いても閉じても真っ暗で、ただ“熱”と“腐臭”だけが体を包んでいる。


 ぱっと浮かんだのは――“地獄”という言葉だった。




(私は、地獄に落ちたんですね。当たり前です。無能で、役立たずで、お姉様の死体を前に何もできなかったんですから)




 諦め、瞼を下ろす。


 しかし焼けるような熱は、なかなか彼女を寝かしてはくれなかった。


 しぶしぶ瞳を開けていると、次第に目が暗闇に慣れてくる。


 ぼんやりと浮かび上がるのは――覆いかぶさるように自分の上に乗った、フランシスの亡骸だった。


 メアリーは、両腕でその体を抱きしめようとしたが、うまく動かせない。


 死体から突き出した骨が、腕と肩に突き刺さっているらしい。


 全身にある痺れたような感覚は、骨に突き刺さったことによるものらしい。


 背中や脚にも、何箇所もその感触があった。


 また、落下の衝撃で内臓がいくつか傷ついているのか――呼吸のたびに血の匂いがする。




(……やだなあ。これ、私、まだ生きてるんですね)




 声を出す元気すらないが、どうやら死後の世界などではないらしい。


 いっそ死んでいたほうがマシだと思った。


 だって、意識が鮮明になるにつれて、全身の痛みがじわじわと蘇ってきたから。




(でも、寒い。命が、体から流れ出ている感じがします。あと少しで、死ねるはずです。ほんの少しの辛抱です)




 どうせ抗ったところで、この数十メートルの崖は登れない。


 メアリーは命を放棄して、ぼんやりとした目で空を見上げた。


 星々が、まるで憐れむように、彼女を見下ろしている。




(結局、私は、何者にもなれませんでした。それどころかお姉様の命まで使わせて――マイナスでしかない。最初から、生まれないほうがよかったんです)




 走馬灯のように蘇る過去の記憶を評価しても、やはりそんな答えしか出ない。


 何か、せめて一つでも、あのマグラートという男に報いることができたら、変わったのかもしれないが。


 ロミオもそうだ。結果として、フランシスを殺したのは彼なのだから。




(消えてしまいたい。このまま苦痛の中で、死体に埋もれて死んで、誰にも気づかれずに無になってしまいたい)




 際限なく沈んでいく気持ち。


 もはやそれを止める術もなく、意識も一緒に消えていく。


 そう思っていたメアリーがまばたきをすると、次の瞬間、目の前に黒いローブを纏った何者かが現れた。


 体のラインからして女性だろうか。


 そいつはふわふわと浮かんで、静かにメアリーを見下ろしている。




(……死神。ああ、そうでしたね、ここは死神の谷です。死者を迎えに来るために――本当に存在していたんですね)





 その“死神”はメアリーの体に手をのばす。




(どうぞ。どこでも、好きな場所に連れていってください)




 彼女は身を委ねる。


 そして、死神の指が胸元に触れ――ずずず、と体の中に沈んだ。


 どくん。


 体の内側、冷たくなりつつあったその”芯”から、急に熱が噴き出す。


 メアリーは目を見開き、体をびくんと震わせた。




(死神が……入って、くる……!?)




 なおも死神は彼女の中に沈んでいく。


 腕のみならず、体も、脚も、ローブでさえも、”貫通”するのではなく、”中”に入り込んでいくのだ。




「あ……ああっ、熱いっ……! 何かが、私の中で燃えてるっ! 体がっ、あつ、熱いいぃいいいッ!」




 まさに地獄の業火に焼かれるような、どろどろとした熱が、体の奥から溢れ出して、指先にまで満ちていく。


 声すら出せなかったメアリーは、呻きながら、その”未知のエネルギー”に翻弄される。


 そして、死神の全てが彼女の体内に収まると――




「あぁぁぁああああッ! あ、オ、オォオッ! グ、ガアァァァァァァアアアアアアアアッ!」




 怪物のような、正気を失った叫び声と共に、メアリーの体が変異する。


 胸元がボコッと膨らみ、皮膚を突き破って出てきたのは、白骨化した動物の頭部のような何か。


 それは真っ先に、近くにあったフランシスの死体に食らいつき、噛みちぎり、嚥下する。




(お姉様の体が、噛まれて、潰れて、壊れて……ああああっ! 私の、一部に……!)




 飲み込んだ口とメアリーは繋がっている。


 つまり、食らった死体は、彼女の血肉の一部となるのだ。


 さらに沢山の“口”が胸を突き破って外に出てくる。


 獣どもは首を伸ばし、周囲にある死体を片っ端から食らっていく。




「私の中に、私じゃ、ないもの、が……あは、あははっ! あはははははははっ! 入ってきますっ! そうだったんですねぇ! 私、やっと、空っぽじゃなくなるんですねっ! 熱い、熱い、熱いっ! 頭がぐちゃぐちゃになるぅっ! ぐちゃぐちゃでっ、お姉様も一緒! 一緒! 幸せえぇぇぇ! あはははははははっ!」




 狂気に染まった表情で、メアリーは壊れた笑い声を響かせた。



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