ソード・オブ・アジュディケイター  剣神の裁定者

山本アヒコ

第1話プロローグ

 少年はスラム街の片隅で倒れていた。先日の雨で地面はぬかるんでいる。うつ伏せで地面へ頬を着けているため、顔は泥でひどく汚れていた。それなのに少年は動かない。

 少年は動かないのではなく、空腹が限界に達してしまい動けないのだった。

 少年が倒れている場所は、かつてはスラムではなかった。国のなかでもそこそこ大きな都市だったのだが、戦争がこの場所をここまで破壊してしまったのだ。

「うう」

 少年のまぶたがほんの少しだけ開いた。見えた瞳に意志の力はなく、不確かに左右に揺れるだけだった。

 靄がかかったように全ての輪郭がおぼろげな視界のなかで、あるものを少年は見つけた。

 石で作られた小さな祠だ。高さは少年の胸ほどで、石に紋様なのか文字なのかわからないものが彫られている。保護するための木製の屋根があったのだが、破壊されて跡形もない。

 少年はうつろな思考のなかで、何かの神様に祈るものだったことを思い出す。

 少年は祈った。「助けてほしい」「お腹がへった」「どうして自分がこんな目に」死の淵にいる少年が何を祈ったのか、自分でもわからなかった。

 そして少年の姿は突然にその場所から消えた。




「何か来たと思ったら、汚ねえガキか」

 紫色の小さな花が咲き乱れる丘には不釣り合いな大男だった。髪の毛は肩より長く波打っている。眉は太く彫りの深い顔は、幼い子供なら見れば泣き出してしまいそうな凄みがあった。肩幅があり首も腕も太く、見るからに強靭な筋肉を持っていることがわかる。

「ううん……」

 大男は指でアゴを擦りながら、紫の小花のなかに倒れる少年を見る。それはスラムの片隅で死にかけていた少年だった。

「まあ久しぶりの客だしな。何年ぶりなんだっけかなあ」

 大男は少年をまるでネズミを捕まえたかのように指でつまみ上げると、そのままどこかへ運んでいった。




「お前、そろそろ出ていけ」

 その声に少年は続けて振ろうとした剣を停止させると、顔だけをそちらへ向けた。前髪が目を半分ほど隠している。

「わかりました」

「はっ。理由も聞かずにいいのか?」

 少年の答えに大男は笑う。

「……なんとなく、もうここを出ていくときかなと思うので」

「なるほどな。ここはそういう場所だから、そう感じるってことか」

 少年は構えていた剣をゆっくり下ろす遠くへ目をやる。この場所は緩やかな丘を一望できる場所だった。見渡す限り、紫の小花が咲く美しい景色だった。

「……この場所をもう二度と見ることはできないのでしょうね」

「今すぐ出ていけってわけじゃねえ。こっちにも準備があるからな」

「……一手、お願いできますか」

 少年は大男へ向くと剣を構えた。すると大男は歯を見せて笑う。人ではなく猛獣の笑みとしか思えない。

「いいぜ」

 しかし大男の腰には鞘だけしかなく、なぜかそこに剣は無かった。

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