第37話 夜明けとともに

 ミレーヌは額に浮かんだ汗をぬぐった。

 ふと横を見て、茫然としているオルランドに気がついた。

 何事にも動じない子だと思っていたのに、口を開けたまま表情がない。


「あら? どうかしましたの?」

 大丈夫? と心配そうにのぞかれて、オルランドは乾いた笑みで思わず後ずさった。


 恐ろしすぎる。

 このほのぼのとした雰囲気に惑わされてはいけない。


 ミレーヌに対する言動から双剣の使徒でも若い娘には甘いと勘違いしていたが、ガラルドへの攻撃は魂が凍えそうなほど怖かった。

 世界最強の英雄をコテンパンにやっつけるなど、ただものではない。


 そして自分もミレーヌからの攻撃を受けたら、ああなると予感があった。

 思わず心の中でいくつか魔除けの聖句を唱えてしまう。

 神様なんて信じていないが、頼りたくなる時が誰にだってあるのだ。


 当のガラルドは起きあがったものの、相当恐ろしかったらしく何やらしょげている。

 魔物と対峙した時の威風堂々としていた姿はどこにもなかった。

 たそがれるだけの悲しい背中である。

 気持ちはわかると思いながら、オルランドは指先で地面にのの字を書いた。


 僕、これからどうなるんだろう?


 牢屋に入れたら、楽なんだけど。

 ミレーヌはオルランドの身元引受人になると、少し前に嬉しそうにしていた。

 本気の予感がして怖い。


 もちろん冗談じゃないけれど、あの強烈な攻撃を見た直後であるし、恐ろしくて反抗できない。

 厄介な者たちに手を出したと後悔するばかりだ。


 渓谷の先で声がして、遠くから警備団が事後処理にやってくるのが見えた。


 遠巻きにしていた五人は目配せをしあって、何もない普通の顔を装った。

 ついさっき目の前で起こったことは、記憶の奥に封印すると決めていた。


 あれこれ言及しないことが、幸せなのだ。

 とりあえず、すべてうまく片付きそうだといいほうに考える。

 コホンと小さく咳をして、そっと切り出した。


「彼らに引き継げば、そろって皆で帰れますよ」


 そうですわね、とミレーヌは額の汗をぬぐってうなずいた。

 晴れ晴れとした微笑みである。


「ミレーヌ様、そこの面倒な人にオムレツでも作ると約束してくれませんかね?」

 こそっとデュランに耳打ちされて、フフフとミレーヌは笑った。

 理由があるとはいえ無理に考えを曲げさせたのだから、それに見合うご褒美は必要だろう。

 なんだかんだ言いつつ、ガラルドのことをよくわかっているミレーヌだった。


「もちろんですわ! 朝のお楽しみですもの」

 静々としょげている背中に歩み寄る。

「ガラルド様」と優しい口調で呼びかけた。


「帰ったら大好きなオムレツをたくさん召し上がれ」


「大きな仕事の後ですし」と確約したら、コロッとガラルドは機嫌を直した。

「そうか?」なんて立ち上がって笑っている。

 実に切り替えの早い男である。


 あの直後で笑えるのか~と、つい白い眼でオルランドは見てしまった。

 ミレーヌは先程のフライパンでの打撃を忘れたように「これほどの魔物を討伐するなんて強いんですのね」なんてガラルドをおだてている。


 もちろん、ミレーヌはずっと中庭に吊るされていたので、英雄らしく活躍している現場は見ていない。

 だが魔物の残骸や渓谷の一部が真新しい岩肌を見せているので、ガラルドの奮闘ぶりを推し量るのは簡単だった。

「そうか?」なんてさらに機嫌よくなるガラルドの単純さにあきれながらも、オルランドは首輪を気にしていた。


 すぐそこまで来ている騎士団で編成された警備隊に引き渡されるなら、東の国の法律にのっとった裁きを受けることができる。

 一週間かそこらで解放されるのだから、どうにかしてあちらに自首したいと知恵を巡らせていたら、甘いぞと耳元で小声でささやかれた。


「お前だけは黒熊隊預かりだ。オルランド」


 ギョッとして逃げようとしたら、ヘッドロックされた。

 ニヤニヤとキサルが笑っている。


 いつのまにか双剣持ちの五人に囲まれていた。

 近くにいるミレーヌに聞こえないように、それぞれが小声でささやきかける。


「俺たち全員でかわいがってやる」

「心配するな、殺しはしない」

「ほんのちょっと遊ぶ程度だ」

「まぁ逃げられると思うな」


「そういや、この小僧。片手剣でも飛燕剣舞を出したぞ。見よう見まねのくせに、器用だった」


 ラクシがニヤニヤしながら報告した。

 飛燕剣舞とは奥義技の一つである。

 へぇと全員が破顔した。


「そりゃ見込みがあるじゃないか」

「教えなくっても盗むぞ、こいつなら」

「今のままでも充分役に立つしな」

「若いのを探していたから手間がはぶけた」

「どうせ保護観察だしな。それも流派預かり」

「お前を引き取る名付け親が、ミレーヌ様で本当によかった」

「あんたたち、まさか……」


 勝手に話を勧められているが、双剣持ちに仕込む気だ。

 このままでは本当に一生逃げられない。


「嫌だ! 僕はまだ未成年だぞ!」

 衝動的に叫んだが、誰も聞いてなかった。


「忘れっぽい大将には財布や時計が必要だから、ちょうどいいな。なんせ、こいつは機転がきく」

「そうだな。財布なら、年齢は関係ないし」

「バ~カ、財布は小さい方が携帯しやすいから、おあつらえだろ?」


 オルランドは口を開けたまま声を失った。

 それはガラルドの世話係ではなかろうか。


 チラリ、と大きな姿に目をやった。

 英雄談の正しさは、遠くから見る姿だけだった。

 あんな自分勝手な我儘で奔放に暴れる生き物をなだめ、時間通りに動かしたり持ち上げてうまく使うことなど、ものすごく大変な作業だ。

 勘弁してほしいと青ざめた。


「早期の見習い万歳だな。そのうち副隊長の候補生ぐらいには格上げしてやるから、お前の今まで無駄に垂れ流してきた知恵をあの熊のために使え」

「いいな、それ。成人したらそのまま副隊長にしてやるから、日々精進して励めよ」

「そうだそうだ。あれだけたくさんの魔物を操り、こんなでかい要塞を一人で仕切り、俺たちまで引っ張り出したんだから、お前ならそのぐらいできる」

「大将を操るぐらいわけないさ」

 全員から「頑張れ」と妙な励ましを受けた。


「あんたたちが面倒なだけだろう?」

 恨みがましい顔でぼやくと、それぞれがあらぬ方を見はじめる。


「ン? まぁいろいろと忙しいからな」

「大人はやることが多いんだよ」

「そうそう。俺たちは現場に出るから、大将に付き添うのはムリだ」


 それぞれが言い訳がましい言葉を吐く。

 それにガラルドの側で世話をできる者が、これだけの面子をそろえているのに誰もいないのだから仕方ない。


 だいたい止めようが、なだめようが、説得しようが、全て無駄だ。

 これまでも振り回されて終わりだった。


「お前にはミレーヌ様がついているじゃないか」

 二人で協力した先程の見事な足払いに、今後も期待すると誰もが真顔だった。


「お前はミレーヌ様の弟扱いだ。名付け親を最大限に利用すればいいだろう?」

「そうだぞ。だいたい、犯罪者じゃなくて、東流派のお偉いさんになれるせっかくのチャンスだろ? ありがたく思えよ。一生、尊敬される」

「それに、いたずらして回ったのは生きているのが退屈だったからだろう?」

「ガラルドといれば日常だけでスリルとサスペンスだ」

「あの熊がしでかすことは並みじゃないから、退屈なんてする暇もないぞ」


 よかったよかったとそれぞれが大きな仕事を成し遂げた顔をしているので、オルランドは握りこぶしを震わせた。


「大人ってどこまでも汚いよな!」

 アッハッハッと笑い声が弾けた。

「お前ほどじゃないさ」


 いくつもの手が伸び、頭をくしゃくしゃとかき回される。

 それがあまりに優しい手だったので、普通の少年のような顔で、思わず途方に暮れてしまう。

 オルランドは手も足も出ないと思いながらも、自分より強い連中の中でいじられるのは、想像よりも悪くなかった。


「皆様、帰りますわよ!」

 朗らかな声が響いた。


 ニコニコと笑うミレーヌに「素敵でしたわ」なんておだてられ、すっかりガラルドは機嫌を直していた。

 実に単純な男である。


「さっさと帰って飯にするぞ」


 そうしようと皆もうなずいた。

 今の自分たちには、還るべき場所があるのだ。


 ガラルドがヒョイとミレーヌを担いで走りだすと、その手に繋がれた綱がオルランドの首を遠慮なく絞める。

「人殺し!」と悲鳴が上がった。


 その途端、笑い声がいくつもはじけた。

「小僧らしく死ぬ気で走れ」


 応援しながら、皆で風になり、王都を目指す。

 かけられる言葉の内容はひどいが、全員が朗らかに笑っている。


 たくさんのことがあったはずなのに、なんだか楽しくなってミレーヌも笑った。

 きっとこの先も、素敵な毎日になるだろう。


 朝日が、東の果てから顔をのぞかせていた。

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