第34話 フライパンをどうぞ

 ミレーヌとキサルはすっかりと和んでいた。

 まだ魔物討伐の声や音は続いているのに、そっちのけである。

 建物の陰にあたる場所にいるので、自分たちのところに魔物が来ないとはいえ、実にほのぼのと会話していた。食堂の茶飲み話と変わりない。


「素晴らしい見解ですよ」

 話の筋を誘導するために、力強くキサルはうなずいた。

 そろそろ本題に入るころ合いだった。


 ここに来た本来の目的。

 砦を無傷のまま保持して討伐を終える。


 そのためにはミレーヌの出陣をお願いしなくてはいけなかった。

 最大の難問がまだ残っているのだ。


「ミレーヌ様。いい見本が一つもないと吊り橋の前まで来ている熊のように、実に困った大人になっちまう」


 わかってくれますよね? なんて言いながら、一つウィンクをした。

 本来こういった会話はデュランが一番得意なのだが、キサルも気さくでおおらかな雰囲気なので、下街の女をのせるのは得意だった。

 会話の中心になっていたオルランドをダシにして、ガラルドへと会話の方向を引っ張る。


「この子がああならないためにも、まずは熊からビシッとしつけていただけませんかね?」

「まぁ! ガラルド様が、またなにか?」


「いやいや、これからしそうなんですよ。困った大人ですから!」

「なんてこと! ガラルド様がここにいらしているのね? まさか、いつもの調子で?」

「ええ、そうなんです! いつもの調子で! 仕返しする気満々で、すぐそこにいるんですよ!」

「あら嫌だ! あの人が報復する気なら、とんでもないことをしでかしそうですわ」


 眉根を寄せるミレーヌに、素晴らしい勘だとキサルは褒めた。

 なんだかんだ言いつつミレーヌが、ガラルドの性格を正しく理解しているのがありがたかった。

 わかっていただけて話が早いと、さらにおだてる。


「俺たちは、とりあえず六人で砦に来たんだが、詰所に残した五人だって大変でしてね。気の毒に騎士団や警備団に交渉に出てもらった。その辺はどうにでもなる話だが、とにかくガラルドだけは手に余るんだ」


 そう、このご時世でこの砦を破壊されたら、流派そのものの汚点となる。

 お願いだと深く頭を下げた。


 ミレーヌはあまりに深々と頭を下げられたものだから、どんなお願いかピンときていなかったのでひどく慌てた。


「まぁ、わたくしにできることがありまして?」

「ありますとも! 貴女にできなければ、あの熊に対抗できる人間はこの世にいない!」


 キサルは真顔だった。

 言葉だけではなく、握りこぶしにも力を込めた。


 本気がこもったのは当然だろう。

 ガラルドを止めることができるのは、現状、ミレーヌとサリだけなのだ。

 まぁ! なんてミレーヌは驚いているけれど、変えようのない真実だった。


「あの熊なんですがね。今回と同じことを考えるような輩が二度と現れないようにするためにも、この要塞は貴重な文化財なのに壊すと言い張って、まいっているんだ」

 それがどんな不利益を生み出すか、手早く丁寧に説明した。

 想定被害を三割増しぐらい追加しているのは必要悪だ。

 それを聞いてミレーヌは憤慨した。


「まぁ! なんてこと! 本当にどうしようもないスットコドッコイなんだから!」


 よし、ミレーヌ様が本気になった。

 キサルは笑顔を浮かべた。


 ここぞとばかりに背中に背負っていた布の大きな包みを開けて、これをどうぞと差し出す。

 せっせと磨かれた、ミレーヌ愛用のフライパンである。

 差し込む陽光に、鋼の固さで燦然と輝いていた。


 ミレーヌは目を丸くして、そのフライパンを受け取った。

 自宅の一番大きなフライパン。

 まさか、砦にこんなものを携帯してくるとは。


 自分ののんきさも忘れて、みんなもガラルド様に毒されているわ、とちょっと頭を悩ませる。

 全部ガラルドの影響だとしか思えないのは、日常の強烈さのせいだ。


 ただ、この邪魔なフライパンを担いできたのも無駄ではなかったと、キサルは実に晴れ晴れしていた。

 清々しい気分とは、コレのことだ。


「あなたがオムレツを二度と作らないと脅せば、あのバカだってさすがに止まるさ」

 爽やかにキサルは笑った。


「オムレツ!」

 確かに効果的ですわとミレーヌは納得した。


「オムレツ……?」

 オルランドは妙な顔をした。

 小さく呟いて、そういえばミレーヌが怒涛の勢いで文句を言っていたなぁと、ぼんやりと思い出した。

 どうやらあれは大げさな話ではなく、ありのまま率直なガラルド像だったらしい。


「それって、どんな英雄様だよ……」


 嫌~な顔をしてげんなりした。

 フッとキサルは鼻で笑った。


「いいか、小僧。英雄になるってのは、それだけで常識が通用しないんだよ。離れて見つめて、まぁすごい! ぐらいでちょうどいいんだ」


 そう、近づくから幻滅する顔を見たり、迷惑な行動に巻き込まれ走り回ったりするのだ。

 新しい長だよと紹介された時には、自分とそう変わらないと思ったのに。


 まさか、これほど振り回されるとは!


 数年前の自分に言いたい。

 双剣持ちになっても、流派の要になる話は蹴ってしまえと。


 一度なってしまうと、死ぬまで席を譲れない。

 流派の道に生きるのならいくらでも命をかける。

 だが、そのままでは熊のお守りで終わってしまうぞと忠告できたらどんなにいいだろう。

 そんなことをふと思い眉根を寄せたキサルに、ミレーヌが軽く注意した。


「小僧じゃありませんわ。オルランドですわ」

 そう決めましたのと口をとがらせるので、失礼したとキサルは笑ってうなずいた。

「ちゃんと名前で呼びますよ」とウンウンうなずく。


「それにしても、ミレーヌ様! 彼にたいそうな名前をつけましたねぇ」


 とても立派な名だと褒めた。

 その名に負けることなく、意味につり合う人間になるのは相当努力しなければならない。

 そんなふうに軽く笑った。


「あら、そうかしら? ピッタリでしょ? どこにでも行けてなんでもできる、とっても自由な感じ。わたくし、ずっと弟が欲しかったんですの」

「そ~いう理解で、死神を弟にするんですか?」


 素晴らしい、と本気でキサルは褒めた。

 知らぬが花とはこのことだ。

 下街育ちのミレーヌが神話のオルランドの存在を知っていると謎に思ったが、おそらくサリの寝物語で聞いたのだろうとあたりをつける。


 サリはどんなふうに、戯曲に使われるオルランドの逸話を話して聞かせたのだろう?


 実に興味がわいてしまった。

 神々の間を渡り歩くようなこの世の理から外れたモノを、自由な感じで素敵とは!

 とても大雑把で、非常に奔放な感想である。

 この感性はガラルドに通じるものがあるかもしれない。


 自分たちを恐れないだけでもかなり図太いが、まさか死神を弟呼ばわりして可愛がるなんて。

 古い血に惑わされないどころか、無効化してペット扱いにしている。

 貴重な存在だと言いきれるほど素晴らしい。

 実に頼もしく立派な女性だと思った。

 ミレーヌの存在そのものが稀有なのだ。

 ニコリとキサルが笑いかけると、良くわかっていないながらミレーヌも微笑み返した。


「わたくし、誠心誠意をこめて、ガラルド様に意見しますわ」

 任せてくださいな、なんてフライパンを握りしめている。


 ガラルドに対抗できる最終兵器はやはりミレーヌに違いないとキサルは確信を持った。


 なんだか和んでいる二人の会話に、オルランドは眉根を寄せてム~ッとうなった。

 話の中心はガラルドでも、そのおまけに自分を使われているのがおもしろくない。


「お姉さんの弟なんて嫌だ。僕は一人でいい」

 ぼそりと言うと、しゃがんだキサルがグイッと引き寄せその頭を腕でロックした。


「やかましい。貴様の処分は保護観察だ。ミレーヌ様が不満なら、ガラルドが身元引受人だ。今回の代価は高くつくぞ。貴様、未来永劫、その身体で払い続けてもらうからな。ざまぁみろってんだ」

 小声でささやかれ、オルランドはサッと顔色を変えた。

 それは予定外だ。

「嘘だろ? 長くて数カ月じゃないのかよ? 秩序ある国の大人なら法律は守れよ」


 文句タラタラである。

 キサルはケッと小さく吐き捨てて、グリグリとそのこめかみに拳を押しつける。


「叩けば埃が出る身だろうが。流派を甘く見るなよ。仲良くしてやるからありがたく思え」

「痛いっ! 仲良くなんてするもんか!」


 抵抗している様子も、はたからはじゃれあっているようにしか見えなかった。

 微笑ましいこと、なんて間違った感想を述べながらミレーヌは笑って見守る。

「これから仲良くしましょうね」なんて言うものだから、オルランドは表情を失くしてしまった。


 勘弁してくれ。


 言っても届かないのはわかっていたので、声には出さなかった。


「魔物の声がなくなりましたわ」

 フライパンの握りを確かめていたミレーヌだが、ふと気付いた。


 すべて片付いたなら、ガラルドが動き出す。

 気合いの入った顔を、じゃれあっている二人に向ける。


「何を話していますの? 行きますわよ!」

 ムンッとフライパンを握った手に力を込めた。


「おお! 俺も熊退治に加勢します」

 キサルも立ちあがって「さぁさぁ」とばかりに、やる気になっているミレーヌを正面出入り口へと先導する。

「いいですか? 熊が抵抗すれば、遠慮なくぶちのめしてください。俺たちが加勢するから、徹底的にやってもらえると助かる」


 本気でミレーヌのフライパンに期待しているキサルに、オルランドは眉根を寄せた。


「あんたたち、変だぞ?」


 なぜか、英雄退治だと盛り上がっている。

 ついさっきまで魔物だの野盗だのを討伐していたことなんてまったく気にしていない。


 それどころか最初から頭にもないようだった。

 砦での戦闘はおまけ扱いである。

 これだけ大量に魔物だって集めたのに、まったく意味がないのかとさすがにがっかりした。


 あきらかに期待外れの顔をしているオルランドに、お前程度なら熊と並べばずいぶん可愛いぞとキサルはきっぱりと言い切った。


「本物の英雄は全てを超越してる。気にするな」

 フッと遠い目になった。

「なにを言ってもムダ。言葉を尽くす気にもならん」


 思い出すのも嫌そうなキサルの様子に、オルランドはう~んと首をひねった。

 どうやら東の剣豪はかなり個性的で、困ったことばかりしでかす男らしい。

 ガラルド用の最終兵器がフライパンとオムレツというのも非常に変わっている。


「それって、どんな英雄様だよ……」


 離れて見ている時にはものすごくかっこよくて、軍神か武将神のようだったのに。

 世間の憧れと称賛を一身に受けている英雄の、スットコドッコイな素顔なんて見たくないなぁと素直に思った。


 だけど、それは叶わない願いだった。

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