第32話 絶体絶命ってこんな感じ

 オルランドは息をのんだ。

 目の前の男は、闇に同化して気配すらない。

 目を閉じれば、存在を認知できないほどだ。

 なのに男は、確かにそこにいた。


 両手に剣を携えている。

 傭兵の格好をしているが、東流派の使徒だ。

 それも尋常ではなく強い。


「いい動きだ、小僧。よく避けた」


 ひどく楽しげな口調だった。

 ニヤッと笑われて、オルランドは右手に剣をかまえた。

 背筋がゾクゾクする。

 相手は確実に自分より強い。


「間違いなく死神だな? こんなところに呼び出しやがって……俺はケルベロスのラクシ」


 ラクシは自然に立っているだけだったが、正攻法では敵わないとオルランドは直感する。

 フウッと息を吐いて、ニコッと笑った。


「ただのお試しにしては危なかったよ。お兄さん、どこから来たの? 剣豪とは別口?」

「俺か? わかっていて聞くな。小僧、それだけ言えれば大したもんだ」


 オルランドの様子を伺っているだけで、双剣を手にしたラクシは近寄ってこなかった。

 こちらの出方を見ているのが痛いほどわかる。


 オルランドはゆっくりと立ち上がり、ラクシとの距離を測った。

 廊下の果て同士なのだから、かなり距離はある。

 それでも、奥義技の射程範囲だった。

 大きく動けば、確実に斬られる。


 剣を手に向かいあうと脳内が奇妙に冷えて、相手のだいたいの力量を感じることができた。

 古い血だけ比べてみればオルランドの方が濃い気がするけれど、年齢差と経験値の差はいかんともしがたい。


 ケルベロスならば流派の要の一人である。

 ガラルドほどではないが、逸話も数多い。

 なにせ相手はケルベロスの名を持つほどの大人で、十三歳をやっと過ぎたオルランドとは比べ物にならない。

 流派の使徒として経験も技も豊富なので、簡単に出し抜けるわけがないのだ。


 これじゃ動けないやと心の中で呟いて、オルランドは眉根を寄せた。

 正面から来ていた四人だけと思っていたのに、もう一人いるとは計算外だった。

 これはまずいぞと頭を悩まして、オルランドは外を指差した。


「いいの? 僕なんかに関わってないで、行かないと危ないよ? お姉さんの命に関わるのに」


 そう、ミレーヌは派手に悲鳴を上げていた。

 黙ってジッとしていれば魔鳥の興味も失せただろうに、あれだけ騒げば寄ってくる。

 檻をグルリと魔鳥に囲まれて慌てたらしい。


 さっきから聞こえてくる叫び声の様子から、どうやら起きていたようだ。

 さらに言えば魔鳥に囲まれるまで、ミレーヌはのんきに食事をしていた。

 どんな状況でも自分らしく行動している。


 エイッと携帯食を遠くに投げればそちらに鳥は離れていったが、奪い合って争うのもほんの少しの間だけで、喰いつくすと次を求めて檻をグイグイと引っ張って揺らす。

 もっとよこせとの要求で、状況を悪化させたに過ぎない。


 聞こえてくる声や音で、そのぐらいのことは目に見えるように想像できた。

 携帯食も三個しかないから、もう餌もないだろう。


「お姉さんがかわいそうだよ」なんて上目使いになってみる。

 もちろん、相手にされなかったが。

 ぶしつけなぐらいオルランドを観察しながらも、ラクシは非常に楽しそうだった。


「俺の役割は、この砦から誰も逃がさないことだ。ミレーヌ様は別係にお任せさ」


 その言い方にオルランドは少し引っかかった。

 逃亡者を捕まえるのがラクシの仕事らしい。

 ならば魔物を退治する四人とは別に、もう一人いるのかもしれない。


 それにしても、まだミレーヌの係は現れない。

 ずいぶん長い間ミレーヌは騒いでいるというのに、ほったらかしである。

 まだ来ていないのか、実はそんな者はいなくてハッタリなのか。

 オルランドにはまったくつかめない。


 だいたい、ラクシだっていつどこから入ってきたのかすら見当もつかないのだ。

 ずっと周辺に気を配っていたのに。

 少しでもラクシの気をそらそうと、ひたすらミレーヌのことを気の毒がって見せた。


「でも、あんなに魔鳥がいっぱいだよ? 古い檻だったから、落ちちゃったら死ぬよ? 早く助けにいかないとかわいそすぎない? 心配だよ?」

「お前がそれを言うのか?」


「だって、すごく錆びていたし」

 オルランドが憐れっぽい表情を作ると、ラクシは肩をすくめた。

「大丈夫さ。元気いっぱいじゃないか」


 そう、キャーッ! とか、ヒーッ!とかミレーヌは叫んでいるが、支柱にしっかりとコアラのようにつかまっていた。

 揺らされても微動だにしていない。

 腰の紐がなくても問題なかっただろう。


 実に騒がしいが、気を失うこともなく立派だった。

 大きくて頑丈な檻のため、魔鳥の爪もくちばしもまったく届かないのも幸いした。


「……人でなし」

「お前があそこに吊るしたんだろうが」


 もっともすぎてオルランドは眉根を寄せた。

 予想はしていたものの、雑談ではまったくラクシは揺るがないから、思うような隙が作れない。

 オルランドが腰のカバンに手を置いただけでも、何を狙っているかすでに予想しているようだ。

 厳しい視線で一挙一動を偵察されている。


 唐突に、ラクシは刃を振る。

 ヌルリとわいた影が、それだけで霧散した。

 背後から入ってきた魔獣を、振り向きもせず切り裂いたのだ。

 何も起こらなかったような涼しい顔で、オルランドから気をそらすこともなかった。


 思わずオルランドは眉根を寄せた。

 もちろん簡単に逃げられないのはわかっている。

 けれど力技で捕獲しようとしないので、ラクシも何かを警戒しているらしい。

 もっとも、噂に聞く死神をじっくりと観察しているだけかもしれないが。


 カバンの中にある携帯食を指先でいじる。

 どうにかしてこの状況を打破しようと、考えを巡らせた。

 窓の外をすぎる魔鳥なら、きっかけを作れば大量におびき寄せられるのだけど、その隙がない。


 それに、ミレーヌが騒いでいるのが気になって、オルランドは集中できなかった。

 だって、ずっと助けてと呼んでいるのが、オルランドの名前だけなのだ。

 無視したくても連呼されて気になってしまう。

 さすがにラクシも少し首をかしげた。


「それにしても、ミレーヌ様は誰を呼んでんのかね? 大仰な名だ」

 神様を呼ぶよりも勇気がいるとポロリともらしたので、オルランドは思わず顔を上げた。

「オルランドってのはそんなに大仰な名前?」


 おや、食いついてきた。

 ラクシは不思議な感慨を抱いた。

 ずっとこちらの隙を伺うばかりのはしっこいガキに見えていたのに、教えを請う生徒のような顔になっている。

 隠していても聡明なのだとその眼差しに思う。


「神官交代の奉納戯曲にしか出てこない、陽月の神と冥暗の神を繋ぐ使者さ。現世にはフクロウの姿で現れ、神と人も繋ぎ、この世の理を守る。正式な名はオウル=ランド。生も死も、正義も悪も、彼次第だろうよ」

 数年どころか数十年に一度ぐらいしか催されない神殿内部だけの戯曲だし、神話に出てくる記述もほんの少しだけだ。

 逆に、オルランドの名前や姿を知っているなら信仰深い勉強家の証になるほどだ。


 そんなふうに説明されたものだから、さすがにオルランドも絶句してしまった。

 本当に意味合いが大仰だった。

 考え方を変えれば、死神より性質が悪い。

 弟みたいと両手を叩いて喜ぶような、気軽な類の名前では絶対になかった。


「……もう、なんでそんな名前にするかなぁ」


 オルランドはチラッと外を見た。

 ミレーヌはギャーギャーと叫びながら「オルランド!」と、こりもせず連呼している。

 助けを求める相手を間違えているが、聞こえないふりをすることができなかった。

 中庭に入った黒熊隊の双剣持ちも見えているはずなのに、他の名前は一度も呼んでいない。


 本当に困ったお姉さんだとあきれるしかない。

 どう動くか、ひどく迷ってしまった。


「どうする? この先は通行止めだ」


 ラクシにニヤッと笑われて、オルランドもニコッと笑い返した。

 本当に進めそうにない。


「行きたいな、僕は」

「越えてみるか? 俺を」


 同時に動いた。

 地を蹴ってまっすぐ向かってきたラクシに対して即座に剣を振るう。

 先ほど見た剣豪の技の見よう見まねで、東流派の風の刃を出した。

 初めてにしては上出来で、ヒュッと刃が大気を切り裂いた。


 ラクシは簡単にその真空の刃をはじく。

 ほんの一瞬生まれた隙に、オルランドは窓の外へと身を躍らせる。

 斬り殺す気はなかったのか、ラクシは追随する奥義技をかけてこなかった。


 小さな鉤のついたロープを屋根に引っ掛けて、オルランドは上空へ身体を引きあげる。それと同時に、オルランドは腰から出した携帯食の包みを解き窓の中へと投げいれた。

 匂いにつられた魔鳥が食べ物を追って窓へと入ると同時に、屋根の上に高く跳ね上がった。


 少しはラクシの足止めになるだろう。

 逃げられないなら、次を考えるしかない。


 手間はかかっても安全を確保する方法は一つ。

 自分のことを可愛い子供だと勘違いをしている、のんきなミレーヌが役に立ってくれるはずだ。

 彼女に「死神からは危害はくわえられなかった」と証言してもらえばいいのだ。


 そんなことを考えながら。

 風のように屋根の上を駆け抜けた

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