第19話 不滅の丘

 舌をかむと後から言われて、必死で口を閉じてガラルドの上着をつかんだ。

 気がつくと空に近い場所にいて、ものすごい速度で街並みが後ろに流れていく。


 目が回りそうな速度でまともに息をすることもできず、いったい何が起こっているのかミレーヌにはわからない。

 ガラルドに抱きあげられていることだけは確かだった。


 屋根の上を走っているのだと理解した頃には、王都を出ていた。

 気がつくと恵みの森の中にいて、すぎる木立が風にざわめく様を美しいと思った。

 前を見たら吹きつける風の強さに息がうまくできず、ガラルドの胸にしがみつくしかない。


 速い。

 風になっている。


 ほんの少し顔をあげるとガラルドは普通の顔をしていて、女一人を抱えて走っているとはとても思えなかった。

 どこからどう見ても、ポイポイと服を脱いでパンツ一枚で歩いているときのように、力を抜いた表情だ。

 見える物とおかれている状況が合致せず、ミレーヌは目を白黒させる。


 あっという間にリリス平原に出た。

 どこまでも広がる草原を駆け抜ける。

 余裕綽々の顔をしていても、力強い疾走は人を超え風よりも速い。


 そして。

 夢か現実かわからない程、幻想的な小高い丘に辿り着いた。


 降ろされたミレーヌは、なんて美しいのともらす。

 おとぎ話に聞く、天界か桃源郷のようだった。

 うっとりとしてそれ以外の言葉を忘れたミレーヌに、すごいだろうとガラルドは自分の手柄のように自慢した。


 ここがどんな場所か簡単に説明する。

 世界が創造された場所という伝説を持っている聖地だった。


 古くから「不滅の丘」と呼ばれている。

 世界が滅び生まれ変わったとしても、ここだけは時知らずで存在し続けているらしい。

 伝説を裏付けるように、不可思議な生の力に満ちた場所だ。

 この丘には四季を問わず様々な果樹が生い茂り、休む間もなく果実をつけている。

 それだけではなく、様々な季節の美しい花が一度に咲き乱れていた。


 ミレーヌの夢見心地でいつもより華やいだ表情に、いい選択だったようだとガラルドもまんざらでもない笑顔を見せる。

 花に興味はないが、惚れた女の表情が華やぐのを見るのは嬉しい。


「こういう綺麗な場所だったら、おまえも好むだろう? 邪魔も入らんしな」

「ええ! なんて素敵なのかしら! それになんて大きな樹! 何人ぐらいで幹を囲めるかしら?」


 何よりも目を引いたのは、一本の巨木だった。

 キラキラした瞳で指し示すミレーヌに、こういう反応は新鮮だと快く感じながらガラルドは答える。


「ああ、あれか。特別な樹だからな」


 大人八人がかりでも手が足りない程、巨大な樹だ.

 それも息吹に満ち、葉も青々とした美しい広葉樹だった。

 この世界の創世と同時に生を受けたとされる古木は、「はじまりの樹」と呼ばれていた。


「この世界と同じ歳らしいから、こいつはずいぶんと年寄りのはずだ。ヨボヨボには見えんが」


 ヨボヨボって……ミレーヌは絶句した。

 創世の樹ならば、姿を現さないが世界を護っている神々と等しい存在のはずなのに。


「どうしてそんな夢のない言い方をしますの?」

「本当のことだぞ? 確かめようもないがな」

 もう! とミレーヌはふくれた。

「そんなこと、確かめる必要なんてありませんでしょう?」


 まったく、もう!

 会話が微妙にかみ合わない。

 どうして漫才のようになるか謎だ。

 デートの場所としては最高なのに、ガラルドが相手だとムードや雰囲気はぶち壊しだった。


「せっかく見直したのに……」


 それでも、気を取り直す。

 この美しい場所は、わざわざミレーヌのために選んだ場所なのだ。

 悪言や感性に目をつぶりさえすれば、宝石やドレスを見に連れていかれるより、ずいぶんとミレーヌ自身のことを考えている。

 ガラルドはあんがい、他人のこともよく見ているのかもしれなかった。


「王都のこんな近くにこんな素敵な場所があるなんて、わたくし、知りませんでしたわ」


 深呼吸をした後で、できるだけ優しい表情で微笑んでみせた。

 ガラルドは別に感慨を抱くではなく、いつもの尊大な調子でうなずいた。


「それはそうだ。惑わされない奴しか来れない」


 街道の整備されていないこの場所に来るまでは魔物もいたずら好きの妖精も出る。

 だからこそ、神聖な力に満ちた聖地だとわかっていても、恵みの森同様に好んで足を踏み入れる者は少ない。


 精霊も住んでいると説明されたが、異形の住みかには程遠いので、ミレーヌはとても不思議だった。

 人間以外の存在は、神の他は関わってはならないものだと教わっていたけれど。

 善きものと悪しきものがいるのかもしれない。

 ミレーヌの表情で考えていることを読んだのか、ガラルドは淡々と言った。


「普通の人に判断できるもんか。どっちもおまえにとっては、そんなに変わらん。俺から離れるなよ。ここにいるものは善きものだが、人をからかって遊ぶからな」


 ハイ、とミレーヌはうなずいた。

 命には関わらなくても、それなりに危ないちょっかいも出されるのだとわかった。


 それでも。

 この丘には魔の気配一つなく、誰も近づかないのが不思議なほど、聖別された神殿のように清浄な空気に包まれていた。

 季節すらないのか、桃とリンゴとオレンジが並んでいるのをひどく不思議な思いで見つめた。


 これが創世の力を残す場所である片鱗だと、ガラルドが延々と哲学的な説明をしかけたが、けっこうですわとミレーヌは断った。

 ガラルドは少しだけ惜しいと言いたげな顔をしたけれど、そうかと言葉を納める。

 語ったからと言って利があるわけではない。


 なぜここに創世の力があるのかなんて、歴史から説明されてもミレーヌには理解できず、知っても生かす機会はやってこない。

 ガラルドも知的な面を見せて尊敬されるならいくらでも語り続けるが、渋い顔をされて終りだとわかっていると面白くもなんともない。

 二人きりで美しく綺麗な場所を丸ごと楽しめたら、それだけで良かった。


「ほら、持って帰れ」

 ガラルドはオレンジをいくつか木からもぐと、ミレーヌに投げた。

 目的はこれだと言いたげな表情だった。

 本当にチキンのオレンジソースを食べる気満々なのだ。


 ミレーヌは「どうかこの恵みをおすそ分けください」と祈ってから、必要なだけかごに詰めていった。

 その様子をしばらく楽しそうに観察していたけれど、ガラルドはリンゴをかじりながらゴロンと横になった。

 そして、こずえを渡る風を少しだけ見ていた。


「皆が言うのに俺は変わっているらしいが、おまえも相当変わっているな」


 独り言のような口調で、そんなつぶやきをもらす。

 ミレーヌがそちらへ目をやると、ガラルドはさっき傷一つなかった右手を見つめていた。


「失礼ですわね。ガラルド様から見て変わっているなら、普通ですわよ」


 ツン、とミレーヌが横を向くと、ガラルドは上体を起こして腕を組んだ。

 今度はまともにミレーヌを見た。

 不服そうな顔をしている。


「ほらみろ。まったく気にせず、俺をボコボコ殴るし、心配までして。おまえ、相当おかしいぞ。俺がどういう存在か見ただろう?」


 常日頃から奇人だと思っている相手に、類をみない変人扱いされてミレーヌは眉根を寄せた。


「心配してはいけませんの?」

 キッと睨みつけた。

「あのぐらいで怖がる方がおかしいんです」

 ケンカ腰のままはっきり言われて、ハァッとガラルドはため息をついた。


「そこが変だ。派手に見せただろう? 恐ろしがってくれねば意味がない」

 え? とミレーヌは首をかしげた。

「あれは抑止効果だ。おまえには通用せんが」


「わざとなんですか?」

 ミレーヌはびっくりしてしまった。


「当たり前だ。俺の力を見せつけて、流派に手を出すのは割に合わないと思わせねばならん。そうでなければ、異国にいる双剣の使徒の身や、その家族の身にまで危害が及ぶ」


 本気で目立ちたくないなら最初にいた場所から動かずに倒すことも可能だし、誰にも気づかれず人目につかぬ所に引きずり込んで再起不能にだってできると胸を張った。


 指一本でやっているとわざわざわかるように見せつけて、派手に動いたのにも理由がある。

 公共の場で暴漢を半死半生の目にあわせるのだって、作戦の一つでしかない。


 ガラルド自身だけではなく、東流派への畏怖を民衆へ植えつける狙いがあった。

 素手であれだけのことができるのを見れば、剣を抜いたらどうなるかを勝手に想像して、尾ひれのついた噂を数多くつくる。

 頼まなくても、ガラルドや東流派と対抗したくないと、勝手に恐れてくれるだろう。

 ガラルドや東流派とは戦いたくないと思わせておけば、無駄な争いだって減るのだ。


 流派は退魔の方法だが、名をあげたいだけの人間にも目をつけられる。

 腕試しだのなんだのにいちいち付き合っていたら、一日が一〇〇時間あっても足りやしない。

 そんなことをガラルドは語った。

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