2章 英雄と呼ばれる男

第11話 ガラルドという男

 いつのまにかシトシトと雨が降っていた。

 窓から外を覗いて、ミレーヌは奥に入る。

 タオルを何枚か用意して、ホールへと戻ってきた。


「おばあちゃん、そろそろ休む? わたくし、ガラルド様にご挨拶だけはしようと思うけど」

「ハイハイ、もうちょっと待ちましょうねぇ」


 声をかけたけれど、編み物をしながらサリはニコニコしている。

 聞こえていないなぁと思いながら、ミレーヌもその向かいに座ってフライパンを磨いていた。


 邸宅の台所は非常に立派なもので、数十人規模のパーティーにも対応できる機能が備わっている。

 大中小と様々な大きさの調理道具も取りそろえてあった。

 ただ、台所そのものも器具も、あまり使われていなかったらしい。

 一番使いやすそうな道具の手入れだけなので、玄関でも平気だろうと持ってきてしまった。

 そのほとんどがくすんでいたので、乾かしたものをさびないように油で磨き上げている。

 大きくて良いフライパンなのに、雑な扱いをされていたのが本当にもったいない。

 サビが浮いていないことは救いだ。


 キュッキュッと綺麗に磨いていたら、ガチャリと扉が開いた。

 ドスドスと荒い歩調で、大柄な男が入ってきた。

 非常に不機嫌そうである。

 ポイッとかぶっていた帽子を投げ捨てたので、見えたその顔にミレーヌは立ち上がった。

 見覚えがあったのだ。


 ガラルド・グラン、その人である。

 英雄として名高いガラルド本人だとさすがに緊張してしまう。

 どう挨拶をするべきかと迷ってしまった。


 振り続ける雨のため、ガラルドの全身は濡れていた。

 したたる雨粒が気の毒でタオルを差し出そうとしたが、その前にガラルドが口を開いた。


「なんだ? 福招きのネコとアライグマが、そろって俺に何の用だ?」


 アライグマ!

 思わずミレーヌは言葉を失った。

 目線からして、間違いなくそれは自分のことだ。


 ショックを受けている表情に気付きもせず、ガラルドは皮手袋を外しポイと床に投げる。

 ベチョッと濡れた音で、雫が床に散った。

 それだけではなく、靴や、靴下や、外套や、上着までも、一歩歩くごとにガラルドは当たり前に脱ぎ捨てた。

 しとどに濡れた衣服が転々と投げられ、いたるところで水たまりが発生する。

 なんてことを! とミレーヌは眼を見開いた。


「どうでもいいが、さっさと帰れ。お前のようにコロコロしたのが目の前にいると気になる」

 夜伽の女は間に合っているから相手はせんぞと、シッシッと追い払う仕草をする。

 ガラルドは不機嫌なのか、八つ当たり気味の悪態はとまらない。

 卑猥とまでは言わないけれど、閨事がらみの言葉のオンパレードだ。


 この人、いったい何を言っているのかしら?

 ミレーヌはあまりの事に、返す言葉も浮かばなかった。

 しかし、サリのおっとりした声が、ガラルドの悪態をさえぎった。


「おかえりなさい」

「おお、今、帰った」


 つい答えたものの、ガラルドは奇妙な顔をした。

 異様だと、ここで初めて玄関の変化に目を向ける。


 ガラルドは眉をひそめた。

 馴染みのない一般の家庭に似た風景だ。

 住み始めたばかりの家でも、朝とは違いすぎていることぐらいわかる。

 あふれていた武具が撤去され、まるで上流階級者の邸宅のように磨きあげられていた。


「帰れと言われましても、わたくし、今日からここに雇われましたの、お見知りおきを」


 プルプルと握りこぶしを怒りに震わせながら、ミレーヌがぼそりと言った。

 夜警の者や遅い自分の出迎えのためにこの二人がホールにいたことを、遅ればせながらガラルドは何となく理解した。

 無駄なことをすると思ったが、硬い表情ながらミレーヌから「どうぞ」と差し出されたタオルを反射的に受け取ってしまう。

 不思議そうにタオルを見て、慣れないことなので「これでどうしろと?」と、少し悩んだ。

 雨が降っていたからだろうと、とりあえず濡れた髪を拭いてみた。


「そういえば、そんなことをデュランが言っていたかな?」

 家のことなどどうでもいいと思っていたからすっかり忘れていた。

 一緒に住むのだからと何やら説明していたけれど、聞いたからといって双剣持ちには直接関係ないと記憶から消去していた。


 そうか、あれはこういう意味だったのかと思いながら、渡されたタオルを頭にかぶる。

 思ったよりも悪くない気分だった。

 ガラルドはそのまま濡れた服をどんどんと脱ぎ捨てて、その辺に適当に投げ捨てていった。


 ミレーヌはその勢いに止める隙も見つけ出せず、あっけにとられてしまう。

 玄関で裸になるような殿方など生まれて初めてだ。

 子供だってそんな奔放な行動はとらない。

 ガラルドはとうとう剣帯も外してしまい、あっというまに裸足にパンツ一枚になって、手に双剣だけを持つ。


 雨にぬれているから薄らいでいるけれど、花街からの帰りなのか女の匂いまでする。

 夜這など想像するもおぞましいのに、若い女というだけで決めつけて、何を勘違いしているのかわからない。

 不潔な誤解は腹立たしいものの、お前のようなアライグマは女扱いしないとまで言われてしまうと、いたくプライドが傷ついていた。

 英雄かもしれないが、非常に下品な男だと軽蔑してしまう。


「どうでもいいから、そこをどけ」

 息を吸って、吐いて、キッと睨みつける。

「どきません。わたくし、家のことは任されましたの。なんですの? 服を拾ってください」


 ついつい手に馴染むフライパンの柄を握りしめる。

 なんとか心を落ち着かせようとしながら、脱ぎ散らかされた服の道を指差した。

 せっかく掃除してピカピカだったのに、濡れた服を散らかしたせいで、床が汚れて台無しだ。


「は? 雇われの分際で俺に意見する気か?」

 ガラルドはさらに不機嫌な顔になる。

「そんなくだらないことはお前がしろ」

 ガラルドはズカズカ歩きかけたが、ミレーヌは扉の前に立ちふさがった。

「どきません! せめてシャツとズボンぐらいは部屋の中まで着なさい!」

 キッと睨みつけて、説教した。

「主人も雇われもありませんわ、だらしない! それでもいい歳の大人ですの!」


 ガラルドは面倒くさそうに耳を押さえた。

 堅苦しい場から帰って来たのだから、家の中ぐらい自由でいて何が悪いのか理解できない。

 流れ歩くのではなく、せっかく自分の好きにできる箱物を得たと言うのに。


「あ~うるさいうるさい。勝手におまえらが噂を広め、理想を語るだけだろうが。英雄様など俺の知ったことか」


 もう他人からの要求にはうんざりしていた。

 本日の我慢はすでに枯渇している。


「一人寝が嫌か? 相手が欲しければ、他に男が十人もいるんだ。コロコロしてもかまわん奴がいるだろうから、好きな布団に潜っておけ」

 猫の子を相手にするほど、簡単にミレーヌの襟首をつまんで、ポイ、と扉の横によける。


「まったく、どいつもこいつも。英雄だの剣豪だの騒ぎやがって、うっとうしい」

 立っているだけでもいいとか、座っていてくれたらそれで満足だとか、はなから双剣持ちへの要望ではない。

 動かずにじっとしているだけでも満足なら、勝手に銅像でも作ってくれといった気分だ。


 頼まれても王都になど来るんじゃなかったと、ブツブツとぼやきながら扉を開けた大きな背中に、ミレーヌはプチッと切れた。

 理想の英雄様像など、ミレーヌは一言も語っていない。

 濡れた服を散らかさずに拾い集めるように、幼い子供でもできることを要求しただけだ。


 頭にタオルを巻いて、パンツ一丁でいばるだけで、何が英雄だと思う。

 確かに武人としては有能かもしれないが、自己中心にも程がある。

 せっかく精悍で豪快な立ち姿をしているのだから、黙って立っていれば恰好よく見えるのに台無しだ。


 中身が実に下品で、口の悪いおっさん予備軍。

 自室まで服を着ることもできないほどの常識知らずだったとは!

 しょせんパンツ男だ。コレのどこが英雄なのか。

 尊敬していただけに、ガラガラと大切な何かが崩れていくのを止められない。


 それに、騒がれたり持ち上げられたりすることに慣れているせいか、全ての女が自分にすり寄ってくると勘違いしている。

 人の噂には上らなくても、女遊びを相当派手にしているらしい。

 言動からそれらが簡単に予想がついて、中身が想像と違いすぎると幻滅してしまう。

 まともに話をする気がまるでないので、更にむかっ腹がたって仕方なかった。


 確かに美人ではない自覚はあるけれど、意味もなくバカにされるのは我慢できない。

 不潔極まりない奴に、バカにされてしまった。

 この怒りをぶつけても、罰は当たらないだろう。


「わたくしがアライグマなら、あなたは熊よ」

 手にしていたフライパンを思わずふりあげた。

「まともに服も着れない、スットコドッコイのくせに! いったい、何様のつもりなの!」

 叫ぶと同時に叩きつける。


 ゴイーン☆


 鋼の打ち震える音が広い館に響き渡る。

 油断しきっているガラルドの後頭部に、フライパンが炸裂したのだ。


 それはそれは見事な音だった。

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