第7話 どうしたものかとぼやいてみる

 振り返りもせず、ミレーヌは足取りも軽く買い物に出かけた。

 フンフン♪ と鼻歌がついついこぼれている。

 ものすごくご機嫌なのがそれだけでわかった。

 残された武人たちは遠ざかる背中を、恐ろしげに見送ることしかできない。


 遠くに去ったのを見て、ようやく息をついた。

 商店街までは距離があるので、ミレーヌの足だとしばらく帰ってこないだろう。

 有意義なショッピングタイムを過ごし、一秒でも長く買い物を楽しんでほしいところだ。

 数時間は猶予ができたと思わず顔を見合わせ、ハァ~とため息をもらすことしかできない。


 度胸がすわっているのか、鈍いだけなのか。

 睨んでも怖い顔で脅してもひるむどころか、のんきな笑顔のままで意味がないとは。

 降ってわいた大掃除だけで想定外の強烈な体験だ。


 掃除が終わっても次が待っている。

 集団生活に必要なルールなど、考えただけで不自由そうだった。

 これではメイドや家政婦ではなく、カカア天下の女主人である。


「誰だ? あのお嬢さんをうちにと言いだした奴は? 我々を飼いならす気だぞ。なぜか逆らえん」

 ム~ッと青い顔でラクシがうなった。


「キサルだろ? 怖がらないと言ったのは?」

「ラルゴだよな? 面白い女だと言ったぞ?」


 それぞれが相手の責任を口にする。

 全員が「ちょうどいいんじゃね?」と乗り気で、やめとけとダメだしした者が誰ひとりとしていないのだから、実に不毛な争いである。


「若い娘さんと生活するんだ、東の国なら仕方ないさ」

 ただ一人、この国の出身者であるデュランがそう言った。

「下町のお嬢さんに馴染みがあるのは騎士団だけだから、似たようなものだと勘違いしてるんだろうなぁ~王都の騎士は実に品行方正だ」


 困ったことは騎士様へ。

 それがカナルディア国の常識だった。

 騎士団の大半が貴族の子弟か中流以上の商家の子息ばかりで、普段着で歩いていても品があってそれとわかる。

 そのうえ下町生まれであっても能力さえあれば準騎士として剣を授かることもあり、実力さえあれば騎士爵も手に入れることもでき、王都カナルは世界的にも珍しい独自の騎士文化を持っていた。

 他の市民の感覚もあんなものだよと、もっともらしい事を口にしながらも、ディランも他と変わらず渋い顔だ。


 愛と自由の国だからこそ、品行方正を求める。

 騎士精神が尊ばれ、他の三国に比べて騎士団の勢力が強い。

 地方の街道警備まで騎士を派遣し、国王に次ぐ影響力を騎士団は持っていた。

 その精神は、日常生活にそのまま浸透しているのだ。


 王都は貿易も盛んで人の出入りも多いため、警邏の騎士が定期に都市内を巡回しているし、主要エリアの街角には槍人形と揶揄される常駐騎士もいる。

 落し物・迷子・喧嘩の仲裁……それだけ騎士が身近で市民の安全も保たれているから、流れの傭兵や剣士に向ける市民の目も親密なのだ。


「騎士様か……」

「ああ、王族の近衛隊も王都内の見周りに参加するぐらいだしな」

「まぁ、市井好きの国王陛下も気軽にその辺を内緒で歩いてるからな」


 思わず遠い目になる。

 あんなものを見本にされてはたまらない。

 人間だけを相手にする騎士団と、魔物が中心の流派は本質が違いすぎる。

 それに流派の持つ技は威力が大きすぎて、普通の人間相手には使えないのだ。


 ミレーヌのお望み通りに動けば騎士団よりも身綺麗になると理解はできた。

 近衛騎士や聖戦士も見本にするほどの、清潔な部隊が出来上がることだろう。

 ただ、汚い裏仕事も平気な特殊隊を作ろうとしている意向と、かなり違う方向に進んでしまいそうだ。

 おそらく国民に未来永劫尊敬してもらえる存在になれるだろうが、行動の幅が狭まるのはいただけない。


 そもそも目的が違う。

 かといってこれが流派のやり方だとどんどん進めれば、一般市民に受け入れられずえらいことになると実感した。

 暮らしを支える人々とつかず離れずでいたからこそ、保たれていた流派の威信がガラガラと崩れ落ち、白い目に囲まれるだけの汚物扱いになるのは避けたい。


 自分たちだけではなく、将来にも禍根を残すだろう。

 定住の選択は、想像していたよりも大変なことなのだ。


 何事もさじ加減が大事。

 受け入れられる程度の常識と行動を覚えるしかない。

 それが全員の出した答えだった。


 まずは掃除だ。

 やるべきことは決まっていた。


「せっかくの家政婦なのになぁ」

「家政婦なのか、あれで?」

「……たぶん、そのつもりだろうな」


 突っ込みが入っても、苦しい返事しかできない。

 ブツブツと不満は申し立てていたものの、大切な品が二度と捨てられないように、大移動させるため手はサクサクと動かしている。


 手を動かしながら掃除をしていると、愛嬌のある丸いミレーヌの笑顔が浮かんだ。

 温厚で何やら動物のように見えるのに。

 まさか、ここまで気丈で強引に行動するとは思わなかった。

 どうしてこんなことになってしまったんだと、やっぱりそこにボヤキが戻る。


 魔物に怯えないだけでなく、目を見て話せる女がひょっこり目の前に現れたのだ。

 失業の話が聞こえたのでちょうどいいとみなで話したのは確かだった。

 ほんの出来心だったのに。


 こういうときは八つ当たりに限る。


「迎えに行ったのは、デュラン、お前だ」

「そうだ、交渉はお前の得意分野だろうが!」

「適当に言いくるめて、あのお嬢さんをどうにかしてくれよ」

 その場の流れで、デュランに意見が集中した。


「おいおい。みんなそろって家政婦がいないと困るって推薦したぞ」

 さすがにデュランは抗議の声を上げた。

 そうだよな、なんて答えて、この先ずっと責められてはたまらない。


「勘弁してくれ! あのお嬢さんに口で勝てる訳がないだろう?」

「不可能を可能に変えてこその双剣持ちだろう?」

「むちゃくちゃだな、よしてくれ」


 生活のプロを相手に、日常生活について反撃するなんて無謀だ。

 負けるとわかっていて戦いを挑む気にもならない。

 それによけいなことを言って、余分なルールを新たに付け加えられる可能性もあるのだ。

 一人でどうこうできる相手ではないと両手を降参の形にあげたデュランに、共闘の相手に選ばれてはたまらないとキサルが助け船を出す。


「よせよ。最初にあのお嬢さんはどうだと言いだしたのは、それこそラクシじゃないか」


 二人がかりでもミレーヌには勝てないと予感していた。

 相手が相手なので、集団で反論しても負け戦だ。

 魔物なら倒せばいいが、王都の常識について口で家政婦相手に勝てる気がしない。


 またしても不毛な繰り返しになってしまう。

 行きつくところはひとつだが。


「母屋は好きにしろと言ってしまったのは全員だぞ。皆、同罪だ」

「誰も反対しなかった。そうだろう?」


 そこから導き出された結論。

 このままミレーヌの尻にしかれるしかない。

 文句の一つも言えないままで。


 これを連帯責任と言う。


「ああ~もう、他にもやることが山程あるのに。なんでこんなことをしなくちゃいけないんだ?」

 せめて、ため息をつくぐらいは許されるだろう。

 武人らしくないしけた顔で、荷物の移動を開始した。


 ミレーヌさん、どうかゆっくり買い物をして、しばらく帰ってこないでくれ。

 全員が声には出さず、心の中で強く祈った。


 玄関が終わっても、上階の廊下や、自分たちの部屋まで片付けが待っていた。

 大雑把にかたよせても、一日仕事だ。

 今日の鍛錬や、隊の規律や若者を育てるための教本をまとめる作業は明日にまわすしかない。


「まぁ、料理はうまいし、よく笑うし、ずっとここにいるつもりなだけ、マシじゃないか?」

 黙々と作業して一階が片付き二階に移った頃、ポロっとラクシがそうもらした。

「ラクシ~何を気楽に……」

 キサルのぼやきにサガンがボソッと言った。

「俺たち、遺体や魔物の死体をそのまま家に持ち帰ることだってあるんだ。そのたびに卒倒するような女だったら、ここにはいらない」


 アレなら大丈夫だと腕を組んだ。

 まぁな、といくつものうなずきがかえる。


 キャーキャー騒いでも不浄を隠した布をめくって、どんなものか確かめる度胸と勇気がある。

 普通、そういった遺体や不浄などは、魔物と戦う経験の少ない者なら傭兵だって怯えるのに、死んでさえいれば動じないだろう。

 気持ちが悪いですわね、ともらして終わりだ。

 そのぐらいは簡単に想像がついた。


 お仕事でしたら仕方ありませんとその辺は割り切って、庭に不浄の品を置いてもソレはソレで目をつぶるだろう。

 掃除のような日常のことはともかく、雇われ人の自覚だけは職業婦人の鑑ほどミレーヌは持っているので、流派の仕事には口を挟まない。

 間違いない。


 確かにそうなんだけどとうなずきながら、それでも渋い顔になる。

 ニコニコしているし、愛嬌もあるし、ため口を叩く娘の存在など、非常に扱いに困る。

 図太さが好ましいものに映ることにも困惑する。


 全員が眉根を寄せる。

 女房でもない女なのに、雇いの家政婦の尻に敷かれてしまったと奇妙な悩みが生まれた。

 いまだかつてない体験である。


 普通の青年のような表情で視線を交わし合う。

 馬車と住宅は違うのだと言って、ここは魔界ですの? と怒っていた顔を思い出す。

 ミレーヌが普通かと言えば少し悩ましいけれど、自分たちの職業を考えれば普通の対応を受けるだけで、本当に貴重な体験なのだ。


 今まで気がつかなかったが市民生活は、流派の生活とはまるで違う。

 居住を定める大変さは、掃除だけで身にしみてしまった。


 てんでに今後ミレーヌがとりそうな行動について、あれこれと語り始めた。

 笑えない未来になる予感満載だった。


 きっと、遠征後は血や泥を落とさないと家には入れてもらえない。

 潔癖そうなので、花街の女の話題を出したら軽蔑されそうだ。

 仕事柄、定期的に花街へ出入りするのだが。


 その状況が簡単に想像でき、こめかみを押さえた。

 好意的な感情が勝るものの、尻に敷かれっぱなしは面白くなかった。

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