第4話 問題だと思わないのが問題ですの

「なんですの、これは?」


 つい言葉がこぼれ出た。

 ミレーヌは手にした荷物を握りしめたまま、プルプルと身体が震えるのを止められなかった。


 なんですの、これは? と何度もつぶやく。

 自分の目を疑ってしまうほどの、恐ろしい現実がそこにはあった。


 あまりにひどい光景からの現実逃避なのか、ほんの少しだけ記憶をさかのぼる。

 午前中に荷馬車で迎えにきたのはデュランとキサルだった。

 やぁ! と朗らかな挨拶を贈られ、思わず笑顔がこぼれてしまう。

 双剣持ちというだけでこの人たちが怖いなんて、今までの家政婦さんたちはよほど神経が繊細だったに違いない。


 大きな荷馬車は、ささやかな所持品の移動には贅沢すぎるぐらいだった。

 サリと一緒に荷馬車にゆられ、なんていい天気なんでしょうと気分も快晴だった。


 辿りついたガラルドの邸宅は想像以上に立派だった。

 王城からは少し離れていたものの大通りに近く、貴族たちの邸宅が並ぶ中でも市井の者の立ち寄りやすい非常に便利な場所にあった。

 隣には詰所になる建物があり、そちらは武人のための施設なので直接の出入りはあまりないだろうと、最初に勤めている人に挨拶だけした。

 顔つきや言葉遣いは武人らしくいかついが、そろいもそろって気のいい青年たちばかりだった。


 しかし。

 快晴の青空みたいだったミレーヌの上機嫌はここまでだった。

 こちらがしばらく宿舎も兼ねたガラルドの自宅だと案内され、玄関を開けてすぐに前任の家政婦たちが逃げた訳を知ることになる。


 冷水を頭からザブンとかけられた気分になった。

 なんですの、これは? 以外の言葉を忘れてしまう現実がそこに広がっていた。


 もちろん、建物は立派だ。

 王家直属の商品を扱う商家の大邸宅よりも格式が高く、貴族の館よりも剛健で立派な建物だ。

 この邸宅は元々、格の高い武家屋敷だったが相続者が絶え、国王からガラルドに下賜されたらしい。

 来客を通すホールはエントランスも兼ねているはずなのに、想定される清潔で明るい気持ちよい空間ではなかった。


 臭い、汚い、気持ち悪い。

 誰だって逃げ出す、見事な汚部屋だった。


 衝撃のあまりミレーヌは言葉を失っていた。

 ここは外部の人も出入りする場所なのに。

 ごちゃごちゃと訳のわからない装備だの旅の荷物だの脱いだままの服だのが、異臭を放ち山と積まれていた。


 なんですの、これは? とこぼれ出たのは、無意識のつむいだ魂の嘆きだ。

 こっちだよ、と荷物を手に奥へと行こうとするキサルに、キッと鋭い眼差しをミレーヌは向けた。


「あなた方は、家政婦がいつかない理由を、自分たちの顔だの職業のせいだと本気で思ってますの? 本当にコレに何も感じませんの?」


 ん? と男たちは首をかしげた。

 ひどすぎると現実を突き付けたつもりが、この惨状を当たり前としている青年たちのナチュラルさが憎い。

 本気でわかっていない二人の顔に、クッとミレーヌは呻いた。

 この調子ではこの環境を改善するのに苦労しそうである。


「この訳のわからないゴミの山、即刻、撤去していただけません?」


 プルプルと震える指先で、よくわからない悪臭の原因を指し示す。

 温厚なミレーヌだったが、自分の顔つきがいつになく引きつっている自覚はあった。

 しかし「ゴミ!」とすっとんきょうな声をあげたものの、二人は当たり前の表情で「それはムリだ」と言った。


「何か問題があるか?」

「すぐに使えて便利だからねぇ」

「細かい事は気にしなさんな」

「そうそう、気にしないのが一番だ」


 朗らかに二人して笑うので、ミレーヌはどこが細かいの! とあふれだしそうな苦情を飲み込んで、ふうっと大きく深呼吸した。

 自覚がない者を責めても、責めと同じ強さの反発を生むだけだ。


 この人たちには言っても通じないと肌で理解する。

 しかし、汚部屋や汚館で生活などごめんこうむりたい。

 頼まれても嫌だった。


「家の中の掃除も間違いなくわたくしの仕事ですわよね? 好きにさせていただきますわ」


 目が座っているなと思いながら、デュランとキサルは顔を見合わせた。

 面と向かって苦情をのべられたのは初めてである。

 ちょっぴり問題がありそうだとは、これまで雇えなかった面々の表情でなんとなくは感じていたけれど、自分たちの日常で必需品だからそれほど問題だとは思えない。

 ここにある道具類には、魔物用の餌だの変装用の浮浪者の服だの妙な物が混ざっている。

 好きにしたくてもどうせ御婦人には触れもしないやと考えて、「全て貴女にお任せするのでご自由に」と二人して笑った。


 ハイ、と神妙な顔でうなずき、ミレーヌは拳を握りしめる。

 お任せされたがタイミングをつかまなくてはいけない。

 いついかにしてこの状況を改善するか、難題であることは理解した。

 汚部屋を便利だと言いきる神経が一番いただけなかった。


「ミレーヌさん、とにかくあなた方の部屋に荷物を置いて家の中を案内しよう」


 今にも掃除道具を持ちだしそうなミレーヌの顔を朗らかに笑っていなし、先に歩き出した二人はすぐに立ち止まる。

 ちょっと顔を見合わせた。

 デュランは手にしていたミレーヌ達の荷物をキサルに渡すと、玄関まで戻ってきた。


 ミレーヌは杖をついて歩くサリに肩を貸して、安全に歩ける場所を探していた。

 物が多すぎて足の踏み場を探すのも難しい。

 失礼、と言うなりひょいとサリを抱えて、デュランはスタスタと歩き出す。


「便利でも、少しは問題があったようだね」

 横をすぎる時にそんな声が残り、先を行く背中にミレーヌは不思議な感慨を抱いた。

 耳だけでなく足も悪い祖母を迷惑がらずに、ちゃんとこの人たちは受け入れている。


「あらあら、お若い方。こぉんなおばあちゃんで申し訳ないわねぇ」


 サリはニコニコ笑っている。

 その丸い笑顔に、ミレーヌも笑顔に戻った。

 引っ越しの説明では不安そうだったのに、どうやら気にいってくれたようだった。

 こんなに臭い汚物の山を見ても綺麗好きのサリが気にしないのだから、よっぽどデュラン達のことは信頼できるのだろう。


 目も耳も足も老女らしく不自由なせいか、サリは勘が鋭い。

 詳しく聞いたことはないが、人の本質を感じるらしい。

 サリがあの人なら大丈夫と評価した人は、今まで必ず大きな助けになってくれた。


 いくらのんきなミレーヌとはいえ、さすがに会ったばかりの武人を両手放しで信頼するのは難しい。

 でも、ずっと側にいる祖母を信じることはたやすかった。


 廊下に出ると、さすがに通路は綺麗に空いていた。

 それに一階にある台所や、そのそばに用意されたミレーヌ達の部屋も、とても清潔で片付いていた。


 しかし、二階から四階までにあるガラルドやデュラン達隊員の部屋の前にはもっとよくわからない奇妙な物が置かれていた。

 扉で隠された私室の中は、禁断の密室と化しているのは間違いなかった。


 恐ろしい、とミレーヌは怯えた。

 玄関を見た瞬間に汚館と想定したが、現実は想像を上回っている。

 薄汚れたゴミの山のせいで、空気がドロドロとにごっていた。


 この不浄の山に触るのも恐ろしいが、このまま放置して空間が汚染されるのはもっと恐ろしかった。

 こんな不潔で汚らしい物を平気で居住スペースに置ける神経がわからない。

 確かに環境の掃除はされているが、あふれている物が非常に血や泥や様々な汚れで穢れきっていた。

 早速で悪いけど昼はガラルド以外の十人がそろって食事を取るからと告げられたので、わかりましたわと答えておいた。


 まずは、そこから始めよう。

 人としての快適な生活を手に入れるまで、絶対に負けませんもの。


 何やら決意を固めてムンと非常に力を入れている様子に、また後でと笑ってデュランとキサルは早足に仕事へと去っていったけれど。

 その様子がとても不思議でミレーヌは眼をまたたいた。


 にじみ出る雰囲気は、確かに厳しい武人そのものだ。

 確かに遺体の側でもゲラゲラと腹を抱えて笑う不謹慎さはあったけれど、それは生死の狭間にいる武人の感覚なのかもしれない。

 それなのに話す時は必ず目をあわせて、人のよい笑顔をあたりまえに見せる。

 武の力を持たないミレーヌやサリを侮りもせず、違う生き方を持つ者として尊重していた。


 武骨で荒くれた傭兵のイメージを裏切って、よく笑う人たちだと思った。

 流派のことはよく知らないけれど、一生懸命サポートしようと自然に思える。

 ガシッとミレーヌは祖母の手を握った。


「おばあちゃん、わたくし、忙しくって引っ越しの荷物を片づけられませんの。無理はしなくていいから、任せますわね」

「ハイハイお仕事なのね?」


 のんびりサリは笑う。

 腕まくりをしてやる気をみなぎらせているミレーヌに、うんうんと何度もうなずいてみせた。


 後はよろしくねと早足で出て行った孫娘に、コロコロとサリは鈴のように笑う。

 ミレーヌが何をそんなに張り切っているのかまではわからなかった。

 おぼろにしか聞こえない耳には半分ほどしか届かなくて、自分の面倒を見れなくてごめんなさいと言うことだろうなと思っていた。


「ミレーヌは忙しそうだし、せっかくだから、荷物をほどいておきましょうかねぇ」


 のんびりとそんなことを呟いて、素晴らしい勘の良さを発揮したサリは片付けを始めた。

 ミレーヌの感じ方と、サリの感じ方はまるで違うのだ。


 突然の新生活に、見知らぬ若者たちとの暮らし。

 ここはきっと終の棲家になると予感して、ニコニコと笑っているサリであった。

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