第8話 容疑者の男子生徒、そして……

 部室を出ると、既に本校舎の影が長く伸びて地面を薄暗い色に染め上げている。僕と虹村はそのまま渡り廊下を歩いて本校舎に向かっていた。


「一応、これで一歩前進ってところかな。じゃあ次は明彦あきひこに女子テニス部員と親しくしている男子を紹介してもらうか」

「ああ、雲仙うんぜんくんに?」


 雲仙明彦はクラスメイトにして僕の悪友だが、どこの部活に所属しているわけでもないのに色々なところに知り合いがいて、こういう調べ事をするときには頼りになるのだ。


「あのう。ところで、月ノ下くん」


 振り返ると虹村がもの言いたげな表情で僕を見ている。不審に思った僕が彼女に返事をしようとしたその時、「おおーい。真守」と校舎の入り口のところで天然パーマでやせ型の少年が声をかけてきた。噂をすれば影というやつなのか。わが悪友、雲仙明彦がこちらに向かって手を振っている。


「やあ、明彦。頼んでいた件はどうだ?」

「俺の顔の広さをなめんなよ? テニス部員に詳しいやつをちゃんと見つけたぜ。一年生だけどな。教室で待ってもらっているから、早く来てくれないか」

「了解。すぐ行くよ」


 僕は虹村に「どうする」と問いかけるように目を向けるが「それじゃあ、月ノ下くんで話を聞いてきて。私はこれからクラス委員会の仕事もあるから」と首を振る。

「それじゃあ、わかったことがあればまた後で連絡するよ」


 彼女にそう答えてから僕は明彦のところへ小走りに駆けて行った。




 明彦に案内されるままに僕が連れてこられたのは一年B組の教室だった。彼がそのまま先導するように中に入ると教室の中に何人かまばらに生徒が残っている。その中の面長で鼻筋が通った顔立ちの少年に明彦が「よお、笹塚ささづか」と声をかける。


 携帯電話をいじっていた彼は「ああ、雲仙先輩。待たせすぎじゃないですか」とけだるい雰囲気で声を返す。どことなく軽い雰囲気だが、人付き合いには慣れていそうな風情だ。


「いやあ、すまん。それでこいつがテニス部のことについて話を聞きたいって言いう月ノ下って奴なんだ」


 明彦の雑な紹介を受けて、僕は軽く頭を下げる。


「どうも。時間を作ってくれて申し訳ない」

「良いですよお。それで? 女子テニス部を誰か紹介してほしいってことなんですか? 気になっている女子部員でもいるとか」

「いや、そういうんじゃないんだ。僕が知りたいのはテニス部に出入りできるくらいに親しくしている男子生徒がいないかってことなんだけれど」


 僕は笹塚くんに簡単に事情を説明する。女子テニス部で卒業生に贈り物をする企画をしていたが、誰かがそのTシャツを汚したこと。犯人は女子テニス部の部員である狛江さんの名前を騙って鍵を借りた男子生徒であるらしいこと。


「ふうん。そういうわけでしたか。……まあ、あれです。自分も結構、クラスの女子テニス部員と仲良くしてまして、たまに遊びに行ったりはしますけど、そんなことがあったんですね」

「それで、女子テニス部と親しくしている男子に心当たりってあるかな」

「噂とか直接知っている奴で女子テニス部に出入りするようになったって奴なら二、三人覚えがありますよ」

「本当に?」


 彼は頭を掻きながら名前を挙げる。


「えっと、一年A組の富士見ふじみってやつですね。なんか同じ中学だった子が女子テニス部にいるとかでその関係で親しくなったとか。後は二年で松原まつばらとかって先輩がテニス部女子と去年の文化祭の時に遊びに来てから寄るようになったって話を聞きました」


 一年の富士見。それに二年の松原か。


「その人たちって、例えば『昼休みに女子テニス部に行くこと』もあるのかな」

「ええ。何回かそういうこともしていたって聞きました」

「ありがとう」


 かなり有力な情報だ。僕は明彦にも軽く頭を下げる。


「助かったよ。これで犯人がわかるかもしれない」

「一つ貸しだからな」と笑いながら彼は親指を立てて見せた。





 その後、僕と明彦は教室にカバンを取りに行ってから昇降口で靴を履き替えた。


「しかし、あれだな。女子部員がたくさんいるんだったら、さぞ男子テニス部員は楽しい青春を送れそうなのにそんなにやりづらいのか」

「まあね。練習時間も圧迫されるだけじゃなくて力仕事も押し付けられたり、苦労している雰囲気だったなあ」


 僕らは今回の一件についてやりとりをしながら校舎を出て校門に足を向ける。


「でも男子部員たちが犯人ってわけじゃなかったんだな。その男子生徒は何の目的でTシャツを汚したんだろうな?」

「女子部員の間でも派閥があったみたいだから、その関係で嫌がらせに協力させられたのかもしれない。いずれにせよ笹塚くんから教えてもらった二人に会って、先週のTシャツが汚された日に何をしていたのかを訊こうと思うんだ。そうすれば……」


 思わず途中で言葉を止める。僕のポケットの中で携帯電話が着信していたのだ。表示を見るとかけてきたのは虹村である。


「明彦、ちょっとごめん。……もしもし? 虹村か?」

『ああ、月ノ下くん? 今、大丈夫かな』

「何かあったのか?」


 電話の向こうの虹村の声には、なんとなく言葉を選ぶように言い淀んでいるような雰囲気がある。


『あの、ええとね。……さっき言いそびれたのだけれど。今日、テニス部の一年生たちから話を聞いたでしょう。それで、あの喜多見さんっていう子が、男子生徒が部室の倉庫に出入りしていた時の状況を説明していたよね』

「……? そうだな」

『あの時、彼女は自分の右上の方を見ていたの』


 僕は虹村の言葉の意味が解らず首をかしげる。そんな僕の様子を察したわけでもないだろうが、彼女は補足するように言葉を続ける。


『人間はね。自分の記憶を思い出そうとするときは左上を見ることが多い。右上を見る時は答えを作り出そうとしている可能性があるの』

「え?」

『他にも手の仕草や声の調子にも、何かを誤魔化そうとしているサインがいくつか出ていたわ』

「それは、つまり……彼女は嘘をついていたってことなのか?」

『ほぼ確実にね。もっと言えば、私たちが探そうとしていた『Tシャツが汚されたときテニス部倉庫に出入りしていた男子生徒』なんて最初から存在しなかったんだと思う』


 僕は電話の向こうの虹村の言葉に言葉を失った。


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