第3話 終わりと始まり③

 私は頬に暖かい陽射しを感じ、ゆっくりと目を覚ました。特にこれといった異常はないみたいで、体調も悪くない。とりあえず今の状況を確認するため、上半身を起こして周囲を見渡す。


「あれ、まだ夢の途中……?」


 そこには見慣れた天井もベッドも無かった。代わりに萌黄色の草原が広がっている。空は青一色で染まっており、透き通るほどの澄んだ大気に思わず目を見張ってしまう。夢にしてはあまりにもハッキリとしすぎだ。それに風と一緒に漂ってくる、この土や草の匂い……どれも現実味に溢れてて、本物としか思えなかった。


「夢なんかじゃ、ない……!」


 もっと周りの風景を見ようとして立ち上がろうとした私を、いつもと違う感覚が襲った。体のバランスというか、重心の位置が明らかに異なる。寝ていた間に三半規管がおかしくなってしまったのだろうか。違和感の原因を探ろうとして身体を確認した直後、自分のものとは思えないほどの大きな声が口を衝いた。


「えぇぇぇ!?」


 大地を踏みしめていたのは幼い子供のような小さな足だ。腕も随分と短くなってる。胴体は見違えるように細くなってしまっており、特に胸なんかは"ぺったんこ"としか形容できない状態だった。元々大きい方でもなかったけど、これは一番ショックかも……


「どうなってるの……?」


 私は慌てて両手を背中や腰へ伸ばし、あちこちに触れてみた。やっぱりどの部分も子供サイズになっている。鏡がないのでどんな見た目になってるのかは分からないけど、おそらく10歳前後の背丈だと思う。


「……あ、でもお肌は超キレイだわ」


 肌のキメ細かさが今までと段違いだった。何より潤いがあるし、張りも凄い。それにとても色白で、自分の体なのに惚れ惚れしそうになる。スキンケアの苦悩が一気に吹き飛び、自然と頬が緩んだ。何らかの奇跡に恵まれた私は、突如として若返ったのかも……そんな妄想を巡らせながら、今度は背中の真ん中くらいまで伸びた髪を手繰り寄せてみた。


「ピ、ピンク色……しかも滅茶苦茶鮮やか……!」


 眩しいほどにキラキラと輝く桃色を前にして思わず目を疑う。会社員の身分でこんな斬新な色に染められるほどの度胸なんて私にはない。長さも普段よりも倍近いし、頭の理解が全然追い付かなかった。自身に何が起こっているのか知りたい一心で、頭の上にも手を這わせて確かめる。


「このモッフモフしたのって……まさか猫耳!?」


 手触りの良い獣毛に覆われた三角が、頭頂部の付近に2つ並んでいた。その代わり本来あるべき位置に耳がない。恐らく、私の聴力を司る器官は猫耳へ置き換わってしまったのだろう。しかも両方ともコブシ程度の大きさなためか、集音性が凄まじい。風で草の擦れる音などが鮮明に聴こえ過ぎて少し気持ち悪かった。


「服も変だし、何が何やら……」


 私が身に付けていたのは、無地の白ワンピースと布で出来た簡素な靴だった。どちらも味気なく、お世辞にも可愛いとは言えない。近所に住んでる小学生の方がもっとお洒落な格好をしてるんじゃないだろうか。少なくとも、日本ではこういった服が売り物として店頭に並ぶことなんて無いはずだ。

 子供同然の身体、モフモフな猫耳、桃色のロングヘア、RPGの初期装備を思わせる飾り気のない衣装……しばらく思案した結果、私はこれらが持つある共通点に辿り着いた。


「まさか、タイニーキャットが言ってたとおり"メル"の体ってコト……?」


 NeCOで操作していた自キャラクターの"メル"は、回復職ヒーラーを極めた女の子で、春をイメージしたスプリングピンクという鮮やかな薄桃色のヘアカラーが特徴だった。髪型は気分次第でコロコロ変えてたけど、サービス最終日はオーソドックスなロングヘアを選んでいたと思う。だとすると、今の私と"メル"の特徴はそれなりに一致する。

 NeCOの世界は容姿カスタマイズの自由度が高く、ピンク色以外にも黄緑やオレンジ色、ワインレッドなど様々なヘアカラーのキャラが存在した。あとはアクセサリという扱いで、アニマル耳やロボットっぽい翼などを付け加えたりもできる。

 実家で飼ってた猫が好きだった私は、猫耳風のヘアバンドや付け尻尾、そして猫っぽい赤色の瞳パターンを使って、メルの全身を猫尽くしな装いにした。恐らくそれが、頭から飛び出た獣耳の理由なんだろう。


「今から思うと、ちょっと属性を盛りすぎてたかも……」


 容姿だけじゃなく人前での振る舞いも含め、"メル"はあらゆる要素がリアルの私とは正反対だった。地味だの根暗だの言われる"中の人"のイメージを、根本からひっくり返したかったからだ。ただ、いざこうして彼女の姿になってみると、浮世離れした外見にどうしてもギャップを感じざるを得ない。


「異世界へ飛ばされる事になるなら、もうちょっと大人しめな外見にしておいたのに」


 ちょっぴり後悔しつつも、私は再び周囲を見渡した。ここは異世界という言葉がぴったり当て嵌まりそうなほど、日本と異なる点ばかりが目立つ。まずは眼前に広がる平坦な草原……自由気ままに生い茂っている草木はどれも見たこと無い種類であり、この時点で私の住んでいた街と違う事が分かる。

 頬を撫でる風は乾燥しており、湿度も低い。暖かくて過ごしやすいから問題があるわけじゃないけど、日本の四季を完全に逸脱してる感じだ。そして何よりも驚いたのが草原の向こう側に広がる鬱蒼とした森だった。巨大なモンスターが出てもおかしくない程に背の高い木々が密集しているその様相は、樹海と表現しても良いかもしれない。この小さな身体で迷い込んだら最後、二度と出て来られない気がした。


「こんなの絶対日本じゃないよね……どうしよ……」


 理解の範疇を超える事態を迎えてしまい、途方に暮れる。ここから無事に日本へ戻ることはできるのだろうか。元々の身体はどうなってるのか……とか、会社の上司は今頃私が無断欠勤した事を激怒してるんじゃないか……等、考えたくないことばかりが頭の中を埋め尽くしていく。


「あーダメダメ! 暗い事ばっかり考えるなんて、"メル"らしくないっ!」


 私は頭をブンブンと振り、不安を掻き消した。前向きで天真爛漫な性格――それが"メル"を育てるにあたって特に意識した事だ。こうありたいと願った理想の姿をロールプレイへ反映したに過ぎないけど、この身体を得た以上、彼女を裏切るわけにはいかない。今日から私は"メル"として恥ずかしくない生き方をしていこう。


「うんうん……体は軽いし、目もよく見える! 視点は前より低くなってしまいましたが、これはこれで悪くない気がしますよ!」


 "メル"の口調で呟きつつ、私は草原を歩き始めた。現実世界なら眼鏡無しでは1メートル先も見えない近視のはずなのに、今は随分と遠くの風景までくっきりと視る事ができる。これは地味に嬉しい。

 あと若返ったおかげか、体が物凄く軽かった。これならどこまでも歩けそうな気すらしてくる。試しに少しだけ膝を曲げてから垂直にジャンプしてみたところ、なんと数メートル近く飛び上がることができた。


「あはははっ、凄いですこれ!」


 まるで重力から解き放たれたような気分。そんなに力を入れていないのに、飛び跳ねるだけでフワフワと体が宙を舞う。着地の衝撃もほどんど感じないし、今なら漫画のスーパーヒーローみたいな動きだって出来るかも。


「さてさて、これからどうしましょう。まずはお話ができる人を探すのが先決でしょうか?」


 超人的な脚力のおかげもあって、行動範囲を一気に広げられそうだ。とりあえず、コミュニケーションが取れる人を探してみよう。ここに私が呼ばれた理由はタイニーキャットさんが言っていたものの、何をすべきかはハッキリしていない。この世界に迫る危機が何なのか……それを知るところから始めないと!


「新しい場所では情報収集が基本って、ココノアちゃんも言ってましたしね!」


 人がいそうな場所を見つけるべく、見晴らしの良い場所を目指して本格的に探索を始めた。ついでだし、歩きながら"メル"の職業ジョブやステータスを振り返ってみる。


「ジョブは慈悲深き枢機卿カーディナルだったから、今の私は回復魔法が使えてもおかしくはないはず……!」


 カーディナルはNeCO世界における唯一の教会――白の聖堂に属する最高位の聖職者だ。回復・蘇生・支援の魔法を扱えるので、主にパーティプレイを補佐する役割を担う。また聖属性の攻撃魔法も得意としており、アンデッド族や闇属性のモンスター相手でも有利に立ち回れた。

 とは言っても、戦闘系ジョブに比べると火力は微々たるものでしかなく、しかも打たれ弱くて耐久面に難がある。だから魔法に関係するステータスだけを伸ばし、回復と補助に特化させるのがセオリーとされた。


「……まあ、私は殴りヒーラーになっちゃったわけですけども」


 他のプレイヤー達から必要とされる人になりたい……そう思ってNeCOを始めたはず。なのに、"メル"はいつのまにか支援特化ヒーラーとは対極のになってしまった。支援できない事はないけど回復力に乏しく、何をするにしても中途半端だったりする。


「ソロ期間が長かったから、自力でモンスターを狩れる力が必要だったんですよね……うぅ!」


 NeCOを始めた当初、私はオンラインゲームに慣れてないのもあり、見知らぬ他人へ声を掛けるのが苦手だった。だから単身ソロプレイの期間が長く、スキル構成やステータスの割り振りもそれに合わせたものになっている。

 限られたステータスポイントをに割り振った結果、回復役にとって最も重要なが低いというポンコツヒーラーが出来上がったわけだ。


「そのせいでパーティーに加入させて貰えなくて、随分と苦労したものです……」


 意を決してパーティへの参加希望を出したのに、どこにも拾って貰えなかった悲しい記憶が蘇ってくる。もちろんヒーラー自体が不人気だったわけじゃない。殴り型である事が敬遠されたのだ。主流となっていた魔力&器用さ特化型に比べると肝心な回復魔法の効果量が低く、しかも詠唱速度が遅いのが致命的だった。


「この世界でも地雷ヒーラー扱いされそうで、気分が重いかも……っていうか、魔法はきちんと使えるのでしょうか?」


 回復職なのに、肝心の回復魔法が使えなかった場合、何の役にも立たない単なるケモ耳幼女になってしまう。世界を救うどころか、安定した稼ぎを得るのすら難しいかもしれない。日本での経験を生かして無双!みたいな知恵が回るほど賢くもない私は、行き倒れる可能性が高かった。ああ、不安のせいかもうお腹が減ってきた気がする……


「まずは、魔法を使えるか確認しないと……!!」


 小高い丘の上までやってきた私は、キョロキョロと周囲を見渡して人影がないのを確認した。いくら子供の見た目でも、魔法を試して不発するところなんて見られたくない。目視だけでは安心できないので、よく聴こえる獣耳をぴょこぴょこと動かしながら、風以外の音を拾い集める。


「ん……? 何か変な音が聞こえますね?」


 そう遠くはない所から迫ってくる異音をキャッチした。これは馬が地面を駆ける時の音かもしれない。時代劇で耳にした蹄の音とほぼ同じだ。現代では動物に乗って移動する人なんてまず見なかったけど、ここが異世界なのであれば乗馬による移動が一般的であってもおかしくはない。


「ひょっとしたら人に会えるかも!」


 淡い期待を抱いて音の方へと向かった私は、丘を超えたところで草原を突っ切る一団と遭遇した。馬に近い動物が3頭と、それらの上に跨る男性達――彼らの見た目は人間そのものだったけど、荒々しいデザインの革鎧を着込んでおり、いかにもRPGで登場する盗賊か野盗といった感じの風貌に見える。しかも腰には刀剣と思しき武器まで携えていた。顔付きも強面だし、これはちょっとまずいかもしれない。


「おい、見てみろよあれ! こんなところにの子供がいるぜ。しかも1人だ」


「本当だな。付き添いがいないところを見ると、迷子かなにかか? まあいい、ガキでも獣人ならそれなりに買い手がつくだろ。帝国へ連れて行けば奴隷商が買ってくれるだろうよ」


「ちょうど良い臨時収入になりそうじゃねぇか。憎たらしいエルフ野郎に邪魔された分まで稼ぐとするぞ兄弟共!」


 風に乗って不穏な会話が耳に入ってきた。私の存在に気付いた男性達は進行方向を変えて、こちらへ向かってくる。


「逃げるべきでしょうか……いやでも、異世界ジョークかもしれませんし……」


 幸か不幸か、異世界人との出会いは思ってたよりも早く訪れた。ひとまず幸運と言えるのは彼らが私と同じ言語――日本語か、もしくはそれに近いものを扱えるという点だろう。そして不幸だった事、それはさっきのやり取りが冗談なんかじゃ無かったという点だ。


「珍しい髪の色だぞ、こいつ。かなりの高値で売れるんじゃないか?」


「ああ、健康そうだしな。あとは傷が無けりゃ上出来だ。とっとと裸に剥いて、身体を確認しておこうぜ、ひひっ!」


 馬を降りるなり、こちらの逃げ場を塞ぐように囲む不審者トリオ。異世界にやってきて早々、私はとんでもない悪人達に目を付けられてしまった。

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