第3話 悪夢迷宮のしゃべる猫

「あれっ。夏海の家ってこっちじゃなかった?」


 曲がり角で別れると思っていた夏海が足をとめないので、モモは首を傾いだ。


「あ、そうそう。今日は買い物して帰るんだぁ。帰りにスーパーで卵と牛乳買ってきてって言われて。あっちに『メイヤーズ』あるでしょ?」


 メイヤーズは地元で有名なスーパーだ。全国規模ではないが市民はだいたい知っている。


「そうなんだ。私も何か買って行こうかな」

「いいじゃん、行こうよ。あそこ新作のお菓子も置いてくれてるし」

「最近だと何味? 抹茶?」


 オレンジ色の看板のついたスーパーまでたどり着くと、自転車置き場を通り抜けて中に入る。思えばこの時、外に誰も出てきていないのを不思議に思わなかったのが悔やまれる。


「抹茶味のお菓子ってさ、パッケージが緑に――」


 自動ドアを抜けて中へと入ると、その瞬間に景色が一変した。

 目の前に現れたのは緑のパッケージではなく、ジャングルだった。


「え!? なにこれ!?」


 振り返る。

 いましがた入ってきた自動ドアは無くなっていて、後ろにも緑のジャングルが溢れている。あったはずの道も無く、まるで唐突にジャングルの中に迷い込んだようだ。

 リアルな熱気が襲ってくる。あっという間に汗ばんでしまいそうだ。


「も、もしかしてこれってダンジョン……、夏海ちゃん!」


 夏海のいた場所へと声をかける。

 だが視線を向けた先に夏海はいなかった。


「……夏海ちゃん?」

「きーっ、ききーっ」


 下を見ると、茶色い猿が一匹。その胸元には見覚えのある、というか自分も着ているセーラー服のスカーフが巻かれている。


「夏海ちゃん!?」

「ききーっ」

「夏海ちゃーーーん!!」


 きーきーいいながら走り去っていく猿を追いかけようとしたものの、そのスピードは速く追いつけない。それどころか、猿は木の上に素早くのぼったかと思うと蔦を使ってジャングルの中に消えてしまったのである。


「早ぁっ!? ど、どうしよう、とにかく出口……。その前に夏海ちゃんを……!」


 鞄の中から、スマホを取り出す。

 ダンジョンを発見した場合は、緊急電話に連絡すること。だがあまりに焦りすぎて、もはやどこに電話していいのかわからない。110番だったか、果たして119番だったか。スマホを持つ手が震える。あたりからはきぃきぃ、ぎゃっぎゃっと何の声なのかわからない声があちこちから聞こえてくる。熱気のせいかじわじわと手のひらに汗が溜まる。ぶうん、と耳の側を通っていった虫の音に、思わずのけぞった。

 本当のジャングルになど行った事は無い。

 けれども本当のジャングルのように暑くて、湿気があって、虫も出てくるしあちこちから動物の声がする。

 ずん、と音がした。

 はっとしてしゃがみこんで身を隠すと、地面が揺れ、何か巨大なものが近くを通っていった。みしみしと木々を押し倒しながら、ぬっと巨大なゴリラのようなものが木々の合間に見えた。本物のゴリラではない。似ているが違うものだ。もっと大きくて、猫背のまま二足歩行だ。何かを探すように、キョロキョロと辺りを見ながら移動している。

 モモはそいつが通り過ぎるまで、口を押さえてできるだけ息を殺してやりすごしかなかった。木の根元から蟻が這い上ってくる。気持ちが悪かった。そいつが行ってしまうと、ガサガサいう音は遠ざかった。ようやく息をつく。

 はあ……とため息をついた瞬間、何か小さなものが茂みの上から落っこちてきた。びくっとしてそっちを見る。

 それは、げほっ、ごほっ、と激しく咳き込んだ。


「……ちっ。やっぱり一筋縄ではいかねぇか」


 猫だった。

 黒灰色の猫で、ボロボロのマントを纏っている。

 そして間違いなく猫だ。


「……」

「……くそ。力さえ戻ればな」

「猫が喋ったァ!」

「ああ!!?」

 

 いままで生きていて、そんなセリフをいう機会があるとは思わなかった。

 だからつい、自分でも作ったようなセリフだと思いながら言ってしまった。言いたかったからだ。

 しかしそれでも驚いたのは事実。


「ダンジョンだと猫も喋るんだ!?」

「ああもう! 人間かよ! おまえなんかに構ってる暇は無――」


 猫はボロボロの毛を逆立てて叫んだが、急にまたモモを見返した。


「待ておまえ。おまえ、ここが悪夢の迷宮だと認識できているのか?」

「えっ。悪夢の迷宮って、ダンジョンの事だよね? う、うん。わかるよ」


 あまりに猫が冷静に聞いてくるので、モモも冷静さを取り戻す。


「あっ、そうか。ダンジョンの中だから姿も変わってるんだよね。猫ちゃ……猫さんも元はちゃんとした人? もしかして、冒険者の人?」

「……」

「それならあのっ、夏海ちゃん――私の友達が急に猿みたいにっていうか、猿になっちゃって! ここから出るにはいったいどうしたら……」

「……」


 黒灰色の猫は、質問には答えずにまじまじとモモを見た。


「……なるほど。おまえ、『夢見人』の素質があるな」

「冒険者じゃなくて?」


 突然新しい単語を言われてもわけがわからない。


「お前、名前は?」

「……弓月桃花。みんなはモモって呼ぶけど」

「なんでユミヅキトウカでモモなんだ」

「桃の花って書いてトウカって読むから」

「……へえ!」


 黒灰色の猫が、その紫色の目を大きく見開いた。

 よくよく考えれば、猫の目が紫色だなんて――しかし、ここはダンジョンだ。なにがあってもおかしくない状況だったから、そんな違和感は見過ごされてしまった。


「いい。ますますいいな!」

「どういうことかわからないんだけど!?」

「こっちの話だ。それよりおまえ、ここから出たいのならおれ様と契約しろ」

「えっ、やだ……」

「やだじゃないが!?」

「やだよ! なんなの急に!? ネットで変な約束とか契約とかしないようにしましょうって小学校からやってるからね!?」

「かーっ、近頃のガキはめんどくせぇなぁ!?」


 猫はギリギリといまにも噛みつきそうな顔をした。

 意外と元の姿はおじさんなのだろうか。


「いいからおれ様と契約しろ! ここから出たくねぇのか!」

「そりゃ出たいけど!」

「じゃあ、契約しろっ! それが一番手っ取り早いんだよ! ……それともおまえ、トモダチを救いたくないのか?」


 モモはウッと言葉に詰まった。

 どうやら、わけのわからないものに助けを求めてしまったらしい。

 猫は、我が意を得たりというようににんまりと笑う。


「なら、おれ様と契約しろ」


 猫は笑わない。そんなこと、モモでも知っている。

 笑うように見えるのは、目を細めているのがそういう風に見えるだけだ。

 だけどその猫は笑っていた。悪魔のようだ。


「おれ様と契約をすれば、ここから出る手助けをしてやれる。トモダチも助けられるしここからも出られる」

「そんなこと言ったって」


 だがその時、ガサガサいう音がまた聞こえた。


「ひえっ」

「あのゴリラみてぇな魔物をどうにかする事だってできるんだ。さあ、どうする?」


 もはや選択肢は無いに等しかった。


「わ、わかったよ。契約する!」

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