27 高原の朝
「おはようございます」
合宿の集合場所になっている伊東駅には、いつも会議で見る人達の半分くらいが集まっていた。やはり、全員が参加できるわけではないみたい。
「おはようございます」
いつも通り、営業スマイルのイケコン。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
朝から爽やかな笑顔を見ていると、気分が上がる。けど、他の人もいるところで、あんまり馴れ馴れしくしないように気をつけないと。
「おはよう」
「あ、吉岡君。おはよう」
最後のデートから二週間ぶり。
「荷物、持とうか?」
「大丈夫だよ。ゴロゴロ引っ張っていけるし、重くないから」
一泊だけだから、ミニスーツケースには大した物は入っていない。それに、プライベート旅行じゃなくて業務出張なんだから、男子に荷物持たせているなんてあり得ないでしょ。
「それでは、皆さんそろったようなので、マイクロバスで移動します。こちらへどうぞ」
イケコンが先頭に立って、駐車場の方に歩き始めた。
メールで送られてきた日程表では、今日は昼食を挟んで夕方五時まで、ずっと最終取りまとめに向けた検討会になっていた。夕方六時から夕食を取って、後は自由時間。ロビーラウンジは、夜十時までお酒やコーヒーを飲めるので、自由に使っていいということだった。
明朝は六時から九時まで自由に朝食。検討会は十時から開始となっているけれど、変な注意書きが書いてある。
早朝HRに行かれる方は、六時半に正面玄関へ。
HRって、何だろう?
「ね、日程表に書いてあった早朝HRって、何?」
マイクロバスで、隣の席に座っている吉岡君に聞いてみる。
「近くのゴルフ場の早朝プレーに行くみたいだよ。ハーフラウンドでHR」
「ああ、ゴルフか」
懇親会の時にイケコンが言っていた、名門クラブに行くのか。ハーフなら二時間で回れるから、十時までには帰って来られる。そのために、朝はゆっくりな時間割になっているのね。
高槻部長と池田部長は、これが楽しみで来てるんだもんね。
「吉岡君は行くの?」
「行かないよ。ギリギリまでゆっくり寝てる」
「そっか」
朝から温泉に入れるみたいだから、私は、ゆっくり朝風呂でも楽しんでいよう。
「到着しました」
イケコンの声に、顔を上げて窓の外を見ると、大きな真っ白い富士山が緑の丘の向こうにそびえていた。
この研修所、絶景。
***
「そろそろお時間ですので、今日の検討会は終わりにします。明日の朝から、この続きで、要件一覧の未決定事項の採決をやります。どうも一日、お疲れさまでした」
一日中、朝から夕方まで、ずっと前に立って会議を進行していたのに、少しも疲れた様子を見せないのは、さすがイケコン。締めくくりのあいさつをして、若いコンサルタントと交代すると、前の方にある自分の席に戻ってきた。交代した若手は、手にしたプリントを見ながら話し始める。
「えーと、事務連絡です。このあと六時から夕食ですので、食堂にお集まり下さい。それまでは、お風呂に入っていただいても、お部屋でゆっくりされても構いません。ご自由にお過ごし下さい。温泉大浴場は地下一階です」
まだ五時で、一時間もあるから温泉に入ってこようかな。でも、夕食までメイク落とせないし、どうしよう。一度落として、お風呂上がってからまたメイクするの面倒だな……。
リップだけの手抜きでも、許されるかな?
「遠藤さん、六時までどうする?」
「温泉行こうかどうしようか悩んでる。どうするの?」
吉岡君は、うん、っと伸びをして、立ち上がった。
「俺も、温泉入ってこようかな」
男性は、何も気にせず入れていいな。
会議室にいる他の人達もみな、立ち上がってざわざわと動き始める。すると前の席にいたイケコンが、すっと近づいてきた。
「遠藤さんは、明朝はどうされます?」
「えっと、ゴルフですか?」
イケコンはニコッと微笑んだ。
「はい。もし興味があれば。参加フィーは事務局で一括支払いと聞いていますので、負担はないようですが」
事務局で支払いって、そんなこと許されるの?
まあ、でも本社のやることだし、口出ししても仕方ないか。
ゴルフは好きだけど、高槻部長達と回ったら、また自慢話に付き合わされそうで、あんまり気乗りしない。それに、そこそこできることがバレちゃうと、また誘われたりして面倒そうだし。
ここは遠慮しておこう。
「ゴルフはやめておきます」
「そうですか。では、早朝散歩にでも一緒に行きませんか?」
「え、狭間さんは、ゴルフ行かないんですか?」
てっきり部長達に付き合って、接待ゴルフに行くんだと思ってた。
「天城ハイランドの会員権を持っているのは、うちの営業部長なので。明日のゴルフは彼に任せます。それより、このあたりは、眺めが良くて気持ちのいい散歩コースがあるんですよ」
「ちょっと、ちょっと。狭間さん。なに勝手に誘ってるんですか」
吉岡君が、あわててさえぎる。でも、呼び方はプライベートではなく会社モード。
「吉岡さんも一緒に来ますか?」
にやっと笑っている。
「では、朝七時までに朝食を済ませて、玄関に」
「はい」
***
夕食会場の食堂は、シックな調度品と、クラシカルなピンクのテーブルクロスがかけられた四人掛けテーブルが並んでいて、まるで高級レストランのようだった。さすがエグゼクティブ向け施設。
温泉の魅力には逆らえず、ゆっくり入ってきてしまったが、ちゃんとメイクを直してきて良かった。この雰囲気ですっぴんというのは、さすがに気が引ける。
会議室と違って席の指定はされていないから、どこに座ろうかとキョロキョロしていると、吉岡君が手招きしているのが見えた。
「なんか、すごいね。ナイフとフォークが三セットも並んでるってことは、フルコースでも出てくるのかな?」
「そんな感じだね」
吉岡君の隣に座ると、黒いスーツを着た年配の男性が近づいてきて、飲み物はいかがしますかと聞かれる。
「吉岡君はどうしたの?」
「食前酒っぽいので、スパークリングワインにした」
「じゃ、私も」
テーブルに四人揃ったので、スープが運ばれてきた。カボチャのポタージュかな? ほんのり甘くて、美味しい。
「美味しいね」
「なんか、研修所の食事のレベルじゃないよな」
「ほんと」
「おお、吉岡君! 吉岡君!」
高槻部長が、入口からまっすぐこちらのテーブルにやって来ながら、声をかけてきた。珍しく声が大きくない。
わざわざ高槻部長が声をかけてくるのは、あまりいい予感がしない。吉岡君の顔も、ちょっと強張っている。
「はい」
「明日のハーフラウンド、君も参加名簿に入れておいたから」
「は、はい?」
目をまん丸にしている。
「あ、明日の朝はちょっと用事があるので」
「なに言ってるんだ。合宿の間は普段の仕事なんか忘れて、存分に羽を伸ばしたまえ。天城ハイランドみたいな名門コース、滅多に入れないぞ」
高槻部長はニコニコしているが、吉岡君は、あくまでも抵抗する構え。
「いえ、明日はちょっとダメなので」
「そうか。それでは仕方ない。しかし君が来ないと四人のパーティーに穴が空いてしまうな」
高槻部長と目を合わさないように、手元のグラスを見ながらスパークリングワインを飲んでいたが、やはりこっちに声がかかってきた。
「そちらの、遠藤さん、でしたよね。いかがですか?」
「え、私ですか?」
部長と一緒にラウンドするのは、さすがに勘弁してほしい。
「えっと、そんなに上手じゃないので」
「キャディは付かないので、多少のOBとかは気にしなくても大丈夫だし」
それはマナー違反でしょ。スコアごまかすようなことしませんから。
でも困ったな。なんて理由で断ろう。
「えと、あの……」
「部長、僕が行きます」
吉岡君が、さえぎるように強い声で割り込んできてくれた。
「ん? なんだやっぱり行きたくなったか。よし。六時半に玄関だから、遅れないようにな」
高槻部長は、ご機嫌で池田部長の座っているテーブルに歩いて行った。
「吉岡君、ありがとう」
「まったく、信じられないな」
まだ緊張でドキドキしている。スープを口に運んだけれど、すっかり味がしなくなってしまった。
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