20 お呼びじゃない!

 どうしよう。

 イケコンの時は、ついて行ってもいいかな、と思いながらも、吉岡君のことを考えて断ったけど。

 吉岡君の場合は逆に、急な要求でびっくりしたけど、じわじわと、行ってもいいかもという気分になってくるから困る。


「グラス、空いたね。飲み過ぎる前に出ようか」

「う、うん」

 それは断れない。


 テーブルに座ったまま、また吉岡君がクレジットカードで支払いを済ませ、バーの外の廊下に出る。フロントは、エスカレーターで降りてすぐのところ。

 このまま、本当にチェックインしちゃうのかな。

 いいの? ここでついて行って、後でイケコンに顔を合わせられる?


 カクテルの酔いでぼうっとなっているのと、恋人つなぎで手を握られているのとで、迷いながらも離れることはできずに、エスカレーターを降りていく。


 その時、一階ロビーの真ん中で大声を出している人の姿が、目に入ってきた。


 あ、あれ? あの二人……


 大声を出していたのは、寺崎先輩だった。

 相手の男の人は、必死になだめようとしているけど、先輩の勢いは止まらない。


「ふざけないでよ。こっちは、真面目にお付き合いする相手を探しているんだからね」

「ご、誤解です。決してそんなつもりじゃないです」

「なに言ってんのよ。見え見えの下らない投資の話ばっかりして。しかも、ハリボテの偽リッチだなんて、最低! せめて本当に金儲けてから、騙しに来いっての」

「いや、あの」

「帰る!」


 何事だろう? すごい剣幕に、すっかりこちらの酔いも覚めて、吉岡君の手を離した。

「あ、あの人って、もしかして?」

「うん。さっき話した先輩」


 ちょうどエスカレーターを降りたタイミングで、寺崎先輩は、こちらを振り向いて、ずんずんと歩いて来た。


 やばい。いま出くわしたら、すごく気まずい。


「あっ、佳奈ちゃん……」

「……」

 目が合ったけれど、寺崎先輩に、なんと声をかけていいのかわからない。見てなかったフリもできないし。


「あーあ、彼氏さんもいるのに、恥ずかしいところ見られちゃった」

「いえ、何も見てません」

「いいのよ、気を使わなくて」


 先輩は、涙を流していたようだけど、吉岡君の前に来ると、にこりと微笑んで会釈した。

「遠藤さんと同じ職場で働いている、寺崎と申します。お見苦しいところをお見せしてしまい、済みませんでした」

「いえ、あの、吉岡と言います。遠藤さんと同期入社で」

「伺っています。遠藤さんはいい子なので、よろしくお願いしますね」

 あの、よろしくお願いしますって、なんだか私の母親みたいなんですけど。


 先輩の後ろに、さっきの男の人がやってきて、困ったようにもじもじし始めた。それに気がつくと、振り向いて、決して大きくはないけれど、ドスの効いた声で威嚇する。

「ちょっと、まだいたの? あんたの投資話に用はないから、さっさと消えて」

「あの」

「失せろって言ってるの!」


 何があったのか知らないけど、こんな怒ってる先輩は初めて見た。


「じゃ、私はもう帰るから」

「あ、それなら私も」

 さっきまで、少しその気になっていたけれど、寺崎先輩の勢いを見ていたら、すっかり覚めてしまった。


「なに言ってるのよ! あなたは彼氏さんがいるんだから、まだ帰っちゃダメでしょう。チェックインカウンターは、あっち」

 フロントの方を指差している。吉岡君も、どうしたものかと戸惑っている様子。


「やだ、先輩。吉岡君と私は、そういう関係じゃありませんから」

「そうなの?」

「そうですよ。一緒にご飯を食べに行ったりはするけど、そういうのじゃないですから。ね? 吉岡君」

 複雑な顔をしている。さっきまで、恋人つなぎでチェックインしようとしてたんだから、急にお預けにされて、可哀想だよね。ごめんなさい。

 でも、勝負はクリスマスイブに決めるルールだから、まだまだ。


「軽く一杯飲んで、ちょうど帰るところだったんです。先輩も一緒に帰りましょう」

「それじゃ、ただの邪魔者じゃない。嫌よ、そんなの」

 先輩は、ぷっと口をとがらせて、肩をすくめた。


 寺崎先輩は、無理に笑顔を作って手を振りながら後ろを向いた。

「一人で帰るから。おやすみなさい」

 そのまま、すたすたとロビーを横切ってドアから出て、正面に付けていたタクシーに乗り込んだ。さっきの男の人は、もう諦めたらしく、いつの間にかいなくなっている。


「ごめんね。なんか、すっかり疲れちゃって」

「わかった。じゃ、俺たちもタクシーで帰ろうか」

 これから、電車を乗り換え、乗り換えで帰るのもしんどかったので、そうしてくれると助かる。夕方から、走ったり、歩き回ったり、濃い一日だったから、どっと疲れが出てきて足がぱんぱんだった。


「遠藤さん家は、どこ?」

「下北沢」

「そうか。じゃ、運転手さん、下北沢に行ってから、中目黒へ」

「承知しました」


 タクシーが出ると、ちょっと間を置いて話しかけてきた。

「さっき、あの先輩に、俺たちはそんな関係じゃないって言ってただろ」

「あ、うん」

「やっぱり、俺じゃ無理なのかな?」


 ごめんね。そういう意味で言ったんじゃないんだけど。今日は、さめちゃっただけで。


「ううん。あの直前まで、泊まってもいいかなって思ってた。でも、やっぱりルールは守らなきゃって、思っただけ」

 そう。クリスマスイブに決めるという花金のルールね。

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