第2話 隠しポケットは最低限のたしなみ

 おれがルフィオと出会ったのは、半年ほど前のことだ。

 おれはその時、氷の森で生贄にされかけていた。

 氷の森はおれの故郷、タバール大陸の南半分を埋め尽くす大森林。

 氷霊樹ひょうれいじゅと呼ばれる特殊な樹木で構成されていて、人間や動物はもちろん、魔物の類さえ、一週間も生きられないと言われる死の領域。

 おれを生贄にしようとしていたのは氷の森北限近くの国、ブレン王国の衛士達だ。

 王国南部の都市ゴメルの裏通りに小さな店舗を借り、細々と古着屋をやっていたおれは、押しかけてきた衛士達に「古着屋リザードテイルの店主カルロ! 盗品売買の容疑で連行する!」と言い渡された。


「どういうことです?」


 槍や棒を突きつけてくる衛士達を見渡し、問いかける。

 衛士とは王都から派遣されている統治官に雇われた下級役人のことだ。ゴメルの治安維持を担う存在だが、本当に盗品売買の容疑をかけられたとは限らない。

 ブレン王国の役人は、腐敗ぶりで有名だ。

 賄賂を強請ゆすりにきたとか、あるいは商売敵から賄賂をもらっておれを潰しに来たとか、可能性は色々考えられる。


「表通りの仕立屋ロイヤルドラグーンより、ロイヤルドラグーンから横流しされた布地をこの店で使っているとの通報があった」


 衛士たちのボス、衛士頭えいしがしらのオルダが言った。

 今のゴメル統治官ナスカと一緒にゴメルにやってきた騎士崩れの男で、軍人っぽい雰囲気の持ち主だ。


「ロイヤルドラグーン?」


 王都で修行をしたという触れ込みでゴメルにやってきた統治官御用達の仕立屋だ。

 統治官を筆頭とするゴメルの役人、羽振りのいい商人などを相手に商売をしている。

 貧乏人から安手で買い付けた古着を直して貧乏人に売ったり、貧乏人の服や靴、寝具などの直しで食いつないでいるおれとは客層が全然違う。

 そうなると、商売敵の線じゃなさそうだ。

 横流し云々についてはなんともいえない。

 ロイヤルドラグーンの関係者とは接点を持ってないが、近所の奥さん方やガキどもが節約やら小銭稼ぎやらで持ち込んでくるボロ着や端布はぎれの類はちょこちょこ買い取っている。

 そこにヤバいものが混じっていた可能性はゼロじゃないだろう。

 だが、偉いさん相手の商売してるロイヤルドラグーンで使うような布地を見ておれがわからないってのもおかしな話だ。

 そうなると、やっぱり賄賂目当てとみるべきだろうか。

 おれの店を取り巻いた衛士の数は、衛士頭のオルダを含めて十人。

 腕を怪我でもさせられたら飯の食い上げだ。下手な抵抗はしないほうがいいだろう。

 ささやかな袖の下でどうにかなることを期待したほうがいい。

 そんなことを思っているうちに、オルダが「連行しろ」と告げた。

 衛士たちに取り押さえられる前に、携帯用の裁縫セットをズボンの隠しポケットに忍ばせた。

 役人が腐ってるブレン王国は盗賊王国、強盗天国でもある。

 金目のものを分散させる隠しポケットは最低限のたしなみだ。

 素直に縛り上げられるつもりだったが、乱暴に引き倒され、縛り上げられて、頭からズタ袋をかぶせられた。

 荷車に積み込まれ、運ばれていく。

 やがて、妙だと気付いた。

 ズタ袋のおかげで距離感がわからないが、ゴメル中心部の統治府に向かっているにしては時間がかかりすぎている。

 そして、静かすぎる。

 雑踏の音はもちろん、鳥の声さえ聞こえない。

 市街を移動しているにしては、荷車の揺れ方もおかしい。

 嫌な感じがした。

 盗品売買の容疑をかけられた時点で充分ヤバいが、統治府よりもさらにまずい場所に連れて行かれているように思えた。


「どこに向かってるんです?」

「黙らせろ」


 オルダは軍人口調で言った。

 ひゅん、と音がして、槍の柄らしきものが顔を一撃した。

 口の中に血の味が広がる。

 気管に血が入り込み、咳き込んだ。


「咳き込ませるな。奴らに気付かれる」


 衛士たちがズタ袋越しに口を押さえてくる。

 鼻が血で塞がっているうえ、血で湿ったズタ袋を顔に押しつけられる格好だ。

 息が詰まる。

 もがいたが、どうにもできない。

 手足をおさえつけられたおれは痙攣しながら気を失った。

 静かになれば、生死はどうでもよかったらしい。とどめを刺されるようなことはなかった。

 意識をなくしたおれは、今度は平手打ちで息を吹き返した。


「気がついたか」


 オルダが目の前に立っている。

 頭のズタ袋は取られ、草原くさはらに立った柱に縛りつけられていた。

 深い森の中。

 背の高い針葉樹林の中に、巨大な氷柱が何本も突き立っている。

 森の向こうに、雪化粧をした山が見える。

 どこに連れてこられたのか、それで理解できた。


「何のつもりだ!」


 噛みつくように叫ぶ。


「氷の森じゃねぇか。なんでこんなところに連れてきた!」


 正面に見える山の名はイベル山。

 百年ほど前に発生した氷の森の暴走スタンピードに呑み込まれた休火山だ。

 つまりここは、氷の森の真っ只中。

 氷の森は、氷霊樹と氷獣ひょうじゅうと呼ばれる特殊な生物が支配する死の世界。

 普通の人間や動物、魔物では一週間も生き残れない。

 立ち入ってはならない。

 花を一輪摘み取れば呪われる。

 木を一本伐採すれば殺される。

 昔から、そんな風に言われている空間だ。

 何千年も昔に大陸の南端に現れ、それから着実に領域を広げ続け、今や大陸の半分を支配している。

 誰にも止められなかった。

 誰もあらがえなかった。

 そういうものだ。

 子供が悪戯で入ることも許されない。


「黙れ」


 オルダはおれの顎を殴りつけた。


「説明してやる。黙って聞け」


 また歯が折れた。

 咳き込み、口から血を出したおれを見下ろし、オルダは軍人風口調で言った。

 友好的ではないが、敵意もない。

 虫けら同然の相手に付き合ってやっている、とでも言いたげな雰囲気だ。


「先月のことだ。統治官ナスカ様のご子息、ドルカス様の率いる調査団がこの氷の森に入り、氷獣ひょうじゅうに遭遇した」


 待て。

 調査隊?

 正気の沙汰じゃない。

 氷の森は、森の中で生まれた氷霊樹、氷獣以外の存在を許さない。

 運悪く迷い込んだ程度なら助かった事例もあるが、能動的な調査、開拓計画などは例外なく、悲惨な結末を迎えている。

 調査団や開拓団の壊滅ですんだならまだいい方で、氷の森の暴走スタンピードを誘発し、地上から消え去った街や国も多い。

 なんでそんなバカな真似を、と言いたくなったが、また殴られるだけだろう。口には出さずにおいた。


「ドルカス様は統治府に帰還したが、それ以降、森が暴走スタンピードの兆候を見せ始めている。このままではゴメルはもちろん、ブレン王国そのものも暴走スタンピードにまきこまれかねない。これを鎮めるため、ドルカス様を除く調査団の生き残りと若い女、子供などを生贄に捧げたが、暴走スタンピードの兆候は収まる気配がない。そこでドルカス様と歳と背格好の近い人間をドルカス様の身代わりとして、ドルカス様の服を着せて差し出すことになった」


 話が見えてきた。

 氷の森の暴走スタンピードを止める方策の中で、最も安上がりな方法が生贄だ。

 氷の森を荒らした人間や、その身代わりの人間を差し出して、氷獣に食わせて許しを請う。

だが、統治官のご令息は出したくない。

 替え玉を仕立ててなんとかしようと考えたんだろう。

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