13 闇に蠢くもの

 夜、突然停電した。

 窓から外を覗くと街灯が消えている。隣近所も真っ暗だ。

 辺り一帯が停電していた。今月に入ってこれで三回目だった。


 昼間の猛暑がまだ残っている。切れたエアコンを恨みがましくながめて、

 窓を開け放して風を入れようとしたら今夜は何だか奇妙な気配を感じた。


 暗闇の中に何かがいるような、それがこちらをうかがっているような気がして

 わたしはしばらく目を凝らした。


 植込みの上に金色に光るものが見えた。

 あれはこの頃顔を見せる野良の三毛猫だろう。

 外がやけに気になって仕方なかった。


 そこへ「明日香、乾電池の買い置きがないのよ、行ってきてくれる」

 隣からおばあちゃんに呼ばれた。


 おばあちゃんは仏壇のローソクを何本も持ち出してテーブルに灯し始めている。

 なにかの儀式みたいで思わず笑ってしまった。

 

 またすぐに復旧するとは思うけど

 懐中電灯はすぐに使えるようにしときたいというから、

 近くのコンビニに行ってくることにした。

 

 外に出ると家の中よりは涼しかった。

 遅い月が病院の向こうに昇っている。

 満月から少し欠けた月が今夜はやけに紅く見えた。


 辺りは暗闇に沈んで物音ひとつしない。

 そのことにわたしは何も思わなかった。

 時間はまだ八時過ぎで寝静まる時間帯でもないのに、

 それは明らかにおかしいことだったのだ。


 自転車の灯りを頼りにいつもの道を走り始めた。五分も行けばもう見えてくる。

 あそこの店には自家発電機があるから停電だって大丈夫。

 前に誰かに聞いた覚えがあったから何の迷いもなく出たのだ。


 いつもより控えめな明かりの店はいつもよりひっそりしていた。

 入口をくぐると店内には誰もいない。レジにも誰もいなかった。

 乾電池のパックを二つ手にして「あの、すいません」と声をかけた。


 そこでなにか変だと思った。

 誰もこない。店員もお客も通りすがりの人もない。

 店の前の道路にもまったく人の姿はないし車の行き来もない。


 薄気味悪くなって商品をカウンターにわたしは店を出た。

 思い切り自転車を飛ばして帰ってきた。

 帰りの五分にも満たない時間がひどく長く感じた。


 帰りつくと家の中がひっそりしていた。

 玄関も縁側の窓も開いている。

「おばあちゃん、あのね、・・・」声をかけるが返事がない。


「おばあちゃん、おばあちゃん・・・」

 小さな子みたいに、家の中をうろうろ探し回った。

 いない。どこにもいないのだ。おばあちゃんが消えていた。


 あちこち開けっぱなしてどこへ行ったのだろう。

 急用でお隣りにでも行ったのか。

 心細くなってきた。背中に流れる汗が冷たくなってきた。

 と、そのとき


「一足遅かったか。奴が、来たんだな。」

 どこから声がするのか分からなかった。

 庭先だと気付いたときには暗がりの縁側に立っていた。


 部屋の灯りはそこまで届かないけれど誰なのかすぐに分かった。

 わたしはひとつローソクを手にして恐る恐る近付く。

 そこには細面の精悍な顔の白装束の人がいた。


 細身の身体は背が高く、そして、背中に白い羽が見える。

 これも天狗というものなのか。

 前に見た烏天狗よりよっぽど人だった。

 ただ音もなくふいに現れるそれはやっぱり人ではないのだ。


 それでもそれが高橋さんだと思ったから怖くはなかった。

 それに真っ直ぐこちらを向いているその目は穏やかで、どこかで天狗は、

 人に知恵を授けるものなんていう思い込みもあったかもしれない。


 だからわたしは落ち着いていられたのだ。

「おばあちゃんを、誰が連れて行ったの?まさか、あの、大嶽丸、とかいう・・・」

 目の前の人はうなずき「きっと、屏風岩だろう」とひと言呟いた。


 そして「亜紀ちゃんを助けに行く」というなり

 ふわりと宙に浮きふっと消えてしまった。

「待って、待ってください・・・」

 叫んでみたけれど何の反応もなかった。

 そのとき家中の灯りが点いた。電気が復旧した。


 呆然としていると表に車の音がして玄関に聞き覚えのある声がした。

「ごめんください、田中です、いらっしゃいますか?」



 そうして、わたしは彼の車に乗ってふたりで屏風岩を目指した。

 八月の紅い月には目もくれず。






















 



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