小さじ5杯 洗脳は完了している。

 ◇◆◇◆◇




 この異世界に来て、もうすぐ一年。

 朝の定番、新鮮卵かけご飯を二人ですする。


「はぁ、この卵多めのジュルジュル感がいいよね」

「んむ。醤油で卵黄の甘みが際立つな」

「醤油、万能だよねぇ」

「うむ!」


 王太子殿下の洗脳は完了している。

 もう私なしではいられない体にした。

 どっちかってと醤油なしではいられない体だけど。


「そこまでは堕ちてない」

「お昼はオムレツとだし巻き玉子どっちに――――」

「だしまき!」


 即答だった。


「堕ちてんじゃん」


 ニヤニヤ笑っていると、頬をグイッと摘んで引っ張られた。


「お前の故郷の味を、お前と食べたいだけだ」

「っ!」

「それから、そろそろ私のことを名前で呼べ」

「やだ」

「……ふんっ」


 最近は、王太子殿下が攻撃をしてくるようになった。

 名前で呼んだりしたら、何かおかしなことになるから、嫌だ。




 ある日の朝食時、侍女さんが王太子殿下に手紙を渡していた。


「またこの時期が来たか」

「あ……晩餐会?」


 この国は、王城で社交シーズン開始を祝う晩餐会があるらしい。

 王族は全員出席しなければならない。

 去年、殿下はそこで毒を盛られたらしい。


 他にも避けられない晩餐会で、幾度となく毒を盛られ暗殺されかけている。

 犯人の予想は付いているが、何もしないという。


「行くの?」

「義弟が楽しみにしているからな」


 殿下のお母さんは早くに亡くなっている。

 十年前に国王陛下が再婚し、新しい王妃が誕生した。そして翌年に第二王子殿下が生まれた。

 新しい王妃は、自身の息子を王位継承権一位にしたいらしい。


「義弟はまだ幼い。あの子が様々なことを受け入れられるようになるまでは、な」


 殿下にとって、歳の離れた弟はまるで自分の息子のように感じてしまい、王妃を断罪できずにいるという。


「自分の命を大切にしてよ」

「ん。そうだな。最近は、そう思うようにしている」


 そっと頬を撫でられた。

 下瞼に殿下の指が触れ、びっくりして瞬きをしたら、ポロリと何かが落ちた。


「泣くな」

「泣いてない」

「ん。そうか」


 そう、泣いてない。

 もうすぐ三十だもの。泣くわけがない。


 この日、王太子殿下は、ずっと私の頬を撫でていた。




 廊下があまりにも騷しくて、厨房から廊下を覗くと、魔道士と王太子殿下が何やら言い争いをしていた。


「――――ざけるな!」

「ですが、ご命令ですので」


 そこで二人と目があった。

 殿下はまるで苦虫を噛み潰したような顔。

 魔道士は少しだけホッとしたような顔。


「どうしたの?」

「聖女殿に招待状が届いております」


 安全の確認のため、中身は見たそうだ。

 この世界で知り合いなんて王太子宮にしかいない。

 諸々の安全のため、外に出たことなんてないし。

 買いたい物は頼むか、商人を呼んでもらうか。


「王妃殿下より、晩餐会の招待状が届きました」

「あ……うん」


 殿下は断固反対だったけど、出席せざるを得ないのはわかっているらしい。


 招待状を見て、思考停止しかけた。

 王太子を救ったというスープを晩餐会に出して欲しい、と書いてあったのだ。


「スープじゃないんだけど?」

「そこではないっ!」


 どうなるか分かってるのかと怒られた。分かってる。たぶん、私が作ったものに毒が入れられる。そして、それを殿下が飲むことになる。


「っ、ごめん」

「なぜコノハが謝る」

「私、助けに来たのに、反対に苦しめてる」

「既に助けられた。それに、大丈夫だ。手はある」


 そういった精神的負担を感じさせたくなかった、と謝られてしまった。この世界に呼び出してすまなかったとも。

 少し前に、向こうで色々あって女神のとこに呼び出されていた。たぶん関係ない、たまたまだ、と伝えていたのに。



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