第四十五話 ︎︎可愛い嫉妬

 翌日、午前五時。


 優斗が目を覚ますと、隣に律の姿は無かった。起き上がると身体は綺麗に拭かれ、大きなTシャツを着せられている。辺りを見回しても、昨日の夜脱ぎ散らかした服は片付けられていた。


 少し腰が痛いが、動けないほどでは無い。


 ベッドから降り、廊下へ出るとキッチンから物音が聞こえる。トントンとリズミカルに鳴るそれの合間に、鼻歌が混じっていた。昨夜、あれだけ激しく乱れたのに、鼻歌は上機嫌だ。


 その声に情事を思い出した優斗は紅潮する。初めての経験。初めての快感。暴かれる羞恥心と愛し愛される多幸感。


 律とどんな顔で会えばいいのか分からない。でも、どうしようもなく会いたい。昨日の事が夢ではなかったという実感がほしかった。


 おそるおそるリビングに続く扉を開けると、キッチンに律の背中が見える。逞しい首筋、Tシャツの上からでも分かる引き締まった背筋、筋張った腕。あれが昨日、自分の身体を犯したのだ。


 ぽ〜っと見惚れていると、律がその視線に気が付いた。


「優斗!」


 途端に満開に咲く笑顔。


 鍋の火を消して、トテトテと優斗の元へ近付くとするりと頬を撫で、額にキスを落とす。


「おはよ。身体は大丈夫? ︎︎昨日は無理させちゃったから、ごめんね。俺、嬉しくって自制が効かなくて。こんな事初めてで、びっくり」


 そう言って笑う顔は本当に幸せそうだ。しかし、優斗は少し悔しかった。自分は初めてだったのに、律は手馴れていたからだ。始終律に主導権を握られ、優斗は翻弄されっぱなしだった。


 それが顔に出たのか、律が顔を覗き込んでくる。


「優斗? ︎︎どうしたの。もしかして、ヤだった? ︎︎それとも痛かったとか……ちゃんとほぐしたんだけど」


 悲しそうに眉を垂れる律に、優斗は首を振って応えた。


「違う、そうじゃない。その、僕も嬉しかった。でも僕は初めてだったのに、お前は随分手馴れてたから。僕の他にお前の身体を知ってる奴がいるのが気に食わない」


 口を尖らせながら、律のエプロンを摘む。その仕草は、普段の優斗とはかけ離れていた。優斗は勝気なタイプだ。それが可愛く拗ねている。


 律はたまらなくなってギュッと抱きしめた。


「ズルいよ優斗、そんな可愛い事言うなんて」


 優斗の背は律の肩くらいまでしかない。すっぽり包まれて、遠慮がちに律の背中に腕を回した。


「なぁ、今は僕だけだよな? ︎︎他に誰かいたりは……」


 不安を乗せた声に、律はキッパリと言い放つ。


「いないよ。俺には優斗だけ。虫が寄ってきても叩き落とすから、安心して」


 その言葉で優斗はほっと息を吐いた。そのまま律の胸に顔を埋める。


「僕も、お前だけだ。人を好きになったのも初めてで、分からない事だらけだけど、お前を好きだって気持ちは嘘じゃない。その……また、抱いてくれるか?」


 瞳を潤ませて見上げる視線は、律を撃ち抜く。ぐぅっと喉を鳴らした律は抱きしめる腕に力を込めた。


「当たり前じゃない。もう押し倒したいくらいなのに、そんなに煽んないでよ」


 優斗の耳元をくすぐる声には切ない吐息が混じる。苦笑いしながらも、優斗はひとつの疑問を口にした。


「でもさ、お前自分の事お嫁さんって言ってなかったか? ︎︎それなら僕が抱く方だろう」


 その一言に律は顔を輝かせる。


「え! ︎︎優斗抱いてくれるの!?」


 意外にも乗り気な律の勢いに面食らいながら、優斗は躊躇ためらいがちに頷いた。


「そりゃ、僕だって男だ。好きな人を抱きたいって思うのは自然な感情だろう?」


 薄く頬を染めながら律を見上げると、感極まった様に鼻をすすっている。そして、優斗の肩に顔を埋めた。


「ありがとう……俺、嬉しすぎて死にそう。じゃあ、今度は抱く方を教えてあげるね。俺、そっちも上手いんだよ」


 その背を撫でながら、優斗も目の前の胸に頬を寄せる。


「……やっぱりムカつく。お前にそういう事教えた奴ら、全員殺してやりたい。僕が初めてなら良かったのに……」


 昨夜は可愛く鳴いていたのに、もういつもの口の悪さが出ている。


「大丈夫だよ。もう皆死んじゃってるから」


 クスクスと笑いながら言う律は、楽しそうで、しかし何処か憂いがあった。


「……俺ね、色んな人と寝てきた。求められたらどんな人でも構わずに。でも、気持ちいいと思った事、一度も無いの。生理現象として反応はするけど、それだけ。どれだけ尽くされても、尽くしても、満たされる事は無かったんだ。男も女も、それは変わらない。優斗だけだよ。あんなに求めたのも、求められたのも。ありがとう。大好き」


 囁きながら髪にキスを落とすと、優斗が顔を上げた。


「じゃあ、僕が本当の意味では初めてだって思っていいのか?」


 その瞳は期待に満ちている。それが可愛くて律はついばむように口付けた。


「うん。優斗が俺の初恋。自分の意思で抱いたのも、優斗が初めてだよ」


 律の答えを聞いて、優斗は花が綻ぶように微笑む。優斗にとっても、初めてのとびきりの笑顔だった。これほど心から笑った事は無い。いつも、他人との間に壁を作っていたのだから。


 家族さえも知らない、律のためだけの笑顔。


 そんなものを見せられて、我慢できる訳が無い。


 律が視界から消えたかと思ったら、腰を抱きかかえられ、優斗の足が宙に浮く。


「お、おい……なんだよ! ︎︎降ろせ!」


 暴れる優斗を抱えたまま、律は自室へ直行した。


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