鼓動をかさねて

倉名まさ

前編

 やわらかな日差しがアスファルトの上に降りそそぐ。

 まだちょっと肌寒いけれど、吹く風にはたしかに春の匂いが混じっている。

 目に映るなにもかもがまばゆく輝いて、でもかすむ空気はほんの少し眠たげで……。

 そんな一日だった。


 僕の前を歩く莉結りゆう先輩は上機嫌に鼻歌をうたっている。

 僕らの行く道は歩道がほとんど無くて、すぐ真横を何台もの車がびゅんびゅんと風を切って通り過ぎていくけど、気にするそぶりもない。

 白線の上で踊るような足取りで、軽快に進んでいく。

 僕はというと……、


「莉結先輩、まだつかないんですか?」


 先輩に付き合ったことをちょっと……いや、かなり後悔しはじめていた。

 今日は午前中が卒業式だった。先輩が制服に袖を通すのも、これで最後だ。

 送り出しの日くらいは言う事を聞いてあげよう、と甘い気持ちを抱いたのが失敗だった。


「もう少しだ。待ちきれない気持ちは分かるが、あとちょっとだけがまんしてくれ」


 莉結先輩はくるりと振り返って、屈託ない笑顔を見せる。

 少し強めの春風が、後ろに伸ばした長い黒髪とスカートの裾をはためかせる。

 そんな何気ないポージングもやたらと絵になる人だった。

 今日が卒業という特別な日だから、よけいにそう思うのだろうか?


「もう少し……って、その言葉もう何回も何回も聞きましたよ」


 僕はため息まじりに返す。

 たしかに日差しの心地良い日だけど、さっきも言った通り海沿いのこの道は歩道が狭すぎて、散歩に向いているとはとても言えない。


「今度こそほんとにほんとのもう少しだ。ほら、見えてきた!」


 先輩が指さした方を見やると……。

 道路が右に折れ、急カーブを作っている。その奥に切り立った崖がそびえていた。

 どうやら莉結先輩のお目当ての場所がその崖みたいだ。

 小走りになって駆け寄っていく。

 仕方なしに僕もその後につづく。


 近くまでくると、カーブの手前にガードレールの切れ目があるのが分かった。

 さらに、崖にはぱっと見では見落としてしまうような、小さな穴が開いていた。

 人ひとりがかがんでやっとくぐれるようなものだ。


「……先輩、この洞穴に入ろうっていうんじゃ」

「もちろんその通り。さっ、行くぞ」


 僕の戸惑いなんか意に介さず、莉結先輩はためらいもなく穴をくぐって、その向こうに姿を消してしまう。ハレの日に制服が汚れてしまうのもおかまいなしだ。 


 ……ここまで来てしまったら、他にどうしようもない。

 一瞬、先輩が振り返る前に一人で引き返してしまおうかとも思ったけど、そんなことしたら後が怖すぎる。

 意を決してしゃがみこみ、暗い穴の中に入る。と―――、


「……おおっ!?」


 思わず感嘆の声が漏れてしまうくらい、中は広々としていた。

 ちゃんとコンクリートでドーム状に固められたトンネルだ。

 昔は土木工事かなにかのために造られたものが、土砂崩れかで半ば入り口が埋もれてしまったのかもしれない。

 それなら“立ち入り禁止”とか“キケン”なんて看板の一つでも立てかけておけばいいものを、ルーズなもんだ。

 もしかして、莉結先輩が「ジャマだ」とどこかにやってしまったのかもしれない。

 ……怖くて聞けないけど。


「ついてきてるな、斗良とら


 先輩の呼ぶ僕の名前がトンネルにこだまする。


「はいはい。ちゃんといますよ」

「よしよし。目的地はトンネルの向こうだ。行くぞ」


 僕の前を行く、速足気味な足音が聞こえてくる。

 暗くて先輩の姿は影みたいにしか見えないいけど、その顔がウキウキと弾んでいることはかんたんに想像できた。


 トンネル内に明かりはなく、僕らの来た入り口と、反対側の出口から漏れてくる日の光だけが頼りだ。

 二人の足音がやけに大きく響いて聞こえる。

 こう暗くてひんやりしていると、異質な空間に迷い込んだような、背中がぞくりとする思いが湧いてくる。


「トンネル抜けたら過去の世界にタイムスリップとかしそうですね」

「なんだ、それは。SF小説か?」

「いえ。なんとなくそんなふうに思っただけです」


 莉結先輩の上げた笑い声が前方から聞こえてくる。

 

 出口の側は入り口みたいに狭まってはいなかった。

 丸くくり抜いたような出口の光が、だんだんと大きくなっていく。

 そして、とうとうトンネルを抜けた時―――、


「おお~!」


 もう一度僕は感嘆の声をあげていた。


 見渡す限りの蒼(あお)い空と海が視界いっぱいに広がっていた。

 学園からも見えるいつもの海だけれど、知らない場所から眺めると、とても新鮮に映った。

 足元には白い砂浜が広がっている。

 入江と呼べばいいのだろうか。

 崖に囲まれたような場所で、ビーチといえるような立派なものじゃないけど、暗いトンネルを抜けてきた僕には広々と感じられた。


「よくこんな場所見つけましたね」

 僕が素直に感心して言うと、莉結(りゆう)先輩は長身スレンダーなくせに、そこだけは豊かな胸を張り、ふんぞり返っていた。


「だろう。こんな素晴らしい場所なのに、ひとっこ一人訪れようとはしないんだ」


 たしかに。海水浴シーズンじゃないのはもちろんだけど、釣り人もいなければ沖に船影すら見当たらない。

 ここまでほぼ車道しかない道を歩いてこようなんて酔狂は莉結先輩くらいのものだろうし、近くに車を停められるような場所もない。

 特別の用でもなければ、まず訪れる人なんていないのだろう。


 車のエンジンもここまでは聞こえず、波の音が心地よいリズムを作るだけだ。

 まるで、いきなり先輩と二人で無人島に放り出されてしまったかのような、トンネルをの反対側とは隔絶された別天地だった。


「この景色を斗良とわたしで二人占めだ」


 莉結先輩は、日の光を反射してきらきら輝く海の水面にも負けないくらいの、とびっきりの笑顔を見せた。

 至近距離でその顔を見て、思わずどきりと胸が高鳴ってしまう。

 そんな内心に気づかれないように平静を装いながら、僕も笑顔でうなずき返した。


「僕もこの景色を莉結先輩と一緒に見られてよかったです。―――それじゃ」


 きびすを返した僕の肩を、先輩ががしっと掴む。


「待て待て。帰ってどうする」


 ちっ。ごまかしきれなかったか。

 内心舌打ちしつつ、僕は振り返る。


「……莉結先輩。その……ほんとに、ココでするんですか?」

「当然だろう。なんのためにひとけの全くない場所を見つけたと思ってるんだ」


 莉結先輩は、この後の行為を思ってか、興奮に頬を紅潮させ、息を荒く弾ませはじめていた。


「それに見ろ。こんな広い海を前にしてすれば、絶対に気持ちいいぞ!」

「でも……」


 僕はまだ、ためらいを捨てきれずにいた。


「ほんとに誰も来ないんですか? もし……途中で人が来たりしたらシャレにならないですよ」

「絶対! 誰も来ない。保証する! だから、さあ。早くしよう。時間が惜しい!!」


 もう言葉を交わす間もがまんならないというように、ショルダーバッグを地面に落とす。

 そして、莉結先輩は制服のブレザーを脱ぎ捨て、バッグの上に放った。

 ついで、胸のリボンをしゅるりとほどき、白いブラウスのボタンも上から順番に一つずつ外していく。

 衣擦れの音が、どこかなまめかしく響いた。


「ちょ、ちょっと待って」


 僕の制止の声を完全に無視してブラウスも脱ぎ捨てると、もどかしげな手つきでスカートのチャックを外し、それもすとんと腰から落とし、足を抜く。

 制服をすべて脱ぎ捨ててしまった莉結先輩は――――――

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