女の子になれますか?

幸せとは何か

生きる理由と死ぬ理由

産まれた、ただ意味も無く祝福されたのか呪われたのか自分には最初は分からなかった、生きるのが辛い死にたい死にたいだから変えようと思った。

自分は言わゆる出来ちゃった婚で産まれ物事ついた時には母親が居なかった、父親による不倫が原因だ、父親はパチンコに行き夜まで帰って来ない時もあり2つ年下弟と二人暗い部屋で静かに父親が帰って来るのを待った、勝った日には寿司屋に連れてもらった。


「お前の名前の『あおい』ママが産まれた時に女の子が欲しかったんだが、男で変わりに付けた名前何だ、意味はなぁ...」


その時自分は女の子なら良かったのかなと子供ながらに思った、その後も色々言っていたが頭には入って来なかった。

その後も泣いた時に男だから泣くなとか言われ女の子なら良かったのにと思った。


「入学おめでとう」


保育園を卒業して小学生になった、家から遠く離れた学校だった、何故離れた学校なの?と子供ながらに聞くとおばあちゃんがと言っていた。

卒業した保育園も近く後で気づいたが父親が仕事がある為におばあちゃんに面倒を見てもらう為電車に揺られて遠い学校へ通って居たのだ、当然父親の職場も乗っている電車の駅付近にあった。


「葵サッカーしようぜ!」


小学3・4年になり普通の男の子として楽しく遊んで居た、特に代わり映えもなくこのまま過ごせれば良いなと。

しかし人生は上手くは行かなかった、耳の病気が小学5年生頃に発覚したのだ、小さい頃から耳の形が悪いので手術した方が良いと言われていたのだが全く分かって居なく放置していたのだ父親も自分も。

更にいじめられる様になった、原因は分からないが6年生の子に目を付けらたのだと思った、耳の病気もありプールに入れず授業中に寝てしまう体質もありどんどん成績は落ちて行った。


「手術しましょう」


衝撃だった小学5年生の夏、医者からの宣告だった、自分はどうしたらいいのか不安だったがとりあえず受ける事にした。

無事成功したが1回目では終わらないと言われ呆然とした。


「こんばんは」


夜に玄関から女の人の声がした小学6年生、人生はどんどん下へと向かっていた。

どうやら離婚した母親を父親が説得して同居しようと持ちかけて居たのだ、父親の方のおじいちゃんおばあちゃんには内緒で。

母親は家事をしなかった、父親に言われたが軽度の知的障害との事だったが自分にはよく分からなかった。

母親との生活は苦痛だった、精神が子供に近く計算も掛け算もろくに出来ないような人だったからだ。

更に手術もあり精神不安定な状態が続いたが、遂に中学校へ入学した、少しは楽になるかと思っただがここからだった。


キーンコーンカーンコーン


学校のチャイムが鳴る授業の時間だ、中学校になると授業内容が難しくなる、特に苦手なのが英語だ、小学校ではまともに覚えきれず更に中学校になり難しくなり授業に全く着いて行けない、そしてその不安感は他の授業の足を引っ張り理科以外の教科の点数をズルズル下げていった。

父親にはサッカー部に入れと言われ仕方なくサッカー部に所属し大変な日々を送って居て気づいたら1年が過ぎ去っていた。

2年生になるとクラス替えがあり先生も変わったがいじめにあった、フケや太っていたり、対人経験も無く周りに合わせるのが苦手であっという間に標的にされた。

この頃に自分はもう一人の人格、女の人格を作り出すようになった母親が居なかった影響だろう、友達も居らず話しかけてもしつこいやつ扱い、絶望的に人の会話が下手だったので自分1人で話すようになった。

いじめは親に気づいては貰えなかったので自力で解決、先生の対応は酷いものだがいじめられなくはなった。


「葵〜何で高い声なのー!」


3年生の合唱コンクールの練習中、自分は女の子から注意された、皆んな声変わりを終えたのだが自分は他の人より高い声だったのだ。

低い声を出す練習をさせら結局合唱コンクールには隠れて出ずに終わった。

サッカー部は後輩も出来て試合もしたが結局負け大変なだけだった。


「工業高校とかどうだ?」


3年生の進路相談の三者面談父親にそう言われた、自分は何も考えて居らず分からずに。


「うん」


工業高校へ行く事が決まった、工業高校は偏差値も高くなくすんなり一般入試で合格する事が出来た、高校は家の近くになった母親が家事をやり始め弟も出来て高校にもなればおじいちゃんおばあちゃんに面倒を見てもらわなくても大丈夫になったからだ。


「わはは」


工業高校は漫画等のイメージ通り酷く荒れていた授業中に暴れたり携帯を弄るのは日常茶飯事だった、授業内容は簡単だ普通科よりも通常科目の授業が短い為に軽い、工業科目 (最初に選んだ電子系)が主に学ぶ授業となる、もちろんウエイトも高いので提出物を忘れると退学になるか赤点で補習になる。

葵ってさ何で声高いの?やはりここでも聞かれいじられた、何で言われるんだろうと自分は思ったが人と違うからのだと悟った。

部活へ入り適当にして過ごしていたら1年が過ぎ去って2年、耳の調子が悪くなり始めた頃1クラス分の人達が辞めたか留年した、話していた人もいなくなり少し寂しかったが、友達が出来た、個性的なメンバーだけど自分には楽しかったが、また目を付けられていじられる様になった、更に家では弟との仲は徐々に悪化し思春期特有のホルモンバランスにより死にたくなった。

父親とケンカや母親と父親のケンカに色々な事が重なり死にたいと思った、何で生きているのか分からなくなった、弟は暴言吐き、小さい弟は泣き叫ぶ、家庭環境は荒れていた。


「何で生きてるんだろう」


親から褒められた事は記憶に無く自分の意思で何かをやろうとした記憶も無い、何のために生きているのか分からなくなってしまったのだ。

人との関わりも無く孤独でつまらない人生泣いて死にたいと、そして死ねなかった故にそのままダラダラと高校を卒業して就職を果たした。

部活で楽しい思い出もありはしたがそれよりも悪い記憶で埋め尽くされたのだ。


「お前は何で出来ないんだ!!!」


怒号が空間を支配する、おじいさんに社長が怒鳴りつけて失敗を責め立てるいわゆるワンマン社長、ブラック企業に就職してしまったのだ、ダラダラと就職先を見つけずにギリギリになって就活したツケなのだろう、しかし親や両親のおじいちゃんおばあちゃんには期待されている、故に働くしか無かった。

学校で寝る体質は仕事場でも発揮され、ストレスが溜まりお腹を壊すようになった、理不尽な社訓に耐え切れず1年ちょっとで自主退職して病院へ行くようになった。

そして色々見ていて月日は流れ貯金も無くなり1年が過ぎた頃おばあちゃんおばあちゃんと話をして元気を得たり小説を書き始めてチャレンジする事で段々と前を向けるようになった、当然の如く大きい弟や両親からは色々言われたが責めるだけで特に褒められもせず苦しかったが外に出てみれば良い人は居たのだ、そしてある決意も固めた、社会復帰をしようと。

なかなか正社員の仕事は決まらずにアルバイトへシフトしたら見事に決まり収入が入る様になったのだ、そして「私」になる為に調べる事にした、ヤケだったかもしれないが精神的に中学から私の人格はあったのでもういっそそっちの方が良いかもと。

働いて居なかった期間にもういっそ死ぬなら変わってしまえば楽になるのでは無いかと考えたのだ。


「これとこれお願いします」


飲食店に勤めながら女性ホルモンに関する薬を調べ徐々にランクをあげて、行き止まりにさしあたった頃にあるページを見つけた。


「女の子の身体に近づく為に?」


そこである女性ホルモン系の薬を見つけて自分で試す為に買ってみたのだ、効果は本物だった何年も使ってる人のページだったので信用があったので期待通りに身体がちょっとずつ変わって行ったのだ。

これが私の始まり、そして変化と大変な日常への始まりでもありました。


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