やってらんねえ(2)




 実際のところ、板倉忠男は通知が来る前に既に自分が次の誕生日で「社会定年」を迎えることはわかっていた。


 12月の初めに隣の市の総合病院を受診した際に、医師から次回受診はないことを聞いていたからだ。

 医師はレントゲンとCTの写真を見ながら、板倉忠男に影が少し大きくなっていると説明した後、次回受診で細胞を取って検査をしてみましょうかと口にしたが、記録を取っている看護師が板倉さんは2月24日に75歳の誕生日を迎えますと医師に伝えると「ああ……」と言った後、すぐに事務的な声で2月23日までの分の薬をこれまでと変えずに出します、と言った。

 板倉忠男に付き添っていた介護支援専門員が酸素濃縮器の返却について何か聞いていたが、取り扱っている企業に手続きは確認してくれ、処方は出す、と言われているのを板倉忠男はぼんやりと聞いていた。

 ショックか、と聞かれればショックだった。

 そうか、とうとう来たか。というのが正直な感想だった。

 そして間に合わなかったか、とも。


 そうしたこともあり、坂中町からの通知を見ても板倉忠男に大して動揺はなかった。

「社会定年」の通知がきた後も、板倉忠男の毎日に大した変化はない。

 寝て起きて飯を食べ、TVを見てタバコがあればタバコを吸う。

 昼から酒を飲んでもいいが、酒が勿体ないのでなるべく日が暮れてからちびちびと飲む。

 昔ほど酒を飲んでも楽しい訳では無い。

 ただ、酩酊すると、眠りに落ちる前にほんの一瞬、重苦しい現実と今に至った過去を僅かに忘れることができる。そのわずかな一瞬のために飲むようなものだった。


 順風満帆な人生ではなかったが、道をたがえたきっかけを思い出すと、調子に乗った己の過ちに対する後悔と諦めしか浮かんでこない。



 北陸の実家から関東のFラン大学に進学した板倉忠男は、大学在学中にパチスロに通い始めた。

 大学で知り合った友人とも言えぬ顔見知りに誘われ、最初は暇つぶしだったが、初めて打ったサンダーVの、いきなり止まった三連Vの大当たりで完全にスロットにハマった。

 そしてリプレイ外し等技術介入要素のあるパチスロである程度結果が出るようになった板倉忠男は、パチスロ一本で喰って行こうと夢を見た。

 1990年代後半から、パチスロで喰うスロプロという存在がぼちぼち出始めていた。パチスロ雑誌などもコンビニに多数置かれ、そのライターとして活動したりマンガのモデルになった名波誠や射駒タケシなどの有名スロッターも出てきて、板倉忠男も彼らに憧れた。


 就職氷河期真っ只中でパチスロ三昧だった板倉忠男は大学卒業後就職できず、大学時代から住んでいたアパートでそのまま暮らしながらビル清掃のバイトで生計を立てつつパチスロに通う日々を送っていた。

 だが、バイトの収入よりもパチスロの勝ちの方が多くなった時、バイトを辞めてパチスロ一本で喰っていくことにした。

 そもそも、本気で立ち回ろうとしたら、バイトをしている時間は無いのだ。幾つかのホームと言えるスロット店の出玉をチェックし、次の日の設定を予想する。その店の設定師の傾向を読まなければならない。そして、高設定が入るだろうと予想した台を確保するには開店前から並ばなければならなかった。


 CT機、AT機など4号機黄金時代は十分に喰えた。月間の収支が200万円を超えたこともあった。ただ板倉忠男はしっかりと収支表を付けるようなきっちりとした性格ではなかったのでマイナスになった月も当然あったが、何となくのドンブリ勘定でもやっていける程度には金は続いた。

 タバコやビールには困らなかった。景品交換でカートンやケースで手に入ったからだ。スロットを打っている間はタバコを吸いまくり、閉店後はコンビニに寄ってつまみを買い、アパートの部屋で浴びるように好きなだけ飲めた。

 また、昼間スロットを打っている夜職の女性たちとも仲良くなり、閉店後に彼女たちが働く店に飲みに行ったり、流れで男女の関係になったりもした。

 そうした享楽的な生活だったが、それができるくらいには稼げていたし、普通にあくせく働く人々に対して優越感を感じたりもしていた。もっとも、それは劣等感の裏返しで強がっているだけであったのだが。


 だが、そうした生活もパチスロの射幸性が抑えられる規制が入った5号機の時代になると、徐々に収支は落ち、不安定になっていく。


 一気に20万円、30万円と勝てた頃は気にならなかった家賃等の支払いが徐々に気になるようにようになる。毎月口座から引き落とされる健康保険料、社会保険料が溜めた金を削りに来る。

 負けた日などは、電車などの移動費も残さずタネ銭に突っ込み、2時間かけて歩いてアパートに戻った時もあった。

 一日中台に貼り付いてレバーを叩きボタンを押す動作が、勝っている時は気にならなかったが、出ない時間が続くようになると疲労し肩が凝っていることを嫌でも自覚するようになる。

 タバコも本数が多くなる。朝の開店から閉店まで打っていると3箱行くことが普通になった。缶コーヒーで口の中のいがらっぽさを流しながら、当たりが引けなければイライラして吸い、当たれば当たったでゲン担ぎで吸った。


 勝てなくなるとパチスロからは客足が遠のく。客足が遠のいた店は徐々に高設定を入れなくなり、更に客は離れる。パチスロ自体が徐々に下火になっていく中で、40歳になった板倉忠男は何度も就職しようと流石に考えてはいたが、働ける自信はなかった。

 もう20年近く気ままな暮らしをしてきてしまった。

 他者とは軽い世間話をするだけ、それも話題の殆どはパチスロ絡みのこと。一般社会の交わりの中で、自分が他者と何を会話しているのか想像がつかなかった。


 そんな中、ホームにしている店の一つがついに閉店した。

 軍団と呼ばれる、集団で設定の入った台を占拠するパチゴロたちに目を付けられた結果、一般客が完全に離れたからだった。


 その店が閉店する前に、板倉忠男も軍団とトラブルになっていた。

 朝の台取りの際に板倉忠男が狙っていた台に置いたタバコを軍団の打ち子がどかして台を横取りした。それを板倉忠男が抗議し、つい先に手を出してしまったのだが、店の店長は軍団の打ち子の肩を持つように板倉忠男を咎め、店から追い出した。

 店長からすると軍団も板倉忠男も、一般客に座って欲しい高設定台を掠める同じような存在として見られていたということだった。

 失意の板倉忠男は店から出ると、追っかけて来た軍団の打ち子数人から暴行を受けた。今度俺らの前に現れたらこんなもんじゃ済まさねえからな、と地面に這いつくばった板倉忠男に捨て台詞を吐くと、軍団の打ち子たちはまた店に戻って行った。


 板倉忠男は屈辱と理不尽さと情けなさで、40歳過ぎなのに涙がにじんだ。

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