第9話

 広場から大通りを抜けた先にある、アマルセアの港。

 そこから響く喧騒を、ルーデットは黒く底の見えない瞳でジッと見つめる。


 大通りから広場へと逃げてくる人々の会話によれば、どうやら港に『化物』が出たらしい。

 押し寄せる人の波を避けながら、ペルーシュカは揺れるナースキャップを慌てて押さえていた。


「ば、化け物って、こんな街の真ん中に? どういうことでしょう」


 自分達も逃げるべきか……ペルーシュカはサーラと顔を合わせておろおろ。

 けれど、ルーデットは騒然とする広場において、一人だけ彫像のように思案。


「……怪我人が増えられても困るな。少し様子を見に行くか」


 言うなり、ルーデットは人の流れに逆らって港の方向へ歩き出した。


▽▼▽

 

 大通りをぬけると、大型の帆船が係留された港へと至る。

 海には陽が落ちかけ、赤々と陽光を反射。

 鼻孔にムッと押し寄せる潮の香りは、海原からの荒っぽい挨拶のようでもある。


 倉庫が立ち並び、商人と船員が行きかう活気に溢れる一角。

 けれど、今はそこに騒然とした空気が張り詰めていた。


 ルーデットは人ごみをかき分けて進むと、一人の男性の肩を叩く。

 振り向いたのは、顔なじみの木工ギルドの親方。ルーデットの顔を見るなり、髭だらけの顔にぎこちない笑みが浮かんだ。


「おお、魔女先生。お久しぶりですな」

「親方、ご無沙汰です。この騒ぎは一体、どういうことでしょう」


 ルーデットが訪ねると、木工ギルドの親方は顎で港の一角――食料品が運び込まれる倉庫を指した。

 ルーデットが見れば、倉庫の扉は開け放たれており……その中から、のっそりと巨体が姿を現した。


「あれは……魔獣ですか」


 細い目を大きく見開くくらいルーデットが驚いたのは、そこに港町とはかけ離れた生物が居たから。


 全身を堅牢な深緑色の鱗で覆い、尖った瞳孔で周囲を威嚇。

 巨大な口を開き、倉庫に収められていた肉塊を丸呑みするのは、体長七メートルを超える巨大なトカゲに似た生物。


 ただの獣や爬虫類の類では無い。

 頭部に二本の角を高々と輝かせるそれは、”魔獣”と呼ばれる危険な生物。 


「なんであんな生き物が……もしや、船で何者かが持ち込んだのですか?」


 ルーデットが訪ねると、木工ギルドの親方が苦々しい表情のまま頷く。


「どっかのバカが密輸したんだろうさ。薬か魔術で眠らせて、木箱に詰めて運んできたんだ。で、運悪く何かの拍子で目が覚めちまって、今は暴れまわっているってことらしい」

 

 魔獣とは、その体内に大量の魔力を有し、野性の動物とは比べ物にならないくらい危険度の高い生き物。

 その分、魔獣の生き胆や鮮血は高い効果を持つ呪具として高値で取引されていた。


 目の前で暴れるデカいトカゲも、きっと鮮度の高い状態で解体するため、生きたまま他国より密輸された生物。


 人口の多いアマルセアに、トラブルはつきものだ。

 自治都市を守る自警団も組織されており、有事には即座対応できるように訓練されているはずなのだが――。


「とにかく、このままじゃ港が荒らされちまう……兵隊が、あんな調子だしな」


 木工ギルドの親方が呆れるのは、アマルセアの自警団。

 集まった自警団員は、デカいトカゲを前におっかなびっくり近づき――青白い舌が「しゅるる」と伸びだしただけで驚いて後退。

 見慣れない魔獣相手に、苦戦しているようだった。


 ルーデットの記憶が確かならば、グリーンの鱗と頭部の角――そして七メートルを超える巨体を持つトカゲと言えば、湿地帯の隣国、草創国リグラントに生息するリグラント・ゲッコーがそれにあたる。

 基本的に雑食で大人しく、人を襲うことは少ないと言われているが――街中で暴れて許されるはずが無い。

 

 ルーデットは情けない自警団を眺めながら、色素の薄い唇で軽く笑った。


「仕方がない。私がなんとかしましょうか」

「お、魔女先生、やってくれるかい」

「不本意ですが、アマルセアは私の第二の仕事場。荒らされては困りますからね」


 港だけでは無い。

 今、通ってきた大通りには義肢の部品を作成してくれる各種工芸ギルドが並んでいる。

 そこに被害が出ては、義肢の作成や施療院の仕事に大きな問題が生じる。


 嘆息しながら肩をすくめるルーデットは、黒い長髪を揺らして歩き出す。

 人混みをかき分けて前に進み出ると、集まった人だかりから「魔女先生だ!」と歓声があがった。


「いちいち、騒がないでほしいな……トカゲよりも目立ってしまうじゃないか」


 あまり、目立つのは好きじゃない。

 煩いし、不躾な視線は不愉快だし――何より、ちょっと恥ずかしい。

 そんなルーデットの隣。

 同じく進みだしたペルーシュカが、腰に手を当てて「むん!」と鼻息荒く佇んでいた。

 ルーデットの敵は自分の敵。そんな様子で、チビナースも一緒にリグラント・ゲッコーを睨む。


「ペル、私があいつの動きを止める。頭でも蹴っ飛ばして、気絶させてやれ」

「わっかりました!」


 元気よく答えるペルーシュカ。

 ナース姿のまま、その場でジャンプして義肢の調子を確認。

 夕日に照らされ、小麦色のショートカットが力強く輝いた。


 ルーデットは呼吸を整える。

 まずは、牽制。

 右手を高らかに掲げると目を浅く瞑り、口中で呪文を詠唱。

 夕日に向けて伸ばす手。そこに輝く五つの指輪リングのうち、人差し指に入れた青宝玉の指輪が輝いた。


 と、同時に。

 港で波打つ海面が、いきなり隆起。

 湧き立つ水面は、そのまま巨大な一滴の水玉となり、ふわふわと宙に浮かびあがった。


 家一軒を丸ごと洗えてしまいそうなほど、それは巨大な水の塊。

 目の前で起こる不思議な出来事に、野次馬から歓声があがる。


 良くも悪くも、アマルセアは賑やかな街。トラブルを楽しむ度量の広さを持ち合わせた街の人々にとって、荒っぽい事件は最高の娯楽。


 ルーデットは苦笑いしながら、魔力で作り上げたデカい水滴をリグラント・ゲッコーに向けて発射。


 大口を開けて牛肉の塊を飲み込もうとしていたリグラント・ゲッコーは、押し寄せる水塊の直撃を受け、そのまま倉庫の先へと押し流される。

 

 人気の少ない倉庫群の端っこにデカいトカゲを追いやると、そこからはペルーシュカの出番。


「トカゲさん! 倉庫を壊しちゃダメですよ!」


 ペルーシュカは石造りの床を踏み抜くと、体位を低く突撃。

 その速度は一気に疾風となる。

 そのまま加速からの、低い跳躍。

 小さなナースキャップが、餌を狙う鳥のように中空を鋭く駆ける。


「はぁああァあアあああああっ!」


 腹の底から声を絞り出すと、ペルーシュカは全力の蹴りを真横に振り抜く。

 堅牢な義足”特殊義装”が、リグラント・ゲッコーの横長の頭部を直撃。

 

 馬よりも巨大なトカゲだが、巨体は蹴りの勢いのまま吹き飛ばされ、積まれた木箱の列へと突っ込んだ。

 豪快な土煙が舞い上がると、リグラント・ゲッコーは丸い瞳をぱちぱちと瞬かせて、ゆっくりと巨体を起こす。


 一撃では倒せない。

 でも、効いている。


「よし、このままもう一撃……ッ!?」

 

 追撃を加えようと、腰を落とすペルーシュカ。

 しかし、チビナースの動きが止まった。


 こっそりと巨大トカゲを見に来たのだろう――積み荷の影に隠れた子供の姿を見つけたから。


 人数は二人。兄弟なのか、五歳くらいの男の子の後ろに、隠れるようにもう少し年齢の低い子供が震えて隠れていた。


 奇しくも、子供は倒れたリグラント・ゲッコーの視線の先に立っており、意識を取り戻した巨大トカゲは、真っ先に小さな人間の兄弟を捕捉。


 蹴られた恨みとばかりに、子供に喰いつこうと巨大な口を「ぱっくり」と開く。


 離れて見つめる聴衆から、悲鳴が溢れた。

 慌ててペルーシュカが駆け寄ろうとするが、リグラント・ゲッコーの尻尾が暴れて接近を阻む。


「ちっ、親は何をしているッ。子供が喰われるぞ!」


 苛立たし気に吐き捨てながら、ルーデットが駆けだ――そうとした時。

 

 小さな影が、野次馬の中から飛び出した。


 影は地を蹴り飛び上がると、積み荷の上を曲芸のように移動。

 高く積み上げられた荷から、別の積み荷へ。


 まるで、獣の身のこなしで積み荷の間を駆け抜けると、小さな影はリグラント・ゲッコーの眼前に着地。

 影はそのまま、二人の子供を両腕に抱えると、高く跳躍。


「ばくんっ!」と巨大トカゲが口を閉じる直前で、子供を助け出していた。

 

 一瞬の出来事。

 倉庫に集まる野次馬はおろか、ルーデットでさえも驚いて声を失う。


「ペルちゃん! 子供は無事だよ!」


 子供を助け出した小さな影が、倉庫群の外れからペルーシュカに叫ぶ。


 声の主は、サーラだった。


 一応、彼女は獣人。

 今まで獣人らしい素振りなど一度も見たことは無かったが――その身のこなしは、獣の名を関する種族らしい、超人的なもの。


「サーラちゃんっ!? い、今の動き、凄いね……でも、これでっ――!」


 危機が去ったことを確認すると、ペルーシュカは瞳に再び闘志をともす。


 噛みつこうとした人間が急にいなくなったことで、リグラント・ゲッコーは首を捻って不思議そうに目をぱちぱち。


 そんな間抜けな横顔に。

 ペルーシュカの全力の蹴りが、再び強襲した。

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