第7話

 エルムンド施療院の朝は早い。

 日が昇ると同時に、患者たちの食事の支度が慌ただしく始まる。

 城中の窓が開け放たれ、夏の日差しが薄暗い城内を温かく照らし始めた。


 と、忙しいナースたちをよそに、ショートの金髪、蒼瞳のチビナースがルーデットの寝室を訪れた。

 朝だというのに、その顔にやる気を漲らせたペルーシュカである。

 ここに住み始めて三年。まだまだ見習いナースのペルーシュカだが、大切な仕事を任されているのだ。


「ルーデット様、起きて下さい! 朝ですよ!」


 言いながら、寝室にずんずんと進み入る。

 ルーデットの寝室は、もともと城主が使っていた豪奢なもの。

 天蓋付きの大きなベッドは厳めしく、床には毒々しい真っ赤な絨毯が敷かれている。

 壁には初代院長にして、ルーデットの祖父であるエルムンド魔導爵の肖像画が飾られていた。何から何まで、威圧的な寝室である。


 けれど、そんな寝室にルーデットの姿は無い。

 代わりに、ベッドの上には寝具を丸めたような謎の物体が存在した。


「もう、ルーデット様は寝相が悪すぎです! なんで毎朝、お団子になっているんですか!」


 ベッドの丸い物体――羊毛の毛布を剥ぎ取ると、中から「ごろんっ」とルーデットが現れた。

 ルーデットは薄手の寝間着を一枚羽織っただけの姿。

 長い足が艶めかしくベッドの上で伸び、薄い生地の下で慎ましやかな胸が浅く上下している。


 そんなルーデットが目を覚ます気配は無い。

 普段は医者として朝から晩まで働き続ける彼女だが、その代償として眠りはとても深いのだ。


「サーラちゃん、お湯を持ってきて下さい! このまま、顔を洗っちゃいます!」

「は、はい」


 恐る恐る寝室に現れたのは、お湯の注がれた洗面ボウルと、それを乗せたカートを押す獣人の少女、サーラである。


 昨晩、ルーデットは自身が仕える公爵、ズオウ五世よりサーラの監視を申し付けられた

 ただ監視するだけなら、どこかの部屋に閉じ込めておけばいいだけのこと。

 しかし、それではサーラが可哀そう。それにここ――エルムンド施療院は年中人手不足。

 そういう訳で、ルーデットは昨晩、就寝前にペルーシュカを呼び出し、翌朝よりナース見習いとしてサーラの面倒を見るように頼んでいた。

 現在、サーラは獣耳をナースキャップに、尻尾をナースドレスに隠しており、見た目だけなら獣人とは分からない。

 サーラも助けてもらった恩に報いるため、施療院で働くことを快く了承してくれていた。

 

「ルーデットさん、よく眠っていますね……」


 ナース姿のサーラはルーデットの寝顔を覗き込みながら、ちょっと苦笑い。

 目つきが悪く、女性にしては長身で威圧感たっぷりのルーデットだが、寝顔はまるで子供だった。

 

「見た目に騙されてはいけません! 放っておいたら、昼まで寝続ける快眠モンスターですよ!」


 言いながら、ペルーシュカは青い瞳を「むっ!」と吊り上げ、ベッドの上でルーデットの上体を起こす。

 そして、ゆっくりとルーデットの体を前に倒すと、サーラが運んできたお湯を張った白磁のボウルにそのまま顔面を突っ込んだ。


「ごぼごぼごぼ」と湯の中で泡を吐くルーデット。

 けれど、なかなか目覚めない。ペルーシュカはそのまま、三十秒くらいルーデットの顔をお湯につける。


「あ、あのルーデットさん、死んじゃいますよ?」

「心配無用です。これくらいしないと本当に起きないんですよね」

「そう、なんですか」


 と、サーラが驚いていると。

 今までぴくりとも動かなかったルーデットの体が、びくんっ! と跳ねる。

 反応を確認すると、ペルーシュカはようやくルーデットの顔をお湯からひきあげた。

 タオルで顔を拭いてあげると、ルーデットの瞳が半分だけ開く。


「…………む」

「おはようございます、ルーデット様」

「………………おはよう」


 寝ぼけ眼の主に、ペルーシュカは深くお辞儀。それを真似して、隣のサーラも頭を下げた。

 ルーデットはぼさぼさの黒髪を手で雑に梳かしながら、半分だけ開いた瞳でしぱしぱと瞬き。


「……目が覚めん……顔でも洗うか」

「もう、洗いました!」

「…………そうか」

「朝ごはんの準備が出来てます!」

「…………ここで食べる」

「かしこまりました。サーラちゃん、食堂にいって、朝食を運んできて下さい!」


 ペルーシュカが言うと、サーラは「はい!」と元気よく返事。

 ぱたぱたと早足で寝室を後にした。


「…………誰だ、いまの」

「サーラちゃんです! 拾っておいて、忘れないで下さい!」

「…………そうだったな」


 寝起きのルーデットは、とにかく全ての機能が低下している。

 この施療院の主でありながら、自分一人では着替えも出来ないくらい動きが鈍く、頭が回っていない。

 朝のルーデットの相手は、他のナースが嫌煙するほど大変な仕事。

 だけど、ペルーシュカは大好きな主の意外な一面を見ることが出来て、ちょっとだけ嬉しかった。


▽▼▽


 エルムンド施療院では、一日を通して患者のリハビリが行われる。


 ここに集まるのは、義肢を必要とする大きな怪我を負った人たち。

 腕の良い外科医であるルーデットの噂を聞き、新たな体を手に入れるため、大陸中から患者が集まってくるのだ。


 今日も古城の特性を利用し、様々なリハビリが行われていた。

 

 広い回廊や長い階段を利用して行われるのは、義足を着用した歩行訓練。

 城の中庭では義手の練習をするため、患者達が慣れない手つきでクワや鎌などの農具を扱う練習をしている。


 大怪我をした兵士は、もう戦場には戻れない。義肢の扱いに慣れたら、生まれ育った村へと戻り、農業に従事することになるからだ。


 昼の小休止の時間、サーラはリハビリに励む患者たちを眺めながら「ほぅ」と小さく息をつく。

 患者への食事の準備、衣類の洗濯、医療器具の消毒……波のように押し寄せる業務は、午前中という時間を一瞬で押し流してしまった。

 サーラは先輩であるペルーシュカの後にくっついて回り、仕事を覚えようと必死。


 疲れた……そんな感情は、とても久しぶりのような気がした。


「ふぅ、午前中は忙しかったですね!」


 中庭の隅っこ。

 日陰に座って休んでいたサーラの隣に、ぽすんっ、と金色の髪が腰を下ろした。

 くりくりと大きな蒼瞳を笑わせるのは、ペルーシュカである。

 

「あ、ペルーシュカさん」

「お昼ごはん、一緒に食べましょう! はい、サンドイッチ」

「あ、ど、どうも」


 ペルーシュカからお昼ご飯を貰うと、二人並んで仲良くサンドイッチにかじりついた。

 質素な食事も、労働の後には美味しさがひとしお増しているように感じる。

 しばらく、二人は黙々と昼食に齧りつき――不意に、サーラが口を開いた。


「あの、ペルーシュカさん」

「なんでしょ」

「えっと……今更ですけれど、助けて下さってありがとうございます」

 

 それは十歳くらいの小さな女の子とは思えないくらい、甲斐甲斐しい台詞。

 ペルーシュカは笑みを浮かべたまま、首を横に振った。


「お礼を言うならルーデット様に、ですよ。顔はおっかないですけれど、本当に優しい方なんですよね!」

 

 商人の馬車からサーラを乗せ換え、この施療院へ連れてきてくれたのは、他でもないルーデット。

 最初は「面倒ごとに首を突っ込むつもりはない」と難しい顔をしていたが、蓋を変えてみれば、大して事情を聞きもせず、サーラに仕事を与え、ここに住まわすよう計らってくれた。


 そんなルーデットとペルーシュカの優しさに触れたせいか……サーラの表情が少しだけ曇る。


「ごめんなさい。私、あんまり自分のこと、お話しできなくて……」


 サーラは唇を薄く噛んで、俯く。

 命の恩人に、自分の身の上すら語れない。

 そんな良心の呵責が、サーラの心に氷の塊となって鎮座していた。


 けれど、ペルーシュカは「気にしないで下さい」とサーラの肩を優しく叩く。


「秘密は、誰にだってありますから……大切なのは、そんな『秘密』に振り回されないことです。胸の奥にしまっておくだけだと、秘密はいつか、勝手にそこから出て行っちゃおうとしますからね」


 青い瞳に、温かな輝きが生まれる。

 まるでお姉さんにでもなったように、ペルーシュカは腕を組んで自信たっぷりにサーラに言った。

 

「困っていることがあったら、私とルーデット様に相談して下さい。そうすれば、抱えている重荷が少しは軽くなります。もちろん、今すぐに、とは言いませんから」


 真っすぐな笑顔。

 ペルーシュカはいつだって笑顔に不思議な力が宿っている。

 それはしょんぼりと落ち込んだ顔のサーラが、自然と笑顔になってしまうような、不思議な力。


「ペルーシュカさん……ありがとう、ございます」

「いえいえ。そうだ、私のことはペルって呼んでください! もう私達、お友達ですものね!」

「は、はい。ペル、ちゃん」

「いいですね、その調子です! それでは、午後のお仕事も頑張りましょう!」


 サンドイッチを口に放り込むと、ペルーシュカは元気に立ち上がる。

 サーラも一緒に立ち上がると、二人は並んで歩きだした。

 先輩ナースと後輩ナース。

 肩を並べる二人の背中は、どこか姉妹のようにも見えた。

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