第1話

南方から来た騎士団長(その1)

   

 そろそろ夏も終わるという頃。

 ドアに設置されたベルがカランと乾いた音を立てる。今夜もまた一人『妖狐ようこ亭』に客が訪れたのだ。

 ガッシリとした体格で、横幅に応じて背丈も大きい。年の頃は三十代半ばだから好青年と呼ぶには少し老けているが、短く刈り込んだ茶髪と彫りの深い顔立ちからは、そんな印象を受ける者もいるだろう。

 ただし、着込んでいる物は穏やかではなかった。金属光沢も眩しい銀色の騎士鎧であり、兜こそ被っていないものの、ほぼ全身が覆われている。


「おいおい、物騒な格好じゃねえか。この店に討ち入りか?」

 入り口近くのテーブルで飲んでいた男が、騎士鎧の来客を見て、わざとらしく目を丸くする。

 ちょうど男に酒をいでいたグレンダ――オレンジ髪の女給――は、冗談だと承知しながらも、苦笑いを浮かべてツッコミを入れた。

「嫌ですよ、お客さん。討ち入りだなんて、そんな恨みを買うようなこと、うちはしてませんからね」

 彼女は入り口の方には背を向けていたので、遅ればせながら「いらっしゃいませ」と振り返ったのだが……。

「あっ、クラウドさんじゃないですか! じゃあ女将おかみさんを呼んでこないと……」


「クラウドさん……? 常連か?」

 グラスを持ったまま、小首をかしげる男。既に酔っているらしく、グラスも一緒に傾けてしまうが、幸いほとんどからになっているため、中身をこばさずに済んだ。

 そんな男に対して、隣のテーブルから声が飛んでくる。

「お前、知らないのか? 今噂のアザッム伯爵、そこの家の騎士団長さんだよ」

「アザッム伯爵……? ああ、あの!」

 男は驚いて、今度は本心から目を丸くする。危なくグラスを落としそうになるほどだった。


 一方グレンダは、そんな会話に注意を向ける余裕もなく、女将おかみのリンを呼びに行こうとするが……。

 その必要はなかったらしい。グレンダが動き出すより早く、リンが駆けつけていた。

「クラウド様、お久しぶりですね。遠路はるばるお越しいただき、いつもありがとうございます」

「いや、王都に来たのは他に用事があったからだ。さすがに『妖狐ようこ亭』だけのために来たわけではない」

 と苦笑するクラウドに対して、

「王都を訪れるたびに立ち寄っていただける。ただそれだけで十分、うちにとって光栄ですわ。さあさあ、こちらにどうぞ」

 リンは温かい笑顔で返してから、席に案内するのだった。


――――――――――――


 客たちの会話にあったように、クラウドは騎士団長として伯爵貴族に仕えている。

 彼の主人であるアザッム伯爵は、南方に領地を持つ貴族だ。若くして当主になったので、まだ二十代の半ば。王都エンドアの行政府で大臣の職にいており、家臣のほとんどを領地に残したまま、王都で暮らしていた。

 最初のうちは小さな仕事ばかり回されていたけれど、今から三ヶ月ほど前、初の大役として、建国記念式典の総責任者に任命される。

 十年に一度、王宮で盛大に行われるイベントであり、国中くにじゅうの貴族が一堂に会するという。前回の式典では、まだアザッム伯爵は十代の子供だったが、病床に臥せっていた父の名代みょうだいとして参列。しかしあくまでも参列者の一人に過ぎず、いざ式典を運営する側の立場になると、当時の経験などまるで役に立たなかった。

 暗黙のルールのような決まり事も多く、大臣の重鎮であるキリンガルム侯爵の指導を仰ぐことになったが……。


「おや、まだ花飾りの手配も出来ていないのですか? 先日教えたでしょう、材料となる花の育成に時間かかるから先に発注しておきなさい、と」

「はい、忘れていました。申し訳ありません、今すぐ手配します」

 キリンガルム侯爵は頻繁に、教えてもいないことを「教えた」と言ってくる。

 最初は「聞いていません」と抗弁してみたが、キリンガルム侯爵は受け付けなかった。「言い訳は見苦しいですよ」「間違いなく教えましたからね」などと言って、絶対に非を認めないのだ。

 どうやらキリンガルム侯爵は、本当に「教えた」つもりらしい。もう高齢なので、少しボケてきているのだろう、ならば若い自分の方が、キリンガルム侯爵に合わせてあげるべき。

 アザッム伯爵はそう考えて、最近では「自分が忘れた」ということにしている。キリンガルム侯爵に問題を指摘されてからでも対応は間に合うタイミングであり、大きなトラブルにならなかったからだ。

 しかし……。

   

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