第7話 出現

 12時15分。わたしたちはシェフィールド大学に到着する。

 シェフィールド大学。約3万人もの生徒数と、数々のノーベル賞を輩出する世界有数の有名大学だ。

 そんな大学の周りには白衣をまとったおじさんと、兵器の設置準備をしている軍人たちがたむろしていた。


「おーい、カノン。こっちだー!」


 声の先にはジャックとアルがいた。


「お出迎えありがとう。現場まで顔を出すだなんて、あなたも大変ね」


「現場指揮はわたしがやることになっていてな。まったく、グルーヴには困ったものだよ。ささ、警察長に顔を出しに行こう」


 わたしたちは大学の門前に設置されたテントに案内される。そこには多数の無線機器がずらりと並べられており、ひっきりなしに警官たちが応対をしていた。


「あら、マレットさんじゃない」


「おおカノンの嬢ちゃん。そっちも巻き込まれた口かい。いやなに、特変課はこういうの得意だろってさ。おっと……」


 奥からしかめっ面をした鷲鼻の男が現れる。


「警視庁所長殿、今回の悪魔騒動に際し迅速な避難活動の実施感謝いたします」


「こちらこそ。すでに4キロ周辺の避難は完了しております。それでジャック殿今回のエクソシストは?」


「わたし、カノン・フラウトが務めさせていただきます。軍と警視庁の皆さんは、後方で避難民の警護を。こちらからはアルバート・ハープソンと、わたしの弟子カインをつけます。彼らの指示通り行動してください」


(おいおい、あいつらがあのヘドロを駆除すんのか?)


(知らないわよ。けど、上の指示だから仕方がないでしょ)


「承知しました。では、ご武運をお祈りしております」


 テントを出ると、わたしは両手を空に挙げて少し伸びる。


「相変わらず、僕たちは信用されていないね」


「仕方がないわよ。あれがなんなのか彼らには知らされていないのだから」


「ほんとうに大丈夫かい?」


「悪魔のことはエクソシストに任せておきなさい」


 わたしはハルシオンの研究者に繭の情報を貰う。

 波形や熱源反応は徐々に高くなっている。おそらく今日の夜には羽化が始まるだろう。

 わたしは繭の前に立ち、タバコに火をつける。


「ここは禁煙ですよ」


「いいじゃない。誰もいないんだし。で、どう?はじめて悪魔の繭を見た感想は?」


「なんかこうフライパンの焦げというか、タールというか……」


「フフ……言いえて妙ね」


「繭なら無防備だと思うんですけど。なぜ攻撃しないんです?」


「攻撃が通らないのよ。燃やしても火を呑みこむし、クレーンで潰してもアームが吸収されるの」


 そのため繭になった悪魔は完全に攻撃を無効化した状態と言える。そこにいるのに殺せないのは実に歯がゆいものだ。


「それに吸収したエネルギーが悪魔の受肉を早めるという説もあるんだ。まったく、嫌になっちゃうね」


「アルバートさん。完全にこちらがアウェイなんですね」

「ま、この程度で引き下がるような人じゃないことはキミもわかっているだろう?」


「何しに来たの。冷やかしに来たわけじゃないんでしょう?」


「アンノウンについてだ。カノンは来ると思うかい?」


「おそらく現れるでしょう。どんな目的であれ、受肉体を見逃すとは思えないわ」


 トンネルにウテルス体の悪魔を集めていたのは考えるに、おそらくアンノウンの目的は悪魔勢力の増大と陽動と考えるべきだろう。


「姉妹弟子には連絡はついたのかい?」


「メールを送ったのが昨日だから、来るかは不安ね」


「OK。まあ市民の警護は僕とカイン君に任せて」


「ええ、こっちも任せなさい」


 わたしは待機用のテントに入り、受肉の時まで体を休めた。



 テントの幕を勢いよく開く金具の音が鳴り響く。


「悪魔が目覚めます!」


「そう、今から行くわ。さあ、狂奏曲を始めましょう」


 太刀の紐を右肩からかけ、魔道具の最終確認を行う。

 繭は波打ち、怪しい光を放っていた。周囲にいた警察や軍人の撤退はすでに終わっている。ここにいるのはわたしと繭の中で眠る悪魔だけだ。

 繭は岩のように硬化すると、蜘蛛の巣状に亀裂が入る。

 轟音とともにはじけ飛び、中から人型の悪魔がゆっくりと降りてくる。

 らせん状の線が何層にも重なった太い腕と、足の大きさが不適なその見た目。


「我が名はベルトス。人間よ蹲え」


「ご挨拶どうも。じゃあこちらも。わたしはカノン・フラウト。あなたが最後に出会う、人間よ」


 挨拶を済ませたところでわたしは最初からWarpを発動し、ベルトスとの距離を一気に詰める。

 受肉体を前にして能力を出し惜してはいけない。能力、魔道具をフル活用してこそ倒せる相手なのだから。

 人間に対する油断によって防御が手薄になっている。わたしは右手の氷の嬢王をベルトスの左手に突き刺す。刃を軸にしてWarpで得た勢いで飛び蹴りを顔めがけて繰り出す。


(硬いな……びくともしない)


 ウテルス体であれば吹っ飛ぶとはいかないまでも、仰け反るぐらいの反応はあった。しかしコイツは一切動かず、目はわたしを見続けていた。


 「いい速さだ。だが、我を倒せるほどじゃない」


 凍り付いた左腕でわたしの足をつかみ、ごみを捨てるように投げる。しかし速度は馬鹿にならない。すぐさま大学の柵にザックトレガーの糸を伸ばし、勢いを殺す。

 刃のとおりが悪かったか。


「ハッ、相手の力量を図らずして戦えるかっての」


「であれば、手加減をしていると?おもしろい。人間とは実に愚かで煙のようだ。ならば見せてやろう、我が力を!」


 ベルトスはその太い腕を虚空に放つ。

 距離はそれなりに離れていたが、右こぶしはわたしに向かって真っすぐに飛んでくる。

 いきなり飛んで来る拳を糸を巻き取り回避する。横から見て初めて気づいた。

 拳が飛んできたのではない。収縮しらせん状に収納していた腕を引き延ばしたのだ。


「ボーっとするなよ、人間!」


 すぐさま片方の腕が飛んでくる。糸が巻かれる勢いを利用しているためか、ブレーキはすぐにはかからない。左拳が私の右腕を穿つ。

 わたしは違和感に内心驚いていた。それは腕が伸びたことではない。

 殴られたはずなのに痛みを感じないのだ。


「おまえ、何をした」


「これが我の能力だ。束縛、我が攻撃した部位を使えなくするのさ」


「つまり私の腕を縛ったとでも?まったく、レディにそんなことするなんて紳士じゃないわよ?」


「下等の女など玩具以下だ。そんな気遣いするわけなかろう」


 しかし片腕が使えないというのは厄介だ。防御もろくにできないし、なによりただの重りと化す。


(もし拳を胴体にも受けようものなら……厄介ね)


 ダガーを逆手に持ち、体を守るように構えを取る。

 向かい来る左拳を逸らしつつ、伸びきった腕を斬っていく。凍りつけば腕を収縮させることはできないはず。


「考えたな女。だがその剣は使わないのか?」


「まだその時じゃないと言っておこうかしら」


 この剣は奥の手の奥の手。

 そう簡単に使える代物ではないのだ。

 相手の動きにも慣れてきた今、頭も目も冷静さを取り戻す。そして疑問に思ったことがひとつ生まれた。


(足をつかんだあの時、なぜ能力を発動しなかった?)


 発動しなかったというのもあるかも。だが、なにか要因があるとするならば試すほかないだろう。


 腕を収縮する速度も速いが、何度も見ればおのずと慣れてくる。先生曰くわたしは目がいいらしい。左腕が使えない状況も慣れてくる。


「我楽多程度に遊んでいたが、実に面白い奴だ。カノンと言ったか?」


「あら、悪魔様に名前を憶えていただけるなんて光栄ね」


 動きに慣れたからといって優勢になるというわけではない。素早い拳の連打で距離を詰めることが難しいのだ。

 ここはひとつ、工夫を凝らす必要がある。


血流加速ブラッド・プレスト


 迫りくる拳の雨。防ぐことで手いっぱいだった私の目に映るそれははっきりと認識できるほどおそく見えた。拳と拳の間を縫うように避けていく。のびきった腕を切る。


「急に動きが変わったと思ったら……貴様!」


 切り落とした腕はのたうち回る蛇のようにビチャビチャと跳ね回っていた。そしてわたしは気づく。左腕の感覚が戻っていることに。

 悪魔の腕は再生し、少し険悪な表情を浮かべる。


「なるほど、つないだ手を切り落とせば束縛は開放されるということか」


「なぜ我が拳を避けられる!」


「血流を速めたのよ」


 血流を速めるということは、細胞に酸素を供給する量を増やすこと。そして興奮状態を強制的に引き上げ、アドレナリンやエンドルフィンなどの麻薬物質を多量分泌させるのだ。

 全身を蝕む痛みも感じない。今私を支配する感情は高揚感と、戦いへの狂騒。


「さあさあ!踊り狂いましょう」



 シェフィールド避難所は今、窮地に立たされていた。

 押し寄せるウテルス体の群れがまっすぐに避難所に押し寄せていた。


「おいおい、コイツらどこに潜んでいやがった!」


『隊長、助けてください!隊長―!』

 

 軍や警察に応援を要請しているが、等級の低い悪魔といえどピストル程度で戦えるはずもなく、市街地で使える兵器のみに限られる。


 『アルバート君、マレットだ。悪魔の群れがブラックバーンを越えた。やはり現代兵器では奴らを止めるのは難しいようだ』


「さすがに僕とカイン君だけじゃ辛いか」


「敵の数は——数えたくないですね。師匠はこの数を相手にしていたんですか」


 バックドラフトで迫りくる群れを吹き飛ばし一体一体悪魔を孤立させ型破りな少女の力で重力を倍加した拳を叩きつける。


(カノンがそばに置くだけのことはある。魔道具を組み合わせた戦闘スタイル、瞬時に相手を見極める判断能力。並のエクソシストに引けを取らない実力だ。だが)


「伏せろ!」


 BLOWINで生み出された風が屈んだカインの頭上を走り去り背後に迫っていた悪魔を吹き飛ばす。


「ありがとうございます」


「カイン君、きみは強いが前に出すぎだ。あくまで今日は僕のサポートだ。いいね」


「はい。しかしこの悪魔たち、どこから現れたんでしょう。」


「地獄の門でも空いたんじゃないかな?」


「ハハハ…ファンタジーならありえるかもですね。ん?」


 緊張感もひっ迫感も関係ないように鳴り響くスマホの着信。


「こちらカイン」


『おおカイン君。今からそこに落ちるから逃げた方がいいよ。そこのアンちゃんにも伝えてくれ』


 上空を仰ぎ見るとヘリコプターが空中で静止しているのがわかる。


「アルバートさん。ここから一時撤退を」


「撤退?」


「ええ、黒き稲妻Mr.ローリングサンダーの御到来です」


 ヘリコプターから飛び降りる人影。着地の瞬間、シェフィールド中に雷鳴が駆け巡った。



 もはや大学後者は半壊し、庭に敷き詰められた芝生は土に還った


「もう限界のようだな」


 体中にできた痣。ベルトスによる攻撃だけではない。血流を速めれば欠陥が耐え切れずに破裂する。


「なに、まだこれからよ」


(さっきの轟雷、おそらくロックか。まったくいつもド派手に参上ね)


 結局なぜ初撃のとき能力が発動しなかったのかはわからない。だが今はそんなことはどうでもいい。


「そろそろ幕引きと行きましょうか……」


 肩にかけたさやから剣を抜く。ツヴァイヘンダーの形をした彼の剣は純白の刀身に黒い痣模様を秘めていた。

 堅唾を呑み覚悟を決める。脳内麻薬が切れ、全身の痛みが体を突き破ろうとしていた。


「アイツらが頑張ってるのに、私が突っ伏しちゃあ格好がつかないってものよ!」

 

手にこびりついた血を顔に塗る。

全身に力を入れただ一点を見つめる。

 周囲の音も、髪を揺らす風も気にならない。


「Warp!」


 今出せる最高速度で突撃するわたしと同時に両拳を発射するベルトス。

 右手に握った氷の嬢王を投げ右拳に突き刺す。凍り付いた拳を両手で握りしめたツヴァイヘンダーで薙ぎ払う。斬れることなく凍り付いた拳は砕け散り、もう一つの拳は崩れた校舎の方向へ飛んでいった。

 ガードが取れなくなったベルトスが間合いに入る。


「レーヴァテイン!」


 黒い痣が紅蓮の如き輝きを放つ。

 横一閃にベルトスの胴体を切り裂く。瞬間、私の目に映る景色は刀身がなぞった一閃を境にずれた。

 すぐさま景色は集束するが悪魔の体は真っ二つに切り裂かれ地面に転がった。


「討伐完了……」


 倒れようとする体をレーヴァテインを地面につき、持ちこたえる。

 心臓の鼓動が少しづつ小さくなっていく。寒い。目元がかすむ。


「—ょう!」


 朦朧とする意識の中、遠くから聞こえる声の方向を見る。

 瞬間、意識は途切れすべての力が消えていく。



 自然と目が開き、脳が周囲の情報を探ろうと全神経を叩き起こす。

 情報過多による頭痛が気付け薬いなり、わたしの意識を完全に覚醒させる。

 ピッ……ピッ……という電子音と真っ白な天井。身体は全く動くことはなく、眼球を動かしながら周囲の状況を確認する。


「師匠!」


「おはよう……ここは?」


「トーマス病院です。二日間も寝たきりだったんですよ。と、とりあえず皆さんを読んできます!」


 足早に病室を去っていく。

 どうやらわたしは悪魔と戦った後、そのままこの病院へ搬送されたようだ。

 そしてトーマス病院にいること、シェフィールド中に響いた雷鳴。どうやら搬送先を確保してくれたのはあいつのようだ。


「お目覚めのようだな、カノン」


「いつも世話になるわね。ロック」


 ロック・ロンチェロ。わたしと同じシルヴァ先生の門下生であり、私の弟弟子にあたるシャーマン兼医者だ。


「ああ、全くだ。アルバートもカイン君も軽傷さ。まったく、弟子を悪魔祓いに連れていくとはおまえは先生の悪いところばかり似すぎだ」


「わたしたちコンツェルトの門下生は実践で学ぶがモットーじゃない」


 「アーアーそうですね。まったく、先生も先生だ。レーヴァテインなんて妖刀をこの馬鹿に預けやがって。あまり使い過ぎんなよ」


 レーヴァテイン。普段はツヴァイヘンダーの形をした鈍器だが、能力を開放しひとたびその名を唱えれば使用者の全体力を吸うロックの言うとおり妖刀だ。

 しかしその一撃はすさまじく、切れない物はない。


「マレットとかいう警察官にこれを渡せって使いをまかされてさ」


 差し出されたUSBメモリには「シェフィールド防犯カメラ映像13」と書かれており、ロックが持ってきたパソコンに刺し、データを確認する。映像は10秒程度。何事もない住宅街の映像だった。

 しかしそこに映っていた映像はわたしの目を疑いたくなるものだった。


「陰から現れているのか奴らは!?」


「ええ、たしかにハイゲートと、日暮れ時のシェフィールドは影があるという点で共通点があるわ。それに——」

 

 わたしは掛け布団を強く握りしめる。ズタズタになった骨や筋肉の痛み関係ない。

 荒い画質の中に佇む悪魔。炎のように揺らめく黒き渦。忘れるはずがなかった。

 自然と目は血走り、怨念が呪いの言葉を吐き出させる。


「見つけたぞ、貴様は先生の仇敵だ!」

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