第3話

 ハンナはもうろくしていたが死ぬのはこわかった。

 じゆつてきそくいんしたハンナばあさんはこばしりになり人妻のてきちよくしている丁字路へむかったのちにおなじ方角を仰視した。ツインタワーの北棟の百階あたりから煙霧がしようりつしている。ハンナばあさんはこくそくとする。世界のおわりだ。おれはここで死ぬのか。アメリカはここで死ぬのかと。人妻は「飛行機よ。飛行機が激突したの」とハンナばあさんに説明する。えんえん天にみなぎるツインタワーの上階からはの人間が墜落してくる。ハンナばあさんはただでさえきようこつの足腰がけいれんりんと失禁したのちにうごけなくなった。やがてマンハッタン中のれきろくの消防しやりようしようしゆされて消防隊員たちが北棟のなかへとまいしんしはじめた。午前九時二分五九秒。ツインタワーの南棟につぎの巨大なる旅客機が激突した。南棟の八十階あたりがほうはいと爆発しえんいつたる火炎とともにあんたんたる黒煙があがってゆく。ハンナばあさんはとうした。生涯で一度も真摯に『神をしんじたことのない』ハンナばあさんは全身全霊で『神にいのった』。極彩色の乳母車をほうてきはいするかたちで両手をくんでとうしなれたハンナばあさんはさけんだ。「神様おねげえだ。おれを地獄におとしてくれてもいい。どうかあのひとたちをおまもりください。アメリカをおまもりください。りすときようをおまもりください」と。中枢箇所を攻撃されたツインタワー南棟が崩壊しほうはいれきが墜落して一帯がじんふうじようされるなかハンナばあさんはとうしつづけた。救急隊や巨万の隣人たちが「野郎。はやくにげるんだ」などとざんぼうしてとんざんするなかハンナばあさんはとうしつづけた。「神様。われわれをお救いください」と。ハンナばあさんのかいわいの煙霧がせんじように消滅してゆききゆう窿りゆうから七色のこうぼうがとどいてきた。なにものかの荘厳ながら慈悲と愛情のおういつしたりゆうりようたるこえがきこえてくる。

なんじのねがいはかなえられた』と。

 二〇〇一年九月一一日火曜日にせきははじまった。

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