第21話 相羽龍彦。相羽伊里奈。相羽〇〇。

 俺様は父と母、それに兄。妹の伊里奈と一緒に暮らしていた。

 母はパートで働きながら、仕事でほとんど帰ることのない父を支えていた。

 だが、ある日を堺に母はヒステリーを起こすようになり、やがて病気になった。

 その頃のことを思い出すと今でも嫌な気持ちになる。

 兄がかばうようにして俺様と伊里奈を守ってはくれた。

 一番母の妄想に振り回されたのは兄だ。

 母の精神病は俺様たちを疲弊させるには十分だった。

 しかしそれを知っている父は仕事に夢中で、俺様たちを気にかける様子もなかった。

 家庭が崩壊していくのをただ見ているだけだった。

 そして事件が起きた。

 母が盗聴器がある、と言い出したのだ。

 盗聴器を仕掛けたのは兄だと言い始めたのだ。

 それを見ていた俺様は信用なんてしていなかった。

 母が狂ったことを言うたびに神経がすり減っていくのを感じた。

 そんな母をみせまいと俺様と兄はかばうようにして前へ出た。

 盗聴器を壊そうとする母のハサミが兄の額を切りつけた。

 血の滴る兄の額。

 俺様は必死になり、119を押す。

 父との連絡役であった兄に、俺様は「耐えられない」と告げたのだ。

 翌日、父がやってきて、母を医療保護入院にさせて、我が物顔で取り仕切るようになっていた。

 俺様が困っているときは助けてくれなかったのに、だ。

 母とはもう会えない。吊った。

 そう思った。

 それも俺様が余計な一言を言ったせいだ。

 耐えられない。

 その一言で俺様の家庭は崩れていった。

 以降、俺様は伊里奈を守るために生き、自分を誇張した。

 大きな顔をしていると、同級生のいじめもなくなった。もとより強面の顔だ。

 びびらないやつの方が少ない。


「ねえ、お母さんはいつ帰ってくるの?」

「うるせー。自分で考えろ!」

 伊里奈の泣きじゃくった顔を見て、俺様はつい語気を荒らげて言った。

 それが純粋な伊里奈にとって、致命的な言葉となる。

 またしてもやってしまった。

 俺様は自分のことを呪った。

 すべての元凶は俺様にある。

 俺様が生まれてきたから、家庭が狂った。

 父と母が俺様の出生届で喧嘩になった事実を知り、ますます意固地いこじになっていった。

 帰ってくることはないのだ。なにせ俺様が母を追いやったのだから。

 母の病気が落ち着くと、両親は離婚した。

 病気の合間に離婚する準備を進めていたらしく、あっさりと許可は降りた。

 裁判所曰く「子どもに悪影響があるから」だそうだ。

 国が認めた。認めてしまった。

 十二の子どもにとってはその重さで潰れてしまった。

 伊里奈はいつの間にか敬語を使い、人と人との距離を置くようになっていった。

 いたはずの兄は姿をくらまし、さり際に「伊里奈を頼む」とだけ言われた。

 その兄の言葉がいつまでもこびりついて離れない。

 仕事で忙しい父はけっきょく仕事を選んだ。

 俺様の家庭が裕福と信じてやまない同級生たちは、俺様を、伊里奈をいじる。

 いや、いじめだ。犯罪だ。

 特に伊里奈はおとなしい性格なのだから運悪くいじめっ子に狙われた。

 俺様は伊里奈を守るため、学校に乗り込み、思い知らせてやった。

 父の名義で買った家だ。引っ越して新天地で、というのはなかった。それに父は自分の過失を認めずに、全て母が悪いと言って仕事をしている。

 金さえ渡せば、子は育つ。

 そんな傲慢な考えだった。

 その父をどうしても好きになれなかった。

 あの日までは。

「僕ちゃん。どこの家の子かな?」

 俺様が悪人に捕まり、強盗に押し入れられた。

 強盗が押し入り、全てをむちゃくちゃにしていった。

 父は殺され、財布は抜き取られた。

 一銭も持たない俺様と伊里奈はすぐに児童養護施設に育てられることとなった。

 俺様と伊里奈は九歳から始めていたプログラミングの知識を活かし、すでに稼ぎがあった。

 幸いにも知識はあった。

 天才と呼ばれるくらいにはプログラマーとして活躍していった。

 プログラムされている電子ゲームに興味が湧き、様々なゲームを解析しつつ楽しんだ。

 唯一の楽しみだった。

 解析の終わったゲームは海賊版として商品にした。

 お陰様で海外人気は高かった。

 そのうち《青の騎士団》として世界に名を馳せるハッカーになっていた。

 プログラムの解析とゲームの解析はある意味似ていたのだ。

 暗号資産や裏情報の脅迫などで稼ぐ毎日。

 家庭環境や強盗などの影響ですっかり人間不信になっていた伊里奈と俺様は二人で暮らすことになった。

 でも地元からは離れなかった。

 出ていった兄の帰りを待つかのように。


 母と兄、それに父を死なせたこの身を呪うかのように俺様は生きてきた。

 俺様がいなければ、すべてうまくいったはずなのに。

 すべてをなくしたのは、俺様じゃない。自分で選んだ道だ。でも伊里奈はそうじゃない。

 こんな悪役の俺様とは別だ。

 なんにも悪いことなんてしていない。

 ただただ憐れだと感じた。

 それ以来、伊里奈をまともに見てあげれていないと思う。

 病気の母は首を吊って、兄は行方不明。

 父は強盗に殺された。

 俺様はきっと疫病神なのだろう。

 きっと生まれてこなければ良かった存在なのだろう。

 俺様が生まれる数時間前に祖母が死んだ。

 同じ病院の同じ病棟で。

 だから親戚も、家族ですら、俺様の生まれをよく思っていないのだ。

 歓迎されていなかったのだ。

 俺様は、どうすれば良かったんだ?

 父も、母も、望んだわけじゃない。

 俺様は生まれたいと望んだわけじゃない。

 生きたいと願ったわけじゃない。

 俺様はただまっとうな人生を歩みたかった。

 それだけなのに、いつの間にか、俺様の人生は狂っていた。

 ただ生きている。なのに、こうも不運が続くと信じてみたくなる。

 死神ってものに。

 不幸を呼ぶ男だって。

 そんな過去があるから、俺様は……。


 逃れられないもの、それが自分。

 そして取り戻せないもの、それが過去。

 俺様は俺様という存在だ。それは変えようのない事実だ。だから受け止めるしかない。時代が変わり、例え今までしてきたことが意味のないものだとしても。

 受け入れるしかない。

 こんなはずじゃなかったというのは想像力不足が招いた結果だ。

 考えればわかること。理解していればわかること。

 過去を変えたくても、変えられない。他人の気持ちも、命も。

 もう何も戻りはしないのだから。

 だから――。

 未来は変えられるとうそぶいている連中は嫌いだ。

 みんなまとめて死ね。

 俺様を、伊里奈を、この国の将来を担う若者が、子どもらが生きていけない世の中なんて、終わってしまえばいい。

 いいや、この俺様が終わらせてやる。

 俺様の願いは常に過去にある。

 戻りたいあの頃に。

 母も父も。兄も。

 一緒にボードゲームをしていたあの頃に。

 俺様はもうどうなってもいい。

 でも伊里奈は違う。

 彼女は彼女なりに必死で生きている。

 俺様をあざ笑うように必死で生きている。

 それでひん曲がっている俺様はダサいと言ってくる。そんな気がする。

 俺様が生きる理由。それはまず間違いなく、伊里奈がいたから。

 それ以外に答えはない。

 俺様はもうただの悪役だ。

 もうなんにも残っていない。

 いつか、誰かに殺されても文句は言えない。

 俺様はそういった存在だ。


◆◇◆


 わたしは思うのです。

 きっとお兄様がいなければわたしは生きていなかったと。

 いじめも稼ぎ方も全てお兄様から学んだことです。

 だからいずれお兄様にも報われる日がくると信じています。

 だって、いつも必死にわたしを支えてくれたのだから。

 もう一人の兄がいる。それを聞かされたとき、わたしは酷く動揺しました。

 でもそれは、わたしがまだ小さかった頃の話。今では受け入れる準備ができています。

 どうか帰ってきて。お兄様。

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