第18話 ―蒼緒― Two Sisters

「お、なんか美味しそうな匂いがするねえ」


 蒼緒あおがお腹をさすりながらそう言う。朝から携帯口糧レーションばかりで、口寂しかったところだ。

 すると流歌るかがにっこりと笑って手を引いてくれた。銀糸の髪をぴょんぴょんと弾ませながら、村の中心へと駆けて行く。

 引かれて蒼緒も駆け出す。まるで仔犬の散歩のようだ。銀色の毛並みのたれ耳の仔犬。簡単に想像出来てしまい、くすりと笑う。

 

「きっとお姉ちゃんが夕ごはんのじゅんびしてるんだよ! 流唯るいお姉ちゃんのごはん、おいしいんだよ!」

 そう言って嬉しそうに跳ねる流歌は見えない尻尾を振っているようで可愛い。それに美味しいお料理とやらにも興味がわく。


「ほほぉ……?」

 

 ――と、つい頬が弛んだところへ、後ろから衣蕗いぶきの声がかかった。

 

「……お前、ほんと鼻だけはいいな」

「えへへ……」

「いや誉めてないから! ……正直もうちょっとだけでも、射撃の腕が上がってくれると助かるんだけどな!」

「う……面目ない……」


 衣蕗が指摘する通り、蒼緒は射撃……というか戦闘の全般が苦手だった。その中でも特に射撃は壊滅的だった。

 見るからにしょんぼりと肩が落ち、トボトボと歩き始める。

 すると思わぬところから追撃が始まった。

 

「確かにあれは最早芸術的な集弾率……ううん、散弾率だねぇ」

「ちょ……っ、紗凪さなちゃんひどいよっ!」

「まあ蒼緒に銃撃のサポートを頼む時は、死地へ向かう覚悟が出来た時だけね」

雪音ゆきねさんまでっ!?」

「蒼緒お姉ちゃん、おしごと、へたなの……?」

「なんと流歌ちゃんまで!?」


 うるうると目を潤ませ同情する流歌を含めて全方位からのツッコミを受け、蒼緒が再びしょんぼりと肩を落とす。

 しかし、それを見かねた衣蕗が頬をかいて言いかけた。


「まあでも、蒼緒はわ――」

「『蒼緒は私が守るから大丈夫だ』、でしょ? ……もう耳にタコが出来ちゃったわよ」

「むぅ……」


 雪音の言葉に衣蕗がバツが悪そうに顔を赤くする。つられるように蒼緒の顔も赤くなった。

 それは、幼い頃、故郷の谷潟やがた村で〈狼餽〉に襲われた一件以来、衣蕗の口癖となっていた言葉だった。言葉の通り彼女は剣術を習い始め、めきめきと実力をつけた。

 それが今や、〈狼餽〉退治に一役買っているのだから、不思議な因果だ。

 それに事実、実戦投入されても蒼緒は大きな怪我などは負っていない。衣蕗が絶対に討ちもらさないためだ。……まあ、勝手に転んで負った擦り傷ならいくらでもあるが。

 彼女の言葉には過保護だなぁ、とは思うが、やっぱり嬉しかった。

 

「蒼緒お姉ちゃん、おかお、りんごみたいだね……?」

「そそそ、そんな事ないよ、流歌ちゃん!」

 

 ブンブンと手を振り、否定する。ついでにちらりと衣蕗の顔を見ると、「?」とクエスチョンマークを浮かべていた。うーん、やっぱり脈はない。

 ですよねーと思いつつ、せめて射撃の腕はなんとかしたい。彼女のバックアップ……とまでは言わないが、自分の身ぐらい自分で守って、彼女の足を引っ張らないようにしたい。……〈花荊はなよめ〉なのだから。

 事実雪音の〈花荊〉である紗凪は、サポートが上手い。二人は二年ほど先輩なので、キャリアの差はあれど。とは言え紗凪は決して身体能力が高い方ではないし、きっと雪音のためにたくさん訓練したのだ。


「蒼緒お姉ちゃん、こっちこっち!」


 流歌がうずうずして手を引く。

 それにしても……。

 なんとも寂れた村だった。申し訳程度の畑に、傾きかけた家屋が数軒。それも手入れされていないのか、雑草が伸び放題だった。

 その理由も、すぐに知れた。



          *



「まあまあ、妹がご迷惑をおかけし、申し訳ありません。流歌の姉の流唯です」


 そう言って頭を下げたのは、流歌と似た空色の瞳と銀糸の髪をした綺麗な女性だった。もし町に住んでいたのなら、茶屋の看板娘として小町と呼ばれていそうだ。

 あいにくと小さな村には茶屋などなかったが。


 歳の頃は十七、八といったところか。蒼緒たちが十六から十九なので、歳が近く、親近感を持った。

 けれど、小さく咳を繰り返す。

 流歌がたもとから薬を取り出すと、それを大事そうに飲ませた。

 

「すみません、身体が丈夫でなくて……」

 

 流唯がそう謝ると、流歌が音がしそうな勢いで首を振る。銀糸がぷるぷると震えた。


「でもでも、お姉ちゃんのつくるおりょーりはおいしいし、おさいほーもなんでもじょうずだもん! 流歌のきものだって流唯お姉ちゃんのをてなおしして、つくってくれたんだよ!」

 そう言って着物を広げるように胸を張る。


「そうなんだ。可愛いお着物だね、流歌ちゃん」

 

 蒼緒がここの模様が可愛いとか、一つ一つ褒めると、機嫌を直したようでにっこりする流歌。蒼緒もつられて笑った。

 

「まあでも、お姉ちゃん、おこるとすっごいこわいけど」

「こら、流歌ぁ」

 

 流唯が怒った振りをして、頬を膨らませ拳を上げる。きゃーと笑い声を上げて、蒼緒の後ろに隠れる流歌。

 仲睦まじい姉妹なのがすぐに見て取れた。


 それにしても、静かな村だ。日が落ちたとは言え、他に生活音はなく、虫の声さえわずかで寂しい。

 するとそれを察した流唯が言う。


「……以前は小さいなりに良い村だったんですが、流行り病で……。祖父は医者で、近隣の村からも患者さんたちがたくさん来ていたんですが、今はもう二人だけになってしまいました……」

 

 祖父母と伯父、父母と流唯と流歌、それから父母と子二人の家族が暮らして暮らしていたという。

 それを聞き皆、言葉を失う。

 特に紗凪は元々祖母と二人暮らしで、祖母を亡くして天涯孤独になった身だ。

 

「……でもお姉ちゃんがいるなら寂しくないね?」


 紗凪がそう声をかけると、流歌がぱあっと顔を明るくする。

 

「うん!」

 

 気持ちをわかってくれて嬉しいと言わんばかりだ。同情ばかりされ、気が滅入っていたのだろう。紗凪もそれがよくわかるようだった。


 それから各々名乗った。衣蕗が大真面目に「特務機攻部隊」と名乗りそうになって慌てて雪音が止めた。不要な心労をかけないため、〈吸血餽〉である事は黙っていおいた方が良さそうだ。


「何もないところですが、おくつろきくださいね」

「あ、衣蕗お姉ちゃん、こっち! しょうどく? するおどうぐ、こっちにあるよ」

 

 そう言って流歌が離れに連れて行く。

 蔵に手を入れて診療所にしたもののようだ。

 なるほど、町のようには設備は整っているとは言い難いものの、所狭しと薬らしきものや医療器具が並べられていた。


「祖父の見よう見まねですが……」

 

 そう断りを入れて、早速流唯が応急処置をしてくれた。聞くと診療所を手伝っていたと言う。

 衣蕗の傷を見て驚くが、実に手慣れた手つきだった。

 

「素人の応急処置ですから必ずきちんとしたお医者様に診てもらってくださいね」

 

 そう苦笑して謙遜するが、丁寧で適切な処置だった。これなら後は〈吸血餽〉の治癒力がなんとかしてくれるだろう。

「それからこちら、痛み止めになりますので飲んでください。痛み止めが追加で必要な場合はこちらの棚にありますので、遠慮せずにおっしゃってくださいね」

「ああ、ありがとう」

 粉薬と水を渡され、衣蕗が飲む。

 

 それにしても可愛らしい笑顔だ。姉妹共に人懐っこい。自然とこちらまで笑顔になってしまう不思議な魅力があった。きっと診療所でも評判の看護婦だったに違いない。

 

 ――が。

 

「……衣蕗さん、凛々しくて素敵な方ですね」

 

 そう言って、治療器具を片付けながら、流唯が照れたように笑う。その言葉に衣蕗もまた頬を染めて言葉に詰まっていた。


「ふ――――ん」

 

 蒼緒は虚無の顔で、そのやり取りを見やった。

 

 そう。衣蕗は(無駄に)顔がいい。

 黙っていれば、自然と視線を集めてしまう。


 ……いえいえ私だって、それがただの社交辞令とか世間話のついでみたいな会話だとはわかっているし、こんな事でやきもちを焼くなんて〈花荊〉失格だし、でもでも〈花荊〉は私ですけど!? 血だって吸われちゃってるんですけど!?


 ――と割って入る事も出来ず、ちょっとだけもやもやした。〈吸血餽〉や〈花荊〉である事は守秘しなければならないのだ。当たり前だけど。

 ――そもそもそんな事でマウントを取っても仕方がない。

 とは言え、ついこっそりと衣蕗のスカートの裾を掴んでしまうが、わかってくれない。衣蕗は顔に「?」を浮かべていた。

 

「あ、蒼緒ちゃん……」

「ま、衣蕗にそんな機微がわかるわけないわね」

「な、なんだよ、お前ら……」

 

 紗凪と雪音が同情の目を向けてくれるが、やはり衣蕗だけが何もわかっていなかった。

 ですよねー。

 ともかく長居は無用だ。特殊な事情がない限り、〈吸血餽〉は民間人と極力接触してはならない。衣蕗ではないがそれは守らねばならない。

 蒼緒たち――というか衣蕗が礼を述べ立ち去ろうとすると、流歌が駄々をこねた。

 

「やーだー! きょうは蒼緒お姉ちゃんといっしょにねるー!」

「ずいぶん気に入られたもんだな」

「あはは……」


 施設で暮らしていたから、子供の世話を焼くのが好きだったし、久々に子供と過ごす事が出来て、蒼緒としてもすごくすごく、すごーく名残惜しい。それに〈吸血餽〉とは違い、人間なので今から徒歩での帰投は身体的にもつらい。出来ればここで休んで行きたい。


 ……が。


「だめだ」

 

「ですよねー」

 衣蕗がピシャリと断る。民間人との接触は厳禁だ。

「ごめんね、流歌ちゃん、お仕事の決まり事でね、あんまり一緒にはいられないんだ」

 蒼緒がそう言ってなだめるが、流歌が首を振る。長いツインテールがふるふると揺れる。……あぁ、めちゃくちゃ可愛い。天使。仔犬の天使……!

 

「――ね?」

「いやだから僕に振られてもわからないってば、蒼緒ちゃん……」

「流歌、わがまま言わないの」

「だってぇ……」

 

 蒼緒の脳内妄想に戸惑う紗凪をよそに、ぐずる流歌を姉がなだめる。――が、流歌は寂しそうだ。

 蒼緒も、――と言うか蒼緒たちも胸が痛む。とは言え長居は無用だ。そもそも彼女たちが、衣蕗や雪音を〈吸血餽〉と知ったらショックに思うだろう。

 早々に立ち去るべきだ。

 

「ありがとうございました、流唯さん。お世話になりました。流歌ちゃんもありがとうね」

 

 またね、とは言えない。……嘘でも、言えなかった。

 蒼緒は流歌の頭を撫で、それから髪に手櫛を通した。姉の流唯が毎日とかしてやっているのだろう。さらさらとした手触りが気持ち良かった。

 こんなにいい子たちに会えて良かった。そう思おう。……思うべきだ。

 そして、最後にもう一度頭を撫でた。

 

「いい子でお姉ちゃんと仲良くね」

 

 流歌が口を一文字にして、泣かないようにして頷く。……いい子だ。

 蒼緒たちはもう一度頭を下げ、踵を返して村の入り口へと向かった。

 堪えていても涙が出そうになる。衣蕗がそっと、背中を撫でてくれた。衣蕗だって好きで、素気なくしているわけではないのを知っている蒼緒は、もっと強く唇を噛み締めた。


 ……と、少し歩くと腰のあたりをぎゅっと抱き締められた。

 振り向くと流歌が、口をへの字に曲げて蒼緒を抱き締めていた。


「流歌、いい子でいるから、ここにいて! いっしょにねんねする! たきぎあつめもさぼらないし、水くみもするし、おせんたくもちゃんとするから! いい子でいるから! だから……!」


 そう言って上げた顔には、いっぱいの涙が浮かんでいた。

 それを見て蒼緒の目にも涙があふれた。

「……天使っ!!」


「おい、心の声がもれてるぞ……。……ったく、仕方ないな……」

 

 衣蕗が頭を掻く。

 雪音と紗凪が苦笑を漏らした。

 

「あら、人間嫌いの衣蕗でも蒼緒の涙には弱いこと」

「だね」

「……うるさいな。自分だって紗凪には弱いくせに。――朝までだ。日の出と共に出発するからな」

 

 その言葉に蒼緒と流歌が顔を見合わせ、笑顔を浮かべた。

 

「やった!」

「やったね!」

 

 一緒になってぴょんぴょん跳ねていると、どちらが子供かわからないなと衣蕗に呆れられたが、当の衣蕗も優しそうな笑みを浮かべていたから、おあいこだ。


 寂れた村であるので、目撃者もない。一晩くらいならまあいいだろうと、雪音も折れた。元より二人も民間人を傷つけるつもりもない。

 

 ――問題は吸血だ。

 

 衣蕗は昼間吸っているからいいとして、雪音たちはこれからだ。流歌たちに〈吸血餽〉と気づかれないようどこで吸うか。それが問題だった。


 それに、蒼緒はほんの少しだけ鼻の奥がツンとするのを、口にする事が出来なかった。

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