第6話 ―蒼緒― A Day in the Army

 朝靄の中、静寂を切り裂くように、勇ましいラッパの音が鳴り響いて、林からアオゲラなどの鳥たちが一斉に飛び立った。

 

 蒼緒あおは眠い目をこすり、えいやと起き上がった。ん――ぶっちゃけ眠い。ペチペチとほっぺたを叩く。

 蒼緒は真面目なのと寝起きがいいのだけが取り柄だ。でも正直好きで寝起きが良くなったんじゃない。物心ついた時から、超がつくくらいの寝坊助が身近にいたせいだ。落ち落ちと寝てもいられない。

 もう一度目をこすり、それから寝間着ワンピース姿のまま隣のベッドへと行き、ピクリとも動かない身体を揺すった。


衣蕗いぶきちゃん、朝だよぉ。起きてー」

「…………」

 

 まあ当然起きないよね。ひと揺すりごときで起きるわけがない。力任せにぐいぐい揺する。

 

「お――き――て――!」

「…………」

「い――ぶ――き――ちゃあぁぁぁん!」

「……………………ん……あと五分――……」

「だめだよぉ、ほーら、起きて!」


 こっちだって眠い。出来る事なら眠っていたい。とは言えここは軍隊だ。今までいた養護施設とは違う。日朝点呼に間に合わなければ、連帯責任で蒼緒まで腕立て伏せの懲罰が待っている。それだけは避けたい、絶対に。

 蒼緒は力一杯掛け布団を引っ張った。


「どりゃ――!」


 ――繰り返し言うが、蒼緒の取り柄は真面目なのと寝起きがいい事だけだ。ぶっちゃけ運動神経は皆無だ。無。むしろ虚無のレベル。

 そんな彼女が人間の巻きついた布団を引っ張ったらどうなるか。


「んぎゃっ!」

「んごっ!」

 

 ――ゴッ、というすさまじく痛そうな音がする。見ると衣蕗が頭を床に打ち付けていた。――顔面から。

 

「い、衣蕗ちゃん、大丈夫!?」

「だ……大丈夫だ……」

 

 いや、めちゃくちゃ痛そうですけど……。って蒼緒も一緒に転んでいるからお尻と背中が痛いけれども、たぶん彼女の方が数倍痛い。

 見るとおでこと鼻が真っ赤になっていた。ぷるぷると頭を振り、あくびを噛み殺す。

 

「いや、お陰で目が覚めたよ。ありがとう、蒼緒」

「いやいやいや、どう考えてもありがとうって状況じゃないし!」


 ……と、背後から声が上がる。

 

「――って、蒼緒ちゃんたち、何してるの!? 点呼始まっちゃうよ!?」

 

 振り向くと、いつの間に現れたのか、ドアの前で紗凪が目を白黒させていた。彼女にはこうして毎朝気にかけてもらい、助けられている。ちなみにこう見えて少尉だ。

 あと蒼緒が衣蕗の〈花荊はなよめ〉であるように、彼女は雪音の〈花荊〉だ。


 なお、少尉というのはとっても偉い、らしい。俸給もとってもたくさん貰えるし。かく言う蒼緒も少尉だ。というか〈花荊〉は自動的に少尉の階級が与えられる。〈吸血餽〉は大尉だ。そっちはもおっと偉い。

 けれど特務機攻部隊の階級は、他部隊と比べて特殊――らしい。なにせ軍務自体が特殊だから。

 というか便宜上第一師管に配されているが、ほぼ命令系統やら何やら独立した部隊――らしい。まあ、だからこそ、林の中になんて兵営があるんだけれど。

 ――が。


「――って、衣蕗ちゃん着替え着替え! って、せっかく目覚めたのにまた寝ないで――!」

「ぐぅ……」

「起きて――――!」


「ちょっと衣蕗ってば、今日もなの?」

 

 そう言って呆れ果てた顔で、紗凪の後ろから顔を出したのは雪音だ。緩く波打つ長い金髪が目を引く麗人だ。

 まあ衣蕗も美人だけれど。――寝ぼけてさえいなければ。


「ぐぅ……」

「寝ないで――――!」



          *



「うう……腕がプルプルするよぉ……」

「お疲れ様」

 

 紗凪が蒼緒の箒を受け取り、苦笑しながら労ってくれる。それを片付けて朝清掃は終了だ。

 

「大丈夫か、蒼緒?」

 

 一方、蒼緒の倍以上、腕立て伏せをさせられたはずの衣蕗は、ケロっとしている。おまけにこれから間稽古まげいこの自主訓練で体力錬成――筋力トレーニングをすると言うのだから、恐ろしい。

 それならさぞかし筋肉バキバキかと思われるが、意外とそうでもない。本人はバキバキにしたいらしいが、どちらかというとしなやかな筋肉をしている。

 

 それはさておき、結局蒼緒たちは点呼に間に合わず、懲罰として腕立て伏せをさせられ、上官にこってりと絞られた。元々体力も筋力もない蒼緒は全身プルプルだ。

 寝坊助なのは衣蕗ちゃんの方なのに、理不尽だ。


 とは言え、〈花荊〉である蒼緒たちは、これから楽しい嬉しい朝食だ。一方の〈吸血餽〉たちは、食物から摂る食事は不要なので間稽古の時間となる。

 衣蕗は筋トレ、雪音は射撃訓練に行くようだ。

 美味しい食事が出来ないなんて、なんだか寂しい気がしてしまうが、〈吸血餽〉にとっては血がご馳走なのだから、いいのかな?


 兵舎の入り口で別れ、食堂に向かう。

 食堂には十人程度の〈花荊〉たちがいた。つまり帝國陸軍・第一師管・特務機攻部隊には同数の〈吸血餽〉たちがいて、それぞれ〈吸血餽〉と〈花荊〉のパートナーごとに部屋を割り当てられ、生活していた。衣蕗と蒼緒、雪音と紗凪、というように。

 

 蒼緒がテンション高く、配膳列に並ぶ。途端にその目が輝いた。――さっきまでの疲れた顔が嘘のように。

 

「むむっ? この匂いは……う、牛鍋ではぁぁぁ……!?」

「よ……よくわかるね。まだ食堂に着いたばっかりなのに……」

 

 紗凪が苦笑いしながら、呆れる。

 

「いや、軍隊ってなんか大変だし、ご飯くらいしか楽しみないし?」

「そ、そうかな?」

「そうだよ! それに特機って他の部隊よりご飯が美味しいって噂だし!」

 

 あー、そういう話はよく聞くよね、と紗凪が頷く。

 どうも軍務が特殊だからと、階級も含めて色々と優遇されているという噂だ。とは言え一士官でしかないため、本当かどうかはわからない。飽くまで噂だ。


「でも、僕は牛鍋とか洋食はまだ慣れないなぁ」

「そう?」

「ちょっとお婆ちゃんの作ったお料理が恋しくなっちゃう、かな」

 

 そう紗凪がしんみり言う。

 確かに庶民にとっては、洋食は食べる機会は多くはない。――というかほぼなかったから食べ慣れない。蒼緒だってそうだ。養護施設の先生の作る料理は一汁一菜、麦飯と野菜とか魚がちょっと、というのが基本だった。

 そもそも我が国には肉食文化がなかったが、諸外国の文化が伝わり、銘治めいじの世になり肉食が広がりつつあるものの、庶民にはいまだ高嶺の花だ。牛鍋は洋食とは違うけれど、庶民にとって食べ慣れないという意味では同じだ。

 とは言え特機に来て、洋食などを食べられるようになって、食いしん坊の名をほしいままにする蒼緒としては嬉しい限りだ。


 ちなみに紗凪は僕っだ。

 小さい頃、引っ込み思案で身体が小さかったから、近所の子供によくいじめられてしまい、少しでも強く見せようとしたのだそうだ。……全然、強くなれなかったけどね、と笑う彼女は決して弱くなんてなかった。

 それに今なら、雪音がすっ飛んできていじめっ子を叱りつけてくれそうだと、二人して笑った。

 ちなみに紗凪は祖母が亡くなり、天涯孤独となったため、色々あって軍に来たのだと言う。

 

「確かに私も施設の先生が作ってくれたご飯が懐かしいなぁ。でも牛鍋も美味しいけど!」

「ふふ、蒼緒ちゃんらしいね」


 蒼緒の予想通り、牛鍋の入った椀が配膳された。甘く濃い醤油の香りが食欲をそそる。牛肉はちょっとしか入ってないが、ネギ、豆腐も甘塩っぱい割下が染みて美味しい。山椒のアクセントもピリリとたまらない。……ほっぺたが落ちそうだ。

 あと紗凪からそんなに食べられないからと、牛肉を分けて貰った。ちょっぴりだけだけど!

 

「あ……、そう言えば石鹸……どうだった?」

 不意に紗凪が声をひそめて言った。豆腐のかけらを頬張りながら、蒼緒の顔が赤く染まる。


「あ……えっと、い、いい匂いだって……言ってくれた」

 言いながら、蒼緒の声もどんどん小さくなって行く。昨夜の事を思い出すと、なんだか照れてしまう。

 その反応を見て、紗凪がにっこりと笑みを浮かべた。前のめりになりながら。

 

「じゃあじゃあ、上手くいったんだ?」

「う、上手く……って言うのかな? い、一応上手くいった……かな?」

「うわぁ……! いいないいな! どんな感じに?」

「え? ど、どんな感じにって言うか、お、押し倒されて『いい匂いだ』って……。それからこの辺りに……口、つけてくれて……」

「きゃ――!」

「で、でもでも、さ、紗凪ちゃんたちの方が絶対いいよ! ゆ、雪音さん、上手じょうずそうだし」

「まあ……、先輩はなんでも器用で上手だよね」

「うわぁ! ごちそうさま!」

「もう、蒼緒ちゃんやめてよ――!」


 紗凪が蒼緒の肩をペシペシと叩く。頬が赤い。


 いいなあ、と思う。

 紗凪と雪音は強い絆で結ばれている。二人は軍人として二年ほど先輩だが、当然吸血だって色々進んでいる(?)ようだ。

 だからこうして色々と作戦会議……相談に乗ってもらっているのだが。――衣蕗が吸血しやすいようにするにはどうしたらいいかとか。雰囲気作りとか。

 とはいえ相手は難攻不落の堅物、二ノ宮衣蕗だ。一向に吸血がスムーズに出来るようにならないが。

 ……まあ昨日はちょっとはいい雰囲気になれたかな、とは思うけど。二人に比べたらまだまだだ。


 それにしても、紗凪は先輩だがとても話しやすい。引っ込み思案なところがあって初対面の相手に対してはどもりがちだが、同じ班に配属され指導されるうちに自然と仲良くなった。フィーリングが合うと言うか。

 一見柔和でふんわりしているが、その実意外と肝が据わっている。かと思えばこうして恋バナ(?)で盛り上がったりして。突如降って湧いた慣れない軍隊生活で、彼女が同じ班で良かったと思う。


 そんなこんなで、きゃっきゃと食事を終え配膳盆を片づけていると、突如非常呼集のラッパが鳴った。

 

 ――出撃だ。

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