第2話 エピゴーネン

 『大才子 小津久足 伊勢商人の蔵書・国学・紀行文』(菱岡憲司 中央公論新社)を読んでいる。大事に、大事に、読んでいる。


 「これがまるごと江戸時代」というキャッチコピーが帯にある。まさしく、ただの伝記ではなく、江戸時代がどういう時代だったのか、その空気感まで得られるのが、この本のスゴイところである。


 著者の菱岡先生、江戸時代を語るのに、外来語で攻めてくる。そんな言葉、初めて知った、というものが、ごく自然に出てくる。これらの語彙は今後、必ず記事にすると決めた。


 今回のテーマ「エピゴーネン」も、そのひとつ。


―――こうしたエピゴーネンのなかでも、とくに宣長の古道論を拠りどころに、果てはキリスト教説さえ取り入れて、独自の思想を展開したのが、平田篤胤である。(95ページ)


 エピ?5年?・・・パン屋さんのベーコンエピは大好きだが、恥ずかしながら、未知の言葉であった。手持ちの国語辞書(『大辞林』)に、載っていた。私のは1991年に買った版で、30年以上前の辞書だから、最新の辞書にも載っているのか、それは未確認。


 エピゴーネン【Epigonen】先行する顕著な思想や文学・芸術などの追随をし、まねをしているだけの人、独創性の無い模倣者・追随者を軽蔑していう語。亜流。(『大辞林』)


 もとはドイツ語らしい。要するに「二番煎じ」に近いものだろう。

Wikipediaのエピゴーネンの項目にあるように、言ってしまえば「パクリ」ということだ。


 しかし「パクリ」や「二番煎じ」とは言わず、あえて「エビゴーネン」という言葉を用いることで、そこには思想、文学、芸術、という香りが漂う。不思議だ。


 たとえば「唐揚げ専門店」や「高級食パン専門店」、「二郎系ラーメン」なども、パクリや二番煎じに溢れた飲食業態であるが、しかしそこでは「エピゴーネン」という用語は、どうもなじまない。


「このスープは、あの名店の二番煎じだな」


「このトッピングは二郎系をそのままパクったな」


 と文句を言うお客さんはいそうだが、


「この味、二郎インスパイア系のエピゴーネンだな」


 こんなことを言っているお客さんは、想像できない。


 そういえば「インスパイア」は、エピゴーネンをもっとポジティブに捉えた用語ではないのか、と思ったが、そうではなかった。


in(中へ)+spirare(息、息吹)


 ラテン語だった。Wikipedia調べ。


 しかも「パクリ」の要素はなく、何かに触発されて新しい独創が生まれることをいう。


 「次郎インスパイア」と名乗るお店の多くは、それは本来の「インスパイア」とは呼べないのではないか。


 次郎系のラーメンにインスパイアされた交響曲、くらいのインパクトが無いと、もう私の中では「インスパイア」とは認められない。


 では「オマージュ(hommage)」はどうか。ここには「尊敬」の意味が含まれる。


 私は西暦1981年から、集英社の『週刊少年ジャンプ』の愛読者である。「ジョジョ」シリーズは第一作から連載で読み継いできた世代だ。現在連載している人気漫画「ONEPIECE」(尾田栄一郎)の「ワノ国編」は、落語や歌舞伎など、江戸文化へのオマージュてんこ盛りであるし、作者である「おだっち」の趣味というか、愛が、これでもか、と詰め込まれていた。


 「僕とロボコ」(宮崎周平)に至っては、既存作品への愛溢れるオマージュこそが、この作品の魅力、といっても過言ではない。


 ところが歳を取ってきて、段々と内容が頭に入ってこない作品が増えてきた。歳のせいにしてはいけないか。真剣に読んでいるのは5作品くらいになってしまった。ヒロアカとワンピと呪術廻戦が最終回を迎えるまでは、読み続けるだろう。


 そんなことはいい。


 和歌の世界には「本歌取り」という技法がある。

 

 本歌取りは、有名な本歌の1句から2句を自作に取り入れて作歌を行う方法で、そこに本歌への「オマージュ」があればこそ、芸術として成り立つ技法であるのだ。「オマージュ」の一形態といってもよい。


 だた、この「本歌取り」はとても難しい技法で、素人がうかつに手を出そうものならほぼ確実に「エピゴーネン」になってしまう。


 おっと、私も「エピゴーネン」が使いこなせるようになってきたか。


 そう、やはり古典ギリシア語の「エピノゴイ(後に生まれた者たち)」の派生語である「エピゴーネン」は、長い時間をかけて積み重ねられてきた伝統や歴史のあるものに対して用いられるべきである。


 あとは「手垢のついた」という表現についても、エピゴーネンの中に含まれるだろう。


 たとえば、漫画でいうと、戦士の強さを数値で比較する、という手法は、もう古い。


 どう頑張っても「戦闘力53万」のフリーザ様には勝てない。試しに、Bingの検索で「フリーザ 戦闘力」と入力し、ポチっとしてみよう。1秒もかからず「53万」という数値が出てくる。

 

 これはもう、鳥山明氏の大勝利である。今後、何かの強さの指針で「53万」が出てきたら、もうそれは、フリーザ様のエピゴーネンだから。いや、これは「パクリ」か。でも100年後には「エピゴーネン」になっているはず。


 そう「エピゴーネン」とは、伝統的、歴史的、文化的「パクリ」もしくは「パクった人」のことである。


 私はそう、理解した。

 

 異論は、おおいに認める。

 

 ちなみに「53万」を検索すると、フリーザ様で埋め尽くされる。


 53万。すごい語彙である。

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