第39話 転移者は懺悔しない

 黒いゴブリンの急所へと突き刺さった『玄武』。


「グウウ……ウオオオオアアア…………ッ」


 ベリウスは苦悶の声をあげながらたたらを踏み、膝をつく。

 右手の翼十字は持ちあがることなく床に沈み、周りには唾液と血液がない交ぜになった赤黒いなにかが水たまりのように広がっている。


「貴様ハ……自分ガ何ヲシテイルカ、ワカッテイルノカ……」


 ベリウスが苦しげに言葉を連ねる。


「僕ハ女神ラナンシア様ニ仕エル一級使徒……」


 黒い肉体はガクガクと震えている。

 それがダメージによるものか、感情の波によるものかはわからない。


「一級使徒デモ、他ノ俗物共トモ違ウ……」


 それでもまだ倒れていない。

 意識も残されている。

 尽きることのない執念――


「天使ノ力ヲ誰ヨリモ正シク理解シ、イズレハ女神ラナンシア様ニ……最モ近シイ存在ニナルベキ者ナノダゾ…………」


 追い打ちをかけようにも俺の『玄武』はベリウスに突き刺さったまま。

 残る一本は弾かれてどこかに飛んでいってしまった。

 今度こそ正真正銘の完全な手ぶらだ。


「はっ。なんだよそれ。どうやら『闇組織イリーガル』なんかに属していようが、あんたの女神への敬愛だけは本物らしいな?」

「ラナンシア様ヲ呼ビ捨テニスルンジャナイ! コノ盗賊風情ガア!」


 ベリウスが憤怒の表情で叫ぶ。

 俺はそれを横目に見ながら重い足を動かし、どうにか歩く。向かう先は、すぐ近く。まだ壊されずに残っていた一つの長椅子。


 その下に手を伸ばすと――よし。あったぞ。


「けどな。あんたは聖翼教で罪の象徴とされるゴブリンへと自ら身を堕とした。その時点で裁かれる側の存在になったんだよ。とっとと諦めろ」

「ナニイ……!」


 が無事だったようでなによりだ。

 まあ、を隠しておいたこの長椅子だけは潰されないように避けて逃げ回ったんだけど。


「今から見せてやるよ。その証拠をな」


 言いながら、俺は一本のそれを投げる。


「ヌ……?」


 瀕死のベリウスの顔面に直撃。

 パリンと砕け、青い液体を撒き散らした。


 ――シュウウウウウ。


「グアアアアアッ!」


 苦しそうに顔面を抑えるベリウス。

 一体これが何なのか。

 お前なら知ってるはずだよな?


「『魔除けの霊水』。他ならぬあんたたち聖翼教が邪悪な存在……つまりゴブリンを退けるために作った魔薬だよ。」

「グウウ……アアアアアア!」

「『ビラムの森』じゃあ聖翼教の使徒であるはずのリリカに直接投げられてたが……知ってるか? 実は冒険者には、こっちの使い方の方がメジャーだったりする。とはいっても、ダメージはカスゴブリン一体倒せるかどうかの微々たるものだが」


 続けて『魔除けの霊水』を投げる。


「グオオオオオ!?」


 今度は三本。

 それぞれがベリウスの頭と肩、胸元に直撃。

 一斉にバリンと砕ける。

 青い粒子が黒い肉体を蝕むように包み込む。


「ガアアアアアアアアアアアア!」

「さて。今のあんたが、どこまで耐えられるんだろうな?」


 また次の『魔除けの霊水』を投げる。

 一気に五本。片手で投げられるギリギリの本数だ。


「グオオオオオオオオ! キ、貴様ア! イクツ持ッテイル!?」

「うん? ああ、そういえばそうだな」


 少し考える。

 次の一本をベリウスへと投げつけながら。


「グウウッ!」

「これまでのバイト代が1日20ゼルの26日分で520ゼル。『ビラムの森』探索の特別ボーナス100ゼルに『ゴブリンの爪』2本で136ゼル。自分用にちゃっかりとっといた『リネン蒼』が確か相場の四割の352ゼル。これを全て足してざっと1,108ゼル。これが今日の朝時点での俺の全財産な。で、『魔除けの霊水』が一本14ゼルだから、1,108割る14ゼルで……」


 頭の中で計算式を思い浮かべ、答えを出す。


「79本?」

「ナ……ド、ドウシテ……」

「俺の相棒、ヒナタは仕事を三つまでこなせるからな。ゴブリンとの戦闘こそ予定してなかったが、あいつは既に自分の仕事をフルにこなしてくれていた」


 一つ。

 噴水広場の布教において、最初のサクラを務めたこと。

 一つ。

 教会にこっそり忍び込み、俺からの合図でベリウスを討つべく待機していたこと。


 そしてもう一つ。


「買い物を頼んどいたんだよな。難しい暗記や計算はできないあいつでも、この金で『魔除けの聖水』を買えるだけ買うっつうシンプルな買い物くらいはできる」

「コノ瞬間ノタメニ……全テノ財産ヲツギ込ンダト言ウノカ!? 『魔除けの霊水』ナンゾノタメニ!」

「仕方ないだろ。生きるのに必死なんだから」


 俺はまた次の『魔除けの霊水』を投げながら。

 いつかリリカに向けて話したことを改めて告げた。


「目的の達成を第一に考えること。そのための最良の選択を辿ること。あらゆる局面を想定し、出来る限りの備えをすること。そのための犠牲は怠らないこと」


 それは『朽ちた黒羽レイヴン』で教えられた、この世界で一日を生き延びるための掟。


「黒いゴブリンになったあんたとガチで戦うことになる可能性はほぼゼロだと思ってたが、ゼロじゃない。全財産を失うのは厳しいしギリギリまで迷ったけど……なにせ俺はその日暮らしの転移者だからな。今日を生きるためのコストは惜しまねえよ」


 全財産をはたいて買った『魔除けの霊水』を一本、また一本と投げまくる。

 これ一本の金でパンが何個買えるかとか、そこを深く考えたら負けだ。


 むしろこの札束でたき火するかのような最高の贅沢。

 開き直って心の底から楽しまないとな!


「そらそら、そらあ!」


 パリンパリンパリンパリンッ!

 ジュウウウウウウウウウウウウウ……!


「グオオオオオオオオオオオオオオオオ」

「はははははははははははは!」


 そういえば俺が前にいた世界だと今頃は二月。

 二月といえばラノベ最大手レーベルの受賞作の発売月。

 そして――『節分』なんて行事もあったよな。


「おらあ!」

「グウウッ! グオアアアアアッ!」


 魔を祓うために豆を投げるという、冷静に考えたら意味不明なイベント。

 しかし今は、それが妙にハマる。


 ここは聖なる教会の内側で。


「邪悪な鬼はとっとと外に出ていきやがれ!」

「グオオオオオオオ!」


 青い粒子が霧のように立ちのぼる。

 それはもはやベリウスの全身ほどの範囲に膨れ上がり、瓶が砕ける乾いた音とベリウスの悲痛な声だけが漏れ聞こえてくる。


 そしてゴブリンを形作っていたシルエットにが起こった。


 二メートルを超えていた大きな肉体がみるみる萎んでいく。

 ミシミシという音をたてて頭部や全身の骨格の形状が変わっていく。

 まるでゴブリン化の時の映像を巻き戻したかのような現象。


 その行きつく先は――言うまでもない。


「ほらよ。こいつが最後の一本だ」


 一本の『魔除けの霊水』をベリウスへと投げつける。

 もっとも、もはやその必要もなかっただろう。


 青い粒子の霧が晴れ、ベリウスの全身が晒されてゆく。


「ビラムの森であんたが逃げたのは、モニクさんに深手を負わされた時だ。時間経過かダメージか、あるいはその両方か……なんにせよ終わりみたいだな」

「ああ……あああぁ……」


 慌てて自分の全身を確認するベリウス。

 その声も姿も、もはや完全に人のものとなってしまっていた。どういう原理なのかゴブリンの時にできた傷はなくなっているが――精神的に追い詰められたからか、魔力的なものを消耗したのか、その肉体や顔つきはやつれきっている。

 いつの間にか眼鏡もない。

 あと変身時に服が破けたせいで全裸だ。


「さて、と」


 俺は最後の力を振り絞り、歩を進める。


「く、来るなぁっ!」


 尻餅をついたまま、ベリウスは慌てて後ずさった。


「罪深きクズがあ! 懺悔しろ! 懺悔しろおおお!」

「…………」


 そういえば俺も最初にあいつから言われたな。

 俺は罪深い存在だと。

 懺悔しろと。クズとかも言いやがった。


「ありがたい一級使徒様のお言葉だろうけどよ。残念ながら検討違いだ。転移者に懺悔しろ、なんて言葉はな」

「なんだと……?」

「転移者は懺悔しない。懺悔するべき過去も相手も、元の世界に置いてきちまったからな」


 跪くベリウスの目の前で足を止める。


「そして俺は転移した先でも生き延びるために盗賊団に属し、小さい女の子をさらおうとした正真正銘のクズだ。けどな」

「う……?」


 今度こそ武器も道具もない。

 あるのはせいぜい拳のみ。

 ありったけの力を込めて握りしめる。


「道を踏み外した一級使徒をブッ倒すくらいは、できるみたいだな」

「何故だ……何故、君ごときが、こんな……」

「だから言ったじゃねえか。涙の力だってよ」

「な……涙の力、だと?」


 ベリウスは身体を俺の言葉に反応し、ガバリと身を起こす。


 唾液が傷を癒し、汗が体の異常を治す『聖遺物』の少女。

 自分で研究すると豪語してはいたが、興味を持つのも当然のことだろう。

 

 天使の涙が果たしてどんな力をもたらすのか。

 どうして『その日暮らしの転移者』ごときが、一級使徒であり『闇組織イリーガル』である男の野望を挫くことができたのか。


「まさか君は知っているのか! な、なんだねそれは! 言いたまえ!」


 顔をあげ、身を乗り出してくるベリウス。

 俺はニヤリと笑い、告げる。


「教えてやろうか? それはな」

「……そ、それは?」


 顔を突き出し、食い入るように迫ってくるベリウス。


「それは……」

「それは――――」



「ラナンシアアッパー!」



「ぐがはっ! があああああああああああああああああっ!」



 突き出された顎を思いっきり打ち上げる渾身のアッパーカット。


 ベリウスは全裸のまま宙へ舞い上がり――どさっ。


 五メートルほど離れた床に落ち、そのままピクリとも動かなくなった。


「……ふう」


 そして――どさっ。

 俺もまた、そのまま後ろに倒れる。

 床に大の字となり、教会の天井を仰ぎ見る。


 久しぶりに死にかけた。本当にギリギリだった。


 攻撃を防ぎ続けてきた両手の握力はもう無い。何度かかすっただけの攻撃で体のあちこちが腫れ上がり、呼吸しただけで骨が酷く痛む。肋骨とかヒビ入ってそう。

 

「本当に、俺は何をしてるんだか……」


 誰に向けるでもなく、言葉が溢れてくる。


 あの幼女シスターを守るため?

 そんなはずはない。

 あいつは『朽ちた黒羽レイヴン』にとっての標的で、なにより転移者である俺は、この世界で今日を生き抜くことこそが全てだ。幼女一人を守るために自分の命を危険に晒そうなんざ、割に合わない。


 しかし俺はあの時――を見た時。

 少しだけ思い知らされたのかもしれない。


 転移者だろうが『闇組織イリーガル』の盗賊だろうが、結局のところは俺も一人の人間で。

 もし目の前に泣いている子がいれば、少しは心が動かされてしまうということを。


 あるいは、それが、もしも。


 その少女がとんでもなく壮大な運命を背負わされ、救うためには自分の何かを犠牲にして強大な悪に立ち向かわなければならないほどのものだとしても。


 それこそ俺が前の世界で好んでいた漫画や小説の主人公みたいに。

 悲しみに暮れる少女をただ純粋に助けたいと思うような、強く気高い気持ち。


 あの幼女の涙には、それを思い出させるだけの力があったのだ。



 俺みたいクズにすら――英雄の魂を宿す力が。



「……なんてな」


 ああ、もう。

 なにわけのわからないことを言ってんだ、俺は。


 今度こそ完全に薄れゆく意識の中、改めて強く思う。


 自分は英雄なんてガラじゃない。


 だから死にかけたことへの後悔よりも。

 どうにか生き延びたことの安堵とかよりも。


 まるで自分が物語の主人公になったかのような、誇らしい気持ちになってしまったのは。


「もう二度とやらねえ」


 多分、気のせいだ。

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