第三章(下) 天使の笑顔と涙の力

第31話 罪人たちに赦しの手を

 布教ノルマが課された最後の日。

 俺達はまた、いつもの噴水広場で布教活動を行っていた。


「天使だ! 天使が俺達の町に舞い降りたぞ!」

「汚らわしい目でリリカちゃんを見てんじゃねえ! とっとと懺悔しろテメエら!」

「ホオオオッ! わたくしめにも御慈悲をお与えくださいましィィィ~!」


 早朝から始めてもう昼になりつつあるが、今のところ順調と言える。

 布教による行列は開始から三時間以上が経過してなお途絶えるどころか、むしろ周りの野次馬を巻き込んでさらに膨れ上がりつつある。人気のパン露店にも負けない盛況っぷりだ。


 その行列を煽り続けていたのが一人のゴブリンマスク。


「どこがどう布教だというのよ!」


 それが俺だとわかったモニクさんは、当然とも言える問いをぶつけてきた。そして視線を俺の後ろの方にやると、馴染みの幼女の存在に気付いたらしい。


「んん? あそこにいるのは……リリカ?」

「そうですね。とりあえず見ていてください」


 俺も視線をリリカの方に向ける。

 そこではちょうど行列の先頭にいる奴が、リリカの前に向かうところだった。


「どのあたりが布教なのかは、すぐにお分かりいただけると思いますので」




 リリカの向かいに腰かけたのは、見覚えのある大柄の衛兵だった。


「俺は見ての通りセイバールの正規兵だ。この町の秩序を守るという使命を王より与えられている。もっとも、このクソが付くくらい平和な町に、どれだけの意味があるのかはわからないけどなあ?」


 自分よりも遙かに小さい少女を見下ろしながら、威圧的な笑みを浮かべる衛兵。

 しかしリリカは澄ました表情で銀色の髪をかきあげながら、しれっと返す。


「パンを盗んだ獣人の子供を、汚らしい言葉と暴力で押さえつけていた衛兵ですね。体が大きい割に人間的には小さそうだったので、よく覚えています」

「なっ……あれは、この町があまりに平和過ぎて、退屈してたからだよ。久しぶりに起こった事件を前に、ついついテンションが上がっちまったというか……」

「なんですかその田舎の不良みたいな精神構造は。本当に秩序を守る気ありますか」

「うるせえ! てめえに何がわかる! 俺と一緒に軍事学校を卒業した同期は既に一個中隊の隊長を任されてやがる! 俺を慕っていた後輩の女子も、王直属の近衛兵団にあっさり配属された! なのに俺はなんなんだよ! まるで左遷されたみたいに、こんな辺鄙な町の衛兵なんかに!」

「ようは手柄に焦っていたと。笑えるくらい幼稚ですね。大人なんですから、もう少し自分の身の程を弁えた方がよいのでは。あまりに滑稽で、直視できません」

「ああ、そうだよ! 悪かったな! 無能なくせに自尊感情ばっか高くてよ! 腕っぷしが強いだけで頭は悪いしすぐに熱くなっちまうし、俺なんざこの町の衛兵すらも務まらねえ! ハッ! こんなカスみたいな奴がこの町を守る衛兵ですみませんでしたあ!」




「……な、ななっ。なんなの、これ」


 モニクさんが顔をしかめ、サッと目を逸らした。

 大人の男が十才の幼女に辛辣な罵詈雑言を浴びせられ、自暴自棄になって叫びまわるという有様。正直、俺だって見るのがツラいレベルだ。

 けど、目を逸らすにはまだ早い。


「もう少しだけ見ててください……大事なのはここからです」




 テーブルを挟んで向かい合う小柄な少女と大柄な衛兵。

 しかしリリカの方は控えめながらも堂々と背筋を伸ばし、むしろ沈み切った衛兵の方が小さく見えてしまう。


「まったく。本当に、あなたはどうしようもないくらいに罪深い存在ですね」

「クソッ! どうして、こんなことに……俺だって、俺だって本当は……!」

「でも。そんなあなたに救われている人が、いないわけでもないんですけど」

「…………えっ?」


 そこでふと、少女の口調がやわらかいものに変わる。


「平和な町にも関わらず、あなたは毎日欠かさず、この町の巡回をしていました。視界に入って鬱陶しい時もありましたが、そのおかげでわたしは安心して、ここで毎日の布教を続けることができたのも、事実というか……」

「あ……」

「平和を守るというのは、別になにも多くの部下を率いたり、大きな事件を解決することに限りません。そんな些細なことで守られる平和だって、あるはずなんです。だから町の衛兵であることに少しは誇りを持っても……いいんじゃないですか。そうすれば女神ラナンシア様も、きっとあなたを赦してくれると思いますから」


 リリカが小さい手を、衛兵へと差し出す。


「その……一度くらい、お礼を言いたかったです。い、いつもありがとうって……」

「あ、ああ」


 反射的に衛兵も手を差し出した。

 リリカの華奢な手が、男の無骨な手を優しく包み込む。


 そして――リリカは最後に表情を和らげながら。


「これからも、この町とわたし達のことを守り続けてくださいね?」


 小さく


 それは子供らしい無邪気な笑みでも、感情をむき出しにした満面の笑みでもなく。

 聖母のような慈愛に満ち、あらゆる罪の全てを赦してしまうかのような。


 まさに天使と形容するにふさわしい『笑顔』だった。


「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」


 周りのフレスタ住民から叫び声があがる。

「リリカちゃん!」「可愛い! 可愛い!」「リリカちゃん!」「ホオオオオ~っ!」「リリカちゃあん!」「リリカちゃーん!」「天使様あ!」沸き上がるのは、小さい天使を称えるリリカちゃんコール。


 また、その中には「がんばれよー!」「いつもありがとな!」という言葉もある。大柄の衛兵へと向けられたエール。周りの連中も衛兵の懺悔を聞いており、それぞれが思い思いに激励と感謝の言葉を投げかけているのだ。


 そんな優しい喧騒に湧き上がる中、リリカはペンでさらさら自分の名前を書いて完成させた『サムネの書(リリカちゃんサイン付き)』を衛兵に「どうぞ!」と押しつけていた。


 懺悔を終えた衛兵は立ち去り、次なる懺悔者がリリカの前に現れる。

 天使のような少女に向けて「実は私は……」とまた己の罪を語り始めるのだった。




「……とまあ、あんな感じですね」


 俺は再びモニクさんへと視線を戻した。


「どうです? 意外と真面目にやってるでしょう」


 布教とは、別に女神の教えを一方的に語るだけに限らない。

 むしろ相手側の心をいかに開かせるかの方が重要だ。


「こんな形で聖翼教の教えである罪の意識と懺悔を煽りつつ、『サムネの書』も一緒に渡してしまうという画期的なイベントを……ってモニクさん?」


 モニクさんは目を見開き、リリカの方を見て固まったままだった。


「クズ。私の見間違いでなければ、だけど」

「……はい?」

「あの子、さっき笑わなかった?」

「えっ、ああ、笑いましたね」

「うそ……でしょ……」


 モニクさんがシリアスな表情で息を呑む。


「あの子の笑うところなんて見たことない……そんな感情は無いハズ。こわっ! 不愛想過ぎてとうとう情緒が壊れたのかしら? クズ、リリカの頭は大丈夫なの!?」


 モニクさんらしからぬ酷い言いようだな。

 けど、まあ、気持ちはわかる。


「別に、そこまで驚くことじゃないですよ」


 しかし俺はこう返した。


「表情なんてのは、結局のところ顔の筋肉をどう動かすかの問題ですからね。特訓さえすれば、上っ面の笑顔を取り繕うくらい、それなりにできるようになります」

「特訓!? つまりさっきのは、あの子の作り笑いだということ?」

「はい。あんな冷めきったクソ幼女が心から笑えるはずないですから」

「な、なるほど。それなら納得ね!」


 それで納得される十才の幼女もどうかと思うけども。


「じゃああの行列と熱狂は? どうしてあの子が、あそこまで町の人たちから……まるでアイドルみたいに扱われているというの!?」

「それは……前にモニクさんも言ってましたよね。リリカの布教には、最も大切な何かが欠けているって」

「え、ええ……」


 それこそが今回のイベントのカギにして、俺達の布教における最大の切り札。

 まさに先ほど俺達が目にしたもの。


「笑顔ですよ」

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