第29話 俺達の生きる世界

 そして数日後。

 俺はヒナタといつもの公園で落ち合っていた。


「さて、状況を整理するぞ」


 公園のベンチに腰かけた俺は、いつもに増して真面目なトーンで言う。

 一方、相手のヒナタは俺の隣でふにゃんと猫みたいに丸まっている。


「今日の夜、週に二度の貨物用馬車がフレスタに来る」

「うん。お馬さんが町の外から食べ物とかを運んでくるやつだよね」


 俺は「そうだ」と頷き、話を続ける。


「それに標的を連れて乗り込む、というのが次の一手だ。すでに積み荷の時間や段取りは把握済み。パン文化が盛んなフレスタは、朝が早い代わりに夜も早い町だ。夜は人目が少ない。衛兵も町に入る際は中身を入念に確認するが、出る際の確認はあくまで形式上のもので適当」

「うん」

「つまり、上手く荷物の中に紛れ込めさえすれば」

「あとは安全に標的を遠くまで運ぶことができる。だったよね」


 現在のフレスタ教会の状況については、もちろんヒナタにも伝えてある。

 布教ノルマを達成できなければ教会は無くなり、同時に標的もこの町からいなくなってしまうであろうこと。


 その期日は三日後に迫っていた。

 つまり俺達は、それまでに行動を起こさなければならない。標的を連れ去るための貨物用馬車が来る日に限定すると、実質今日が最後のチャンスということになる。


 ヒナタは「くわぁ」と口をあけて欠伸を漏らすと、べちゃりとベンチの上で横になった。何故か、俺の膝を枕にする形で。膝が獣臭くなるからやめてほしいんだが。


「ねえコカゲ。今日はやめにしない?」

「えっ。急に何言いだしてんだ、お前」


 相棒の唐突な言葉に耳を疑う。

 こいつには脈絡という概念が無いのだろうか。


「だってヒナタ、この町のこと結構気に入ったんだもん。平和だしあんまりうるさくないし、どこにいてもパンの匂いがするし、パンもおいしいし!」

「…………」


 ヒナタは膝枕のままキラキラした目で俺を見上げてくる。


「ねえねえ。任務なんか後回しにして、もうちょっとだらだらしとこうよ~」

「……ったく。お前まで日和ったこと言いやがって」

「え? ひよ……なに?」

「獣人のくせに獣みたいなこと言うなっつってんだよ!」


 俺はヒナタの顔面をバチンと叩く。

 ヒナタから「あだあ!?」と悲鳴が漏れた。


「わかってんのか! この三日で布教のノルマを達成しないと教会が終わる。そうなると標的である『慈愛の聖女』がフレスタ教会からいなくなるんだよ!」


 もはや後回しにできる余裕もない状況なのだ。


「じゃあ、その布教のるまは達成できないの?」

「無理だ」


 俺は断言した。


「布教で配らないといけない聖典の数は三百以上。こんな平和な町でそれだけの奴が三日の内に聖翼教だとかいう宗教に目覚めるなんざ、明日急に魔王が復活する並にありえないことだ。それくらい、誰にだってわかりそうなもんだけどな」

「でも、それを言い出したのが……あのおじさんなんだよね」


 ヒナタはごろんと寝返りを打ち、公園の方へと向いた。

 その瞳は獣みたいに眇められている。


「……ああ。例の一級使徒だ。聖翼教の中でも最高位に位置し、フレスタ教会の存続を左右させられるだけの権限があるのも事実らしいが……

「うん」


 今この公園には他に誰もいない。

 平和な町の活気が届くことはなく、ここには俺達だけの暗い世界がある。


「まあ、面倒なことになる前にさっさと逃げるのが一番なんだよな」

「むうぅ。ヒナタはコカゲの判断に従うけど……でも、でも」


 しかし獣の本能で生きるヒナタは、あまり深く考えない。

 この世界が俺達に優しくないということを、たまに忘れてしまうのだ。


「いいかヒナタ。ここは俺達の本来の居場所じゃない」

「えっ?」

「俺達の立場と、本来の目的を忘れるなってことだよ」


 転移者と獣人。

 俺達の境遇はどこか似ている。

 リリカに対してこいつを「逃げた奴隷か身寄りの無い浮浪者」と説明したことがあったが、あれ自体は嘘じゃない。非力な獣人の子供でしかないヒナタは、『朽ちた黒羽レイヴン』に拾われなければ今も悲惨な目に遭わされていた。


 そしてある意味それ以上に無力なのが転移者だ。わけもわからないうちに異世界に飛ばされ、わけのわからないうちにゴブリンに殺されかけていた俺は『朽ちた黒羽レイヴン』の気まぐれで命を救われた。


「俺達は『朽ちた黒羽レイヴン』に拾われ、生きる術を与えられた。俺達は『朽ちた黒羽レイヴン』に属することでしか、この世界を生きていくことができないんだよ」


 だからこそ俺は、『クズ』である前に『コカゲ』なのだ。

朽ちた黒羽レイヴン』のコカゲとしての立ち振舞いを、最後まで貫かなければならない。


「……そうだったよね」


 ヒナタだって、そのことを理解してないわけではない。

 もうひと押しだと感じた俺は、明るい話題を切り出すことにする。


「それより、いいもんがある。これを見ろ」

「え? なに? なに?」


 ジャラリという音に反応したヒナタがガバッと起き上がり、興味深そうに見る。

 俺がベンチにぶちまけた数枚の銀貨と銅貨だ。


「全部でいくらあると思う? なんと1,048ゼルだ」

「うそっ! ほんとにっ!?」


 ヒナタの目が輝く。

 頭が獣なので数字が理解できないヒナタですら驚くほどの物量。

 無理もない。俺達が今回の任務のために旅立ってからの圧倒的最高額だからだ。


 これまでのバイト代が1日20ゼルの23日分で460ゼル。

 同じ一日でも『ビラムの森』探索だけは突出して大変だったからと、モニクさんが特別ボーナスとしてくれた100ゼル。

『ビラムの森』で拾った『ゴブリンの爪』売却が1本68ゼルの2本で136ゼル。

 同じく『ビラムの森』でこっそり自分用にくすねた『リネン草』が価格相場として880ゼルのところ量を換算して四割の352ゼル。


 これを全て足すと、ざっと1,048ゼルという計算だ。


 思えば『ビラムの森』から持ち帰った素材だけで相当稼がせてもらった。特に『リネン草』がヤバい。多分だけど、ベリウスのような薬学に精通した奴だけが知る穴場だったんだと思う。こんなものがランクEのダンジョンなんかにあると一般に知られたら、とっくに品のない冒険者に刈り尽くされてるだろう。


「ミンチカツ! 何個くらい食べられるかな!?」

「うん? どうだろ。五百個くらい?」


 ミンチカツはヒナタの好物だ。

 こいつにとっての金や贅沢のイメージは全て食べ物に換算される。

「全財産で同じモノを買えるだけ」という形でしか買い物もできない。もしこいつに金を渡そうものなら1,048ゼル全てがミンチカツに変えられてしまうことだろう。


「まあ好きな物をたらふく食うのも結構だけどよ。たまには他の金の使い方も覚えようぜ。フレスタじゃパンくらいしか使い道ないけど」


朽ちた黒羽レイヴン』では任務として回収するアイテムは別として、その過程で手にした他のアイテムや金は基本自由にしていいことになっている。教会アルバイトがなくなっても、これでしばらくはその日のメシに困ることもないだろう。


「さて、やるぞ。あとはあのクソ生意気な幼女を連れ去るだけだ」

「うんっ!」


 そう。

 あとは『慈愛の聖女』を手に入れるだけ。

 今度こそ――今度こそ、やってやるさ。






 噴水広場に戻ると、リリカが疲れ果てたようにちょこんとベンチに座っていた。

 俺に気付き、見上げてくる。


「どこに行っていたのですか」


 それなりに長い時間、離れていた俺に不服を示すわけでもなく。

 リリカは人形のように表情がなかった。


「ああ……ちょっとな」

「……そうですか」


 俺の適当な返しにも、リリカはそれ以上追及してこない。

 いつもと少しだけ様子が違う。

 疲れているのだろうか。まあ、なんだっていい。


「さて、そろそろいい時間だ。今日のところはもう帰ろうぜ」


 時刻はもう六時を過ぎようとしている。

 小さい女の子が出歩くのは心配される時間だ。

 フレスタ教会のルールでも晩御飯までに帰らないとモニクさんに怒られるし、今までだってそれに間に合うよう布教も切り上げてきた。


 まあ、こいつが教会に帰ることはもうないんだけどな。

 俺が帰りがけにこいつを貨物用馬車の中にぶち込んで、そのままフレスタから連れ去る手筈だから。

 しかしリリカはいつまで経ってもベンチから立ち上がろうとしない。


「おい、聞いてんのか。布教なら、また明日から頑張れば……」

「……もう、無理です」

「なに?」


 リリカから返ってきたのは意外な言葉だった。

 ノルマ達成の期日まではあと三日。

 しかしそれが訪れるよりも早く――リリカの心が、とうとう折れたのだ。

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