第15話 流行病がくる

 眠る相棒をベンチに放置して、公園をあとにする。

 それから教会アルバイトとしての買い出しを済ませた俺は、リリカのいる噴水広場へと戻った。


「わたし達は罪を抱えています。そのことに、気付かないといけないのです」


 幼くも天使のように澄んだ声。

 ちょうどリリカが布教をしているところだった。


「自分が誰かに赦されていることに気付いてください。例えば日々の食事も、女神ラナンシア様の慈愛と大いなる恵みによるものです。それを育んだ人。調理した人。あなたに与えてくれた人がいます。そんな当たり前に、感謝してください」


 噴水広場では今日も多くのフレスタ住民が行き交っている。

 リリカは噴水近くの目立つ場所で『サムネの書』を開きながら一生懸命に説いてはいるのだが、相変わらず誰も聞いていない。

 まるでその部分だけが、活気ある町から切り離されたかのように。


 俺がアルバイトを始めてから一週間。

 これももはや毎日繰り返されるお馴染みの光景だった。


 ――だったのだが。


 そんな中、俺はベンチに腰掛ける三人組の青年に目を留めた。

 何やら楽しそうに喋ってはいるが、それらの視線は明らかにリリカの方へと向けられているのだ。


 まさか、布教を聞いてる奴がいるのか!?


 俺はそれとなく近づき、三人組の会話に耳を傾けてみた。


「女神ラナンシア? 誰それ」

「どうせ二十歳過ぎのババアだろ」

「年増の慈愛とか誰得」


 女神がボロクソに言われていた。


「それよりあの子がかわいい」

「うん、かわいいな」

「超かわいい。あの子の慈愛がほしい」


 そして何故かリリカの方が称賛されている――だと?

 驚きつつも改めて周りを確認してみると、チラチラとリリカを見ている者が何人かいるようだった。近くにある露店に出来た行列では、ヒマなのかその視線の半分近くがリリカへと向いている気がする。


 どんな形であれ――少しずつ興味を持たれているってことか?


 たしかにあのリリカというシスター、幼いながらも天使のような容姿をしている。

 小さい少女とはいえ、それだけで人の目を引きやすいのかもしれない。

 もしかしたら、このうちの何人かは布教の内容に耳も傾けているのかもしれない。


 しかし残念ながら、それが成果に結びついてくれるようなこともなく。


「リリカ。重いんだが」

「……知りません」


 結局俺は、来た時と全く変わらない数の『サムネの書』を抱えて帰る羽目になった。知りませんじゃねえよ。まったく本当に困ったリリカちゃんだなこいつは。


「今日も誰もわたしの話を聞いてくれませんでした」

「そうか」


 淡々と口にするリリカだが、いつもより表情が暗いように見える。

 表向きは素っ気ないようで、内心としては落ち込んでいるんだろう。


 まあ、せっかく頑張ったのに可哀想な気がしなくもない。

 たまには女神の教えとやらに付き合ってあげる奴がいてもいいよな。


「今日のテーマは食事への感謝だったか。ちょうど教会で『炊き出し』の日だったこともあってのチョイスか?」

「はい。聖翼教では最も大事な教えなので、週に一度はしていますね」

「そういえばお前含め教会のみんな、食事は残さずきれいに食べるよな」

「当たり前です」


 確かに当たり前だけど、とてもいいことだと思う。

 特にリリカはまだちっこいし、ちゃんと食べないと大きくなれないからな。これ言ったらまた機嫌損ねそうだから言わないけども。


「それに……少しだけ、思い出してしまいました」

「うん?」

「ベリウス様にソースを舐めるように強く言われた時、とても驚きましたが……わたしのお母さんも、食べ物を残すことだけは許してくれなくて。ニガテな野菜を残しては、よく怒られていました」

「お前の場合、残さないのは女神というよりも母さんの教えってことか」


 母さん、か。


「この点に関して言えば、クズも大丈夫そうですね」

「…………、」



 ――××君。また残してる。おいしくなかった?

 ――体にもいいんだから、残さず食べないと駄目だよ~。



 ふいに何かがよぎる。

 それは言葉であり感情であり、俺にとって重要な何かなのかもしれない。


「クズ? どうしましたか」

「いや」


 それでも今の自分には関係のないものだった。

 もはや半年も経った今、考える理由もない。


 だから今の俺はこの世界のことを考える。

 今日を生きるために必要なことだけを。


「……なにせ俺はその日暮らしの転移者だからな。この町に来てから当たり前にパンを喰えていること、いつだって感謝してるよ。女神ラナンシア様の教えにも全力で肯定するぜ」

「そうですか」


 さて、こんな話をしてたら無性に腹が減ってきた。

 夕食前の時間ではあるけど、適当にパンでも買い食いして帰ろうかな。何せ今の俺は無一文じゃない。バイト代1日20ゼルの一週間分で、なんと140ゼルもの大金があるのだ。うへへへ。


 しかし近くのパン屋や露店を探そうとして、今さらながらに気付くことがあった。


「流行病って結構広がってるんだな……」


 口元を押さえてごほごほ咳きこむ親子連れとすれ違う。

 他にも足取りが重く、覇気の無さそうな人がチラホラ見られるのだ。


「はい……あ、ここのお店も流行病でお休みって書いてあります」


 リリカが小さい食堂を指して言う。

 そういえばヒナタに良くしてくれているパン屋も、流行病で休んでるんだったか。


 町全体に覇気が感じられないように思うのは、決して気のせいではないだろう。

 俺がこの町に来た一週間前は、まだまだ活気があったのに。

 確か薬がつくれないとかで流行病が一ヶ月以上放置状態とのことだったけど、特にこの数日で一気に感染が広がっているのかもしれない。


 この流行病、なんでも免疫力や体力が落ち、咳や高熱といった症状が起こるらしい。ようは風邪やインフルエンザみたいなものだろう。

 今のところ生死に関わるほどの例はないものの、一度かかれば自然には治りにくいどころか症状は日に日に悪化し、なによりも感染力が強いことが脅威とされているんだとか。


「お前も気をつけろよ」

「……クズの方こそ。流行病になったらアルバイトはクビですから」

「へーへー」


 そうなる前にこいつをさらって、さっさとこの町から離れたいものだね。






 その日の夕方。

 モニクさんとアギが流行病にかかっていた。


「マジかよ……」

「…………」


 俺とリリカは談話室で呆然としている。

 他に誰もいないので、ひどく静かだ。

 朝はまだ元気だった二人が突如として体調不良を訴え、日が暮れる頃には部屋で寝込んでしまっていた。


 外で布教をしていたリリカと違い、二人は主に教会の中で仕事をしていた。お祈りに訪れた人の相手をすることもそれなりに多く、それも決して風通しが良いとは言えない教会の中だ。


 流行病に感染しやすい条件は明らかに揃っていた。

 人手不足とはいえ、危機管理が足りていなかったのも事実だろう。

 

 改めて状況を整理した上で、俺は断言した。


「今度こそ終わったな、この教会」

「お、大袈裟なクズですね。なにも、そこまで……」


 というか、もうこの教会には俺とリリカの二人しかいないのだ。

 ただでさえ人手不足で壊滅状態だったフレスタ教会。さらに主力の二人までもが欠けてしまった今、五級使徒のリリカとバイトの俺で一体なにができるというのか。


 何もできない。


 だから俺もリリカも黙って俯くしかなかった。



「安心したまえ。先ほど、流行病を治す薬の見通しがたったところだ」



 絶望に沈む談話室に救いの声がもたらされたのは、そんな時だった。

 ガチャリと扉を開け、得意げに眼鏡を押し上げるのは――一級使徒のベリウス。


「え、マジすか」


 俺は問い返す。

 リリカもぱっと顔を上げた。


「ふふふ。この僕にかかれば、町レベルの流行病を治すことなど造作もないことだ」


 その姿は最初の印象どおり、聖職者というよりも研究者という感じだ。

 まだ今日この町に来たばかりだというのに、こんなに早く答えに辿り着けるものなのか。一級使徒の肩書は伊達じゃないらしいな。


「そこで君達にお願いしたいことがあるのだが、いいかね?」


 ベリウスは俺とリリカを見回して言う。


「薬をつくるために必要な素材だが、どうしてもこの町では入手できそうにないものが一つだけあるんだ。『リネン草』といってね。幸い、この近くにある『ビラムの森』というところに群生しているのだが……」


 ベリウスはそこで言葉を区切り、リリカの方を見る。


「リリカ君はリネン草を知っているかね?」

「……見たことは。ルドフ司祭が薬の調合に使っているのを、何度か……」

「ならば問題なさそうだね。是非、採取に行って欲しい」


 そしてベリウスは次に俺の方を見る。


「そして君。クズ君もリリカ君の護衛を兼ねて同行してもらえないだろうか。アルバイトの君にお願いすることではないのだが、頼ることができるのはもう君しかいないものでね」

「はあ……」


 ついそんな声が漏れる。

 薬の作り方がわかったのはいいが、思わぬ展開だ。


『ビラムの森』。確かこの近くにある森がそんな名称だったな。一応は「ダンジョン」で――つまり、危険が全くないわけではない。ゴブリンにボコボコにされて死にかけた冒険者がこの教会に泣きついてきたことも、忘れてはいない。


 もちろん、俺の返事はこうだ。


「是非行かせてください。俺にできることなら何だってします!」

「く、クズ……?」


 リリカが俺にギョッとした顔を向けてくるが、それも一瞬のこと。

 銀色の髪をいじいじしながら、こんなことを言うのだった。


「し、仕方ないですね……では、わたしも……」


 こうして、次の方針は決まった。

 俺とリリカが『ビラムの森』へと入り、薬の素材を手に入れる――はずもなく。


 町の外。

 ひと気のない森。

 つまり――リリカちゃんを連れ去る絶好の機会!


「希望が見えてきたな! がんばるぞリリカ!」

「はいはい……」


 人手不足とはいえ頼る相手を間違えたな、一級使徒。

 ここにいるのは悪名高い盗賊の一員。

 町を救う英雄なんかとは真逆の存在だ。


 さて。

 流行病なんかをもらってしまう前に、標的を連れてさっさとフレスタから退散させてもらうとしようか。

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