第8話 獣人少女の宥め方

「どうも、衛兵さん、今日もお勤めご苦労さまです」


 できるだけ親しげな口調を意識して声をかける。

 俺の接近に気付いた二人の衛兵は「あ?」「おや?」とすぐに反応を示した。


 とはいっても、残念ながらそれは好意的なものではなかった。

 巨漢の方が俺を睨んでくる。


「なんだ、てめえは」

「あ、怪しい者じゃないですよ? 通りすがりの冒険者ってやつです。ああ、これはあくまで護身用で持ってるだけなんで、気にしないでください」


 言いながら、俺は腰に下げていた二本の短剣を地べたに置いた。別にこの世界では武器の携帯は禁止されていないのだが、対話したいという意思を少しでもアピールするためだ。


 しかしこれで俺への警戒が解けるほど簡単にいくはずもない。

 続けて絡んできたのは長身の衛兵の方だ。


「冒険者が何の用ですか? 見てのとおり、僕達はセイバールに属する軍人です。冒険者に口を挟まれる覚えはないはずなんですがね」

「いや、その子、まだ子供じゃないですか。どうでしょう。あんまり手荒な真似はかわいそうなんで、ひとまず解放してあげません?」

「黙れクソボケが。邪魔するんならてめえもひっ捕らえるぞ」

「ですよね~……」


 巨漢の衛兵に凄まれた俺は、慌てて目を逸らす。

 とはいえこのまま引き下がるわけにもいかず、今度は獣人少女の方に声をかけることにした。巨漢の衛兵に抑えつけられた少女に視線を合わせるべく、しゃがみ込む。


「おいおい、お前な。衛兵さん達は忙しいんだから、あんまり迷惑は」


 しかし――それが余計な刺激になってしまったようだ。


「さ、さわるなあ! うわああああ~~!」


 逆上してまた暴れだしてしまう獣人少女。巨漢に拘束されながらもバタバタもがき、両手をブンブン振りまわす。シュッと、獣人少女の爪が俺の口元を掠めた。

 じわりと熱のような痛みと共に、血の味が口内に広がる。

 どうやら切られたらしい。


 しかし俺は気にしなかった。

 構わず獣人少女の瞳を覗きこむ。

 そこで初めて、俺と獣人少女の視線が重ねられた。


「あ……」


 血を滲ませる俺に驚いたかのように、その赤銅色の瞳を見開かせる獣人少女。

 口をゆっくりと開き、何かを言いかけそうになったが、



 右手で自分の黒い髪をクシャリと撫でつけながら。

 俺は小さくそう口にした。


「……、…………。………………」


 少しの沈黙の後――こくこく、と。

 獣人少女は首を縦に動かす。

 暴れさせていた手足をおさめ、全身を脱力させる獣人少女。その変化に「なっ」「これは?」と衛兵達が声をあげた。


 けど、そんなことはどうだっていい。

 俺は獣人少女を安心させるように、できるだけ優しい笑みを浮かべてやる。

 口元から血が出てるせいで、格好はつかないだろうけども。


「まったく、何してんだよお前。盗みが駄目なことくらい、わかるだろ?」

「だ、だって……」


 獣人少女の瞳に、じわりと涙が浮かぶ。


「三日くらい、なにも食べてなくて。お腹が、空いたから……」

「……そっか。まあ、ツラいよな。まだ子供なのに獣人ってだけで迫害されて、満足に食うものも食えなくてよ。けど、社会には社会のルールってものがある。どれだけお前がツライ境遇だろうと、超えてはいけない一線というものがある。わかるか?」

「…………」


 獣人少女からの反応はない。

 少し難しかったかと、言い方を変えることにした。


「まあ、お前が本当にあの悪名高い『朽ちた黒羽レイヴン』なら社会のルールなんざクソ喰らえなんだろうけどよ。お前はそうじゃない。だろ?」

「う、うん! 嘘ついた……そう言ったら、驚かせられるかと思って……」


 しおらしくうつむく獣人少女。

 俺は「だよなあ」と呆れ気味に言い、気を取り直すように明るく続ける。


「ようは引っ込みがつかなくなったから抵抗しただけで、反省はしてるんだな?」

「うん……」

「よし。だったらまず衛兵さん達に謝るんだ。できるよな?」

「う、うん」


 獣人少女は地面に抑えつけられながらも、どうにか顔を動かす。

 そして涙で潤んだ瞳で巨漢の衛兵を見上げた。


「衛兵さんたち、ぱんを盗んで、ごめんさい」


 しんと静まりかえった町の通りに、懺悔の言葉が響く。


「いい子だ。じゃあ次はパンを盗んだお店の人に謝らないとな……あ、すみません。衛兵さん、ちょっとだけこの子を放してやってくれませんか?」


 俺の言葉に巨漢の衛兵が「あ?」と顔を歪める。

 しかし静まりかえった空気と周りのフレスタ住民達の反応に気付くと、「ちっ」と舌打ちしながらも獣人少女を解放した。


 獣人少女がゆっくりと立ち上がる。

 そしてふらふらと危なっかしい足取りで向かう先は、観衆の一番前に立つ白いエプロンをした初老の男。おそらくこの人が、盗んだパン屋の主人なのだろう。


「ぱん屋さん。ぱんを盗んで、ごめんなさい」


 パン屋の主人が驚いたように目を見開く。

 しかし急にそんなことを言われても、パン屋としても困るだろう。

 なので、俺からも軽くフォローを入れておく。


「すみません、ご主人。こいつが盗んだパンの代金は俺が払います。だから、許してあげてくれませんかね?」

「それは……」

「そうだ。せっかくだし、俺もいくつか買って帰るか。だってよ、パンで有名なフレスタにいくつも並ぶパン屋の中で、鼻のいい獣人のこいつが選ぶくらいだもんな?」


 黒髪をクシャリとさせながら、俺はまた獣人少女と視線を合わせる。


「お前がパンを盗んでしまったのは、この店のパンがそれだけ香りがよく、おいしそうだったから。そういうことだよな?」


 そう問いかけると、獣人少女は「うん!」と陽だまりのような笑みを浮かべる。


「一個だけ食べちゃったけど、おいしかった! ふかふかで! こおばしくて! 今まで食べたぱんの中で、一番おいしかった! とってもとっても、おいしかった!」


 もはやベタ褒めだった。

 パン屋の主人も、ここまで言われて悪い気はしないだろう。


「顔をあげておくれ。お嬢ちゃん。そうやって謝ってくれただけで十分だよ」


 やがて元気な孫を見守るおじいちゃんみたいに、優しく頬を緩めた。


「むしろ、お礼を言わせてほしい。私がこの五十年間、毎日パンを作り続けてきたのは、誰かにそうやっておいしいと言ってもらうことが何よりも嬉しかったからだ。君にはそのことを改めて思い出させてもらった気がするよ……」


 どうやらパン屋の主人は自分の仕事に誇りを持つ粋のある男だったらしい。

 だからこそ、獣人少女に対して自ずと感謝の言葉が生まれたのだ。


 ――もう、これで十分だろう。


 そう悟った俺は、改めて最後に獣人少女へと声をかけた。


「よし。盗みなんてもう二度としないことを誓えるな?」

「うん。もう、二度としない。ほんとうに、ほんとうに、ごめんなさい……」


 そう獣人少女が口にした瞬間――


 わあああああああああああああああっ、と周りが一斉に沸き上がった。


 一連の流れを見ていた町の人達から歓声と拍手が送られてくる。


「ちゃんと謝れてえらいねえ!」

「よかったら、これお食べ」


 たくさんの大人達が獣人少女に駆け寄り、声をかける。

 確かにこの国では、獣人は存在を認められていないのかもしれない。しかし、それはあくまで国としてのシステムの話だ。厳しい境遇にある者を、ましてやそれが子供となると、思いやるだけの心は誰もが持ち合わせているようだった。


「俺もあんたの店でパン買うぞ!」

「わたしも晩御飯用にいくつか買って帰ろうかしら!」


 また、パン屋の主人の周りにも人が集まっている。

 獣人少女があまりに褒めるパンの味は、多くの客の興味を惹いたらしい。


 夕下がりのフレスタ。

 そのとある一角は、町の人たちによる優しい空気と活気に包まれていた。


「さて。時間をくっちまったな。行こうぜ」


 その隙にリリカの元へと戻った俺は、置いたままの『サムネの書』を背負う。


「ク、クズ。あなたは……」


 そして何か言いたげなリリカを引き連れて。

 俺はひっそりと、この場を後にするのだった。

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