第一章(下) 五級使徒と六流冒険者

第4話 届かない布教

 ひょんなことから異世界に転移した俺は、色々あった末にフレスタという町の教会でアルバイトをすることになった。


 最初に与えられた仕事は布教のお手伝い。

 仕事上のパートナーとして、天使みたいに可愛い幼女シスターも一緒だ。

 で、その天使みたいなリリカちゃんと最初に交わした会話はこんな感じだった。


『手伝えって言われたけど、俺は何をすればいいんだろう?』

『では四つん這いでわたしの踏み台になってください』

『えっ、なんで?』

『わたしは高いところから布教をすることで目立てるし、クズも踏み台になることで布教に役立てるし、一石二鳥だからです』

『お前マジ頭いいな』


 そして、今(幼女の踏み台)に至ったのである。


「なんか小さい女の子の踏み台になってる奴がいる」「変態か?」「春には少し早いが」「黒い髪……まさか転移者かよ」「彼らがいた世界の風習なのでは」「聖翼教特有の苦行に20ゼル」「いやむしろご褒美だろあれ」「俺も! 俺も踏まれたい!」


 なお踏み台になる俺へと周りから痛々しい声とか視線が向けられている気がするが、俺は無視した。踏み台に心はないからな。

 幸い、背中に乗るのは小さい少女だ。

 全体重を乗せられたところで全然軽いし、土足なせいで靴底がゴリゴリして地味に痛いことを除けば実に簡単なミッションだ。


 ――そう軽く考えていた俺は、思わぬ敵に悩まされることになった。


「ぶふっ!」


 思わず吹き出す。

 何故か急に笑いがこみ上げてきたのだ。

 四つん這いになって幼女の踏み台になるというこの状況――冷静になって考えたら何してんだ、俺!


「ぷ……く、くくっ…………!」


 しかしこの状況で笑ってたら、幼女に踏まれて悦ぶ変態になってしまうだろう。

 だから俺はどうにか必死で笑いを堪えようとした。


 こうなるともはや肉体ではなく精神の戦いだ。

 呼吸を整え、心を静める。

 明鏡止水。一意専心。初志貫徹。全身全霊。乾坤一擲。

 前の世界の言葉――その中でも特にメンタルが強靭そうなワードを心の中で繰り返し、キリッと真剣な表情を作る。


「ぶ……ブハッ!」


 しかし、それはそれでマズかった。

 四つん這いで幼女を背中に乗せながらキメ顔(笑)

 吹き出すことだけは堪えつつ、それでも全身がロデオマシーンみたいにがったんがったん揺れるのまでは、もはや止めようがなかった。


「わ、わ、わわっ」


 とてーん。

 どちゃ。


 上に乗っていたリリカがバランスを崩して落ちた。

 当然のように非難の言葉を浴びせてくる。


「な、なにをしてるんですか」

「くくっ。くくく、くははははは!」

「どうして笑ってるんですかっ!」


 ――ガスッ!


 尻を叩かれた。いでえっ。

 しかも一度だけじゃない。四つん這いになる俺の尻に向け、リリカがガスガスと手に持った鈍器のような物を容赦なく何度も何度も叩きつけてくる。

 

 というかその一発一発がやたら重くて無茶苦茶痛い!

 何で叩いてんだこいつ!


「がっ! がっ! ちょっ、待っ」


 リリカは構わず俺の尻に鈍器をガンガン振り下ろす。


「あっ! あっ! んっ! や、やめ……あンッ!」


 四つん這いで悲鳴を漏らす俺。

 ゴスゴスという音にまぎれて周りから「うわあ……」とドン引きしたような声が聞こえてくる――なんかまた別の変態みたいになってるじゃねえか!


 しかし俺は痛みに耐えながらも、尻から伝わる表面積や角度、その質感と重量からリリカの持つ鈍器の形状を脳内でトレース。

 それが何かを導き出すことに成功する。


「おい! リリカ、やめろ!」


 リリカが俺を叩く鈍器の正体――それは。


「それ、さっき布教に使っていた『サムネの書』だ!」

「……はっ」


 リリカの手がピタリと止まった。






 さて。そんな一幕はあったものの。

 布教というからには多くの人に呼びかけないといけない。

 そのために、町の中心にして人通りの多い噴水広場を布教場所として選んだわけだけど。


「……どうして誰も興味を持たないのですか」


 一時間以上経っても全然成果が見えない頃、さすがにリリカも焦りを見せていた。

 ベンチの上で三角座りになるリリカの隣には、三十冊の『サムネの書』が山積みになっている。布教でこれを配るわけだが、今のところまだ一冊も減っていない。


「人は全て罪深い存在。それは間違いないはずです……」


 リリカが口にしたのは、聖翼教の最も基本となる教えだ。


「それなのに……時間をかけて丁寧に教えているのに。誰一人として自分の罪に気付くことができないものなのですね。この町の連中の知能と意識のレベルがここまでまで低いとは、予想していませんでした……」


 もしかしてこの子、年長者への敬意みたいなのが無いのかな?

 大人しそうな雰囲気してるのに、出てくる言葉はなかなかに辛辣だ。


 ただ見た目だけは儚げで神秘的に可愛いから、毒づきながら『サムネの書』を読む姿も遠目に見れば『ベンチで読書する美少女』としてさぞ絵になることだろう。

 というか実際、さっきからリリカにチラチラと興味ありげな視線を送ってる奴が何人かいる。大丈夫ですか。こいつまだ十才の幼女ですよ。


 ちなみに俺はベンチがリリカと『サムネの書(山積み)』に占領されているせいで汚い地べたに胡坐をかいているのだが、


 ――水色か。


 実はここからだとリリカの開いた足の隙間から普通にぱんつが見える。

 瞳の色も青系だけど、下着の色をコーディネートしてるのかね?


「……なにを見ているのですか」


 ちょっ。

 やべえ気付かれたか。


「いや俺は別に見てたわけじゃというかそもそも幼女のパンツなんかに全く興味は」

「意味のわからないことを言っていないで、あなたも何かしてください。アルバイトでしょう」


 しかしリリカからの非難は全く別のことに対してのものだった。

 俺は内心ホッと息を吐く。


「ああ、そういうことね。つってもなあ……なにすりゃいい?」

「そんなの、いくらでもあるはずです。例えば『サムネの書』を読んで少しでも女神ラナンシア様の教えを勉強するとか……そういえば」


 リリカが『サムネの書』から視線を上げ、俺の方を見る。


「転移者というのは、文字は読めるものなのですか」

「そうだな……読めないけど、意味は理解できるってところか」

「……どういうことですか」

「いや、俺もよくわからないんだよ。アストラルドの文字は、俺の知らない文字だ。けど、文字をずっと見てたら何故かぼんやりと、意味が頭に浮かんでくる」


 そもそもこうやって異世界の人間と普通に会話ができているのも、よくよく考えれば不思議な現象なんだよな。異世界に転移する不思議さに比べたら些細なことなので、あんまり気にしたことなかったけども。


 リリカは「なんですかそれは……」とか微妙な反応をしている。

 ともあれ、布教に集中していた意識が少しはこっちに向いてくれたらしい。

 せっかくなので俺からも声をかけさせてもらう。


「大変そうだな。でもお前って五級使徒とやらで、ようするにまだ見習いなんだろ?」

「え……」

「上手くいかなくて当然なんだし、気楽に行こうぜ」

「そういうわけにもいきません。一応、ノルマもありますし……」

「子供がノルマとか気にすんなよ」

「なにより、このままだと町の人たちがゴブリンになってしまいます」

「……うん? ゴブリンになるの?」


 子供すらも社畜みたいな精神状態にさせてしまうアストラルドの世知辛さに戦慄していると、俺はリリカの何気ない言葉に耳を疑った。

 リリカがきょとんとした顔を向けて言ってくる。


「まさか知らないのですか。人は己の罪に気付くことなく懺悔しないままでいると、やがて罪の意識を忘れ、ただ罪を重ねるだけの存在……つまりゴブリンに堕ちてしまいます。常識だと思うのですが」

「……そうなの?」


 アルトラルドに転移してからの半年で初めて聞いた。

 聖翼教にそういう伝承とかがあるんだろうか。


「だからそうなる前に、誰かが己の罪深さに気付かせてあげないといけません。だからわたし達が女神様の教えを、広めないといけないのです……」


 ぶつぶつ呟きながら、リリカはまた『サムネの書』に視線を落としてしまう。

 すごい集中力だ。また意識が完全に布教の方へ向いてしまった。

 しかし、まあ、なんだ。

 熱心なところ誠に申し訳ないんだが、上手くいく流れが全く想像できないんだよな。


 俺は山積みになった『サムネの書』を改めて見る。

 帰りもどうせ俺が全部運ばされることを考えると、たとえ一冊でも数を減らしておきたいところだ。


「だったら俺にやらせろよ。ようはこの本を町にいる奴に渡せばいいんだろ?」

「……えっ」


 だから俺は、見習いのシスターに向けて強い口調で言ってみせた。


「見せてやるよ。俺のいた世界の流儀――『異界の叡智』ってやつをな」

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