祈るしか出来ない

 ボクが、森で悲しみに暮れている間に、天下人は、豊臣秀吉から徳川家康へと移っていった。

 短い間だったけど禁教令は解かれたんだ。

 短い間だったけど本当に幸せな日々だったよ。

 そして、再び禁教令が出された後、ボクはまた行商人のふりをして各地を旅して歩いた。



 あっちこっちで踏み絵が行われて、踏めなかった人は役人から酷い苦しみを受けさせられた。

 それでも、真鍮にイエスさまやマリアさまの像が彫られた板を踏めない人は、火あぶりや磔等で殺された。


 そんな弾圧を逃れながら、だいぶ月日が流れ、三代目将軍、徳川家光の時代だった。

 ある日、立ち寄った村で、キリシタンが一揆を起こしたという話しを聞いたんだ・・・・・・

 なんでも指導者は、天草四郎という少年らしいボクは複雑な思いでいっぱいだった。

 信仰を守るためとはいえ、またも子供が犠牲になるとは・・・・・・

 長い兵糧攻めで、天草軍には、もう、食料もほとんど残っていないはずだ! 落城するのも時間の問題・・・・・・

 戦場から離れた場所にいるボクには、祈る事しか出来ない・・・・・・

 小さな村の小さな宿屋の小さな部屋で、ひたすらマリアさまへ祈った。

 戦いで、犠牲になる人々が安らかに天国へ行けるように、キリシタンだとバレないように、聖人や天使の名前をお経のように唱えたりもした。

 次の日の朝、宿屋の親父さんが「天草軍、とうとう落城したみたいだ」と話しかけてきた。ボクは、泪をこらえながら「そうですか」と答え旅し支度をする。



 この後もボクは、長い間バテレンと言うことを隠しながら、行商人として各地を回った。

 迫害を恐れてみんなキリシタンと言うことを隠したり、棄教してしまったり色々な人にであった。



 時が流れるほど、キリシタン宗の信徒と会う事も減っていった。

 そして、各地を回ったボクは江戸に腰を据えて住み、行商をして稼いだお金で夜鳴きそばの屋台を買った。

 夜鳴きそばというと、ラーメン屋さんのチャルメラを思い浮かべるかも知れないけど、この時代のおそばの屋台は、風鈴がついててそれが「チリン、チリン」と音を鳴らしたから夜鳴きそばって言うんだ。



 そのまま長い月日が流れ、時代は大きく変わろうとしていた・・・・・・

 そう徳川幕府の時代も、終わりが、近づいて来ていたんだ・・・・・・

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