(19) 風車のメガネ

 わたしは階段に腰かけながら訊ねた。


「話って?」


 訊ねながらも、頭の片隅では二人のことを考えていた。鳴亜梨ちゃんへの対応策。話を切り出す第一声。基準を壊すための抜け道はないか。口論が再燃してしまった場合の対処法は。様々な問題が次から次へと頭の中をめぐっていく……。


「あの子どもから、だいたいの事情は聞いている。で、どうなんだ?」

「……て、え? なにが?」


 思わず素っ頓狂な声が出てしまった。メガネがなにを訊きたいのかイマイチピンとこない。


「おまえが言ったんだろう。一人で抱えこむんじゃないって。で、なんとかなりそうなのか? メガネお兄さんに相談してみなさい」

「あ……」


 一人で抱えこまないで、みんなで支えあう。女子会は、そういう関係でありたい。……わたしが言いだしたことだった。


「そう、だよね……わたしも、頼っていいんだよね?」

「? なにを寝ぼけたこと言ってるんだ、当たり前だろう」

「メガネ……」


 わたしの口から、嗚咽が漏れる。

 やっぱり、メガネはメガネだ。

 わたしの尊敬してやまないメガネだ。

 こういうとき、本当に頼りになる。


「なんで泣いてるんだ。馬鹿じゃないのか」

「うるさいよ、もう……」


 わたしは話した。このみちゃんの問題も、鳴亜梨ちゃんとの過去も、わたし自身の苦悩も。包み隠さず、すべてを。

 自分でもびっくりするほど、胸のあたりが軽くなった。


「ふむ……難しいな」


 メガネは腕を組んで唸り始めた。


「いいよ別に、考えても答えなんか出ないし。話聞いてくれただけで、充分。ありがと」

「そうか? 役に立てず、誠に申し訳なく思う」

「そうでもないでしょ?」


 わたしは懐から、あるものを取り出した。


「だってこれ、メガネの仕業でしょ?」


 麻由ちゃんの手元に届いた、例の赤い風車だ。


「おっ、名もなき箸じゃないか。元気してたか?」


 風車の胴体を担っている割り箸に、親しげに話しかけている。

 割り箸は生き物じゃないのに。どうかしている。

 それに、箸に名前がないのは当たり前だ。よほどの箸マニアでもない限り名前はつけないだろう。


「どうして麻由ちゃんに?」


 麻由ちゃんによると、風車に結びつけてあった紙にこちらの状況や作戦内容が事細かに記されていたとか。女子会メンバーしか知り得ない機密情報だ。


「おぉよしよしよし……ん? あぁ、あの子どもも女子会のメンバーだからな。知る権利はあると思ったんだよ」

「……外に立ってたのだって、本当はこのみちゃんを待ってたんでしょ? このみちゃん、あの様子だと一人じゃ入ってこられなかったかもしれないし」

「買いかぶりすぎだな。単純に棒立ちしているのが面白かっただけだ」

「じゃあ、居残りしないですぐ帰ったのも?」

「無論、棒立ち目当てだ」

「ま、いいけどね」


 どうであれ、メガネがファインプレーを連発していたのは確かだ。少なくとも、役に立っていないなんてことは絶対にない。


「ところで、メガネ」

「ああ、わかっている」


 わたしとメガネは大きくうなずきあうと、一気に階段から飛び降りた。


「そこにいるのはバレバレなのだよ」

「盗み聞きとは、いい趣味をお持ちだ」


 階段の陰に隠れるようにして立っていたのは、


「いや、悪い。盗み聞きするつもりはなかったんだけどな」

「……」


 悠斗と、無言でうつむいている真緒くん。

 ――二人だけ。


「悠斗、鳴亜梨ちゃんは?」


 悠斗はすこぶる言いにくそうに、


「……話を切り出そうとした途端に、『今日はボールペン字講座の日だから』とか言って帰っちまったよ。俺じゃ役者不足だったみたいだ。面目ない」

「そっか。鳴亜梨ちゃんもいきなりは心の準備ができてなかったのかも。仕方ないよ」

「一応、明日学校に来るよう言っておいた。あいつ、来ると思うか?」

「それはわたしが確かめにいく」

「……わかった。力になれなくてすまない」

「呼び出してくれただけで上出来よ」

「そうだよ。若月さんの言う通り。悠斗くんはみんなの役に立ってる。貢献してる」


 今までじっとうつむいていた真緒くんが、顔をあげた。


「悠斗くんだけじゃない。若月さんも、園部くんも麻由ちゃんも。二人を仲直りさせるために頑張ってる。それなのに、ぼくは……」

「……」

「ぼくは、二人が喧嘩するきっかけを作っただけ。調子に乗って、『誰にも言えない悩みを打ち明けちゃって』とか馬鹿みたいなこと言ってさ」

「そうだ。真緒くんはなんであんなこと言ったの?」


 わたしは率直に訊いた。


「おい、柚花……」

「ねぇ、なんで?」

「そ、それは……なんか、テンションあがっちゃって……」


 その答えを聞いて、無性に笑いがこみあげてきた。なんだ、真緒くん、自分で気づいてなかったんだ。


「真緒くん、わたしの女子会の理念――悩みがあるなら助けあおうって理念に、に賛同してくれたでしょ?」

「う、うん。したけど」

「なら、話は簡単じゃん。真緒くんは女子会の理念に基づいて、みんなから悩みを引き出そうとしたんだよ。みんなが話しやすいように、みんなで解決しやすいように、あの場でね。わかった? 真緒くんは最初から、女子会のみんなのために行動してくれてたんだよ?」

「あ……」


 真緒くんは驚いたように目を丸くしている。


「で、でも! 実際には逆効果で、役にも立ってないし……」

「逆効果かどうかは、まだわからないよ。今回のことが終わってあの二人が前より仲良くなったら、真緒くんのお手柄だよ」

「それに役立たずっていうなら、俺だって負けてないぜ。なんせあれだけカッコつけておいて、このザマだ」

「ふむ。それは僕にも言えることだろう。話を聞くだけ聞いて、解決案の一つも示せなかったのだからな」

「……もう、みんな……ふふっ」


 真緒くんが笑った。


「あははっ」


 わたしも笑った。


「へへっ」


 悠斗も笑った。


「かっかっか」


 メガネも笑った。


 わたしたちのあいだを、心地よい風が通り抜けていく。


「ねぇ、若月さん――ううん、柚花」


 真緒くんがなんか急に呼び捨てしてきた。雰囲気に呑まれたのだろう。


「柚花にだって、ぼくたちがついてるってこと、忘れないで」


 そう言って、真緒くんはあろうことか、


「ちょ、真緒……!」


 そっと抱きしめてきた。


「ぼくにできることがあるならなんでも言って。なんでもするから」

「えっとね、真緒くん……さっそくお願いがあるんだけど」

「ん? なにかな、柚花」

「……まず、放して」

「? ……あ、ごめん、つい!」


 軽く睨んで言ってやると、真緒くんは慌てて飛び退いた。


「ふむ。ところで若月、僕から一つ提案があるんだが、いいか?」


 何事もなかったかのようにメガネが訊いてくる。


「……うん。なに?」


 わたしは動揺を抑えつけながら訊き返す。


「明日、行くんだろう? なら、小森も連れていけ」

「このみちゃんを? ……でも」


 鳴亜梨ちゃんとの話し合いの場に、いきなりこのみちゃんも連れていく。これには少々リスクがある。今日みたいに鳴亜梨ちゃんが帰ってしまわない保証はない。


「これは僕のわがままだ。無視してもらっても構わない。――ただ、おまえたちがすべてを終え、無事広見家に帰ってきたら。パーティーを開きたいと思ったんだ」

「パーティー?」

「ああ。昨日の仕切り直しにな。次の日は日曜だ、二次会でも三次会でも心置きなくできる」

「おお、いいなそれ。料理なら俺に任せとけ」

「飾りつけならぼくにもできるかも!」

「そういうことだ。パーティーの準備は僕たち男子とあの子ども――たしかマヨとかいったか――に任せておけ。で、どうだ?」


 わたしは大きくうなずいた。


「最高にハッピーなパーティーにしよう」

「ふっ、そうこなくちゃな」


 話はすべてまとまった。

 あとはこのみちゃんに承諾をもらい、明日に備えるのみだ。

 みんなと階段を上りながら、わたしはあることを思い出していた。


 このみちゃんから聞いた、『基準』の話。

 このみちゃんははっきりとは言わなかったが、このみちゃんにとって、わたしは『親友』ではないんだと思う。


 それはわたしだけでなく、モモちゃんや、女子会のみんなも同じだろう。『友達の基準』は超えているが、誰も『親友』にはなれていない。


『親友の基準』を超えるためには、お互いに相手が一番でなければならない。けれど、このみちゃんにとっての一番は常に鳴亜梨ちゃんだ。そこにわたしたちが入りこむ隙は端から存在していない。


 わたしが親友ではないということに、少なくとも今はまだ、不満はない。今の関係が親友と呼べるかどうかは、正直いってわからなかった。でも、だめだ。


 いつの日か、わたしはこのみちゃんの親友になりたい。鳴亜梨ちゃんや、女子会のみんなと一緒に。


 そのためにも、『基準』はなんとしても、絶対に壊さなければならない。

 わたしは決意も新たに、胸の内の炎をいっそう燃やすのだった――。

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