(10) 彼とカレーと華麗なるわたしたち -B part-

「まずは材料のおさらいです。玉ねぎ、ニンジン、じゃがいも、豚肉、カレールー。これらの食材からいったいなにができるのでしょうか――」

「カレーしかないと思うけど……」


 真緒くんのつっこみはとりあえず無視して、段取りを進める。


「いったいなにができるのでしょうか、先生?」

「おばんです。今日は、そうですね。この材料なら……カルボナーラ? あるいは、ペンネ・アラビアータ? いえいえ。ここは思いきって、カレーを作りましょう」


 先生に扮したメガネが台本通りに答える。両手に菜箸を一本ずつ握っていて、なかなか様になっている。


「おお、素晴らしい! 逆転の発想どころか回転の発想ですね」

「逆転といえば、貧乏な男が金持ちの女をうまいこと乗せて結婚まで持ちこむことを俗に逆タマと言いますが、この『タマ』とは本来――」


 メガネはまだなにかしゃべっていたが、そろそろ飽きてきた。茶番はメガネに任せて、わたしは仕込みに取りかかることにした。

 さて、まずは役割分担を決めないと。わたしはリーダーとして指揮をとる。


「真緒くんはか弱そうだからそこにあるピーラーでニンジンとじゃがいもの皮むきお願い。涙もろそうなこのみちゃんはあえて玉ねぎ切っといてくれる? 手が汚れても意に介さないわたしは肉切っとくね。鳴亜梨ちゃんには煮込み係をお願いしたいんだけど、こっちの下準備が終わるまでのあいだ、悪いんだけど後ろで盆踊りでもしといてもらえる?」


 テキパキと的確な指示を飛ばしつつ、さっそくわたしは肉を切り始める。


 片手で肉を掴んで、反対の手で包丁をあてがう。肉を押さえる際、どうしても手が汚れちゃうんだけど、わたしは意に介さない。我ながら見事な包丁さばきで食べやすい大きさにカットしていく。肉を押さえるほうの手が脂でギトギトになっていく。にもかかわらずわたしはけっして意に介さない。


「若月さん、こっちは終わったよ」

「わたしもっ……ひっく、終わっ……ひっく、終わったよっ……ふえぇぇん……!」

「わたしも終わったから、じゃあ手のきれいなふたりは鍋を火にかけて、油ひいて、玉ねぎ炒め始めて。その隙にニンジンとじゃがいものカットも忘れずに。だけどいいよねふたりは。手がきれいでさ。あーベタベタする、最悪」

「柚花ー、あたしも盆踊り終わったよ」

「ありがと。じゃあ次はヒゲダンスお願い」

「え、ハゲダンスっ……!?」


 過敏に反応する鳴亜梨ちゃん。よく自虐してるわりに他人に立ち入られると弱いらしい。立ち入ってないけど。


 そんなときだった。突然、玄関のほうからガチャリと鍵の開く音がしたかと思えば、蝶番の軋む音とともにかすかな風が舞いこんできた。……誰か来た。


 泥棒を警戒して身構えるわたしだったが、次に聞こえてきたのは幼くて可愛らしい女の子の声だった。


「ただいまー、にいちゃん……あ、カレーの匂いだ……ってうわ! 靴がたくさんある! しかもファンシーな花柄、マジックテープ式、体育館シューズ、ローラーブレードと多種多様だ……」


 どうやら、麻由ちゃんこと悠斗妹のご帰宅のようだった。なんだかんだで三年くらい会ってないんだよなあ。久しぶりに聞いた声は懐かしいようでいて、同時に成長も感じさせた。


 ていうかまだルーを溶かしてないんだけど、よくカレーの匂いがしたな。


「うわわ。人がたくさんいる……」


 ひょっこりと顔を覗かせて、一気に賑やかになった我が家を興味深そうに見回す麻由ちゃん。まっすぐに切り揃えられた前髪が相変わらずよく似合っている。

 平らな胸元には鍵っ子の証である銀色の鍵をネックレスのようにぶら下げている。ホットパンツから伸びる脚は細く、つるつるとなめらかだ。


「おかえりなさい。キッチンお借りしてますね」


 このみちゃんが具材を炒めながら顔だけ振り返って優しく囁く。


「え、はいっ……どうぞ」

「お邪魔してます。お兄ちゃんなら、向こうの部屋で寝てるよ」


 真緒くんが柔らかく微笑んで、普段は見せない年上の風格を見せる。


「あ、そうなんですか。ご親切にどうも」

「おばんです」


 メガネが両手の菜箸を頭上で打ちあわせながら言った。


「お、おばんです……」

「君が麻由ちゃん? 可愛いね〜。お菓子あげるから、お姉ちゃんと一緒に来ない?」


 鳴亜梨ちゃんがヒゲダンスで出迎えつつ誘拐を試みる。


「あ、はい。そうです麻由です……よく言われます。でも遠慮しときます」

「えっ、お菓子くれるの!? 行くー!」


 なぜか真緒くんが反応した。


「声が小さい。おばんです」


 なぜかメガネがやり直しを要求した。


「お、おばんです……!」


 そして。わたしはそろそろと麻由ちゃんに近づいた。


「や、やあ。おかえり麻由ちゃん」


 内心ドキドキしつつ話しかけてみる。


「は、はい。ただいまです…………ゆかちゃん?」


 かくんと首を傾げつつ、澄みきった瞳でわたしを仰ぐ。


「おお! そうだよ柚花ちゃんだよ! よく覚えててくれたね、えらいえらい」


 ぽんと頭に手を置いて、なでなでする。とんでもなくさらさらだ。麻由ちゃんはくすぐったそうにしながらも、されるがままに身を任せている。


「えへへ……忘れないよ。だってゆかちゃんはにいちゃんの……ううん! なんでもないっ」

「?」


 だってゆかちゃんはなんだろう。にいちゃんの好きな人だろうか。そんなわけないし、ちょっと気になる。


「今日は、遊びに?」

「うん。まあそんなとこ」

「このちょっと変わった人たちもにいちゃんの友達なの?」

「よくぞ聞いてくれました」


 感動の再会に水をさすように、鳴亜梨ちゃんが出しゃばってきた。


「あたし鳴亜梨。酒本鳴亜梨。……へえ、あんたもメアリっていうんだ。奇遇ね?」

「麻由ですけど……」


 鳴亜梨なんてキラキラネームがそうそういてたまるか。


「僕はメガネ。メガネ。……ほう、おまえも眼鏡なのか。奇遇だな?」

「裸眼ですけど……」

「実は僕も伊達眼鏡なんだ。眼鏡キャラという個性がほしくてかけている。そしてこれには、キャラ付け以外にもとある事情があるのだが――それはまた、別のお話」

「はあ……」


 かけなくてもメガネの個性は十二分に光り輝いている。


「わたしたち、悠斗を含めた六人は女子会のメンバーなの」


 改めて説明する。これから当分この家には世話になるつもりだから、必要なことだ。


「え? 半分男子なのに……?」

「性別の概念を超越した集団なの」

「なんか、かっこいい……」


 麻由ちゃんに歪んだ思想を植えつけることに成功した。


「性別の概念を、超越……進化!」


 しまった、久しぶりに鳴亜梨ちゃんの進化欲を刺激してしまった。衣服を破りそうな勢いで裸になろうとする。


「進化、進化、進化! あはははっ、アウストラロピテクスからのぉ〜……原始人! 原始人! きゃははははっ!! 北京ダックからの北京原人〜! 北京原人か・ら・の〜、キュリー夫人! キュリー夫人! おほほほほ! うほほほほ? あはははははっ!」

「どうどう」


 わたしは馬を御する要領で鳴亜梨ちゃんを御した。


「あれ……? あたし、なにを……?」


 直った。


「ていうか、ここはどこ? あたしは誰?」


 ポンコツ具合に拍車がかかった。


「あたしは……違う、アタシは……そう、アタシはメアリー。ニューメキシコで夫と息子と三人で平和に暮らしているの。お腹の中には新しい命も授かっているのよ?」


 鳴亜梨ちゃんの中のもう一つの人格、『メアリー』が目覚めた。

 メアリーは驚いたように目を丸くして、腹部に手を当てた。


「あ、蹴った……」


 わたしはメアリーのすねを蹴った。


「痛! ……あれ? あたし、なにしてたんだろう……みんなどうしたの? あ。もしかして、あたしの中に眠る妊婦の人格が目覚めたとか?」


 誰もなにも答えない。


「あ。もしかして、あたしの中に眠る妊婦の人格が目覚めたとか?」


 言い直した。


「……はい。蹴ったらしいです……」

「そっかあ……」


 麻由ちゃんがお情けで答えた。なんていい子なんだろう。


「麻由ちゃん、こっちおいで」


 今度は両手で、ぐしゃぐしゃと頭を撫でつけた。


「……あれ?」


 そういえば、肉を切ってから一度も手を洗ってなかった。麻由ちゃんのさらさらヘアーにギトギトの脂が絡みついてしまった。


「どうかしたの、ゆかちゃん?」

「な、なにが? なんでもないよ?」

「そうなの?」

「それより、今日は汗かいたんじゃない? すぐにシャワーでも行ってきたらどう? 特に頭の右半分を念入りに洗うといいって、今朝の占いで言ってたよ」

「えぇ、なにそれー。いいよー、あとでにいちゃんと一緒に入るから」

「まあまあ、そう言わずに。なんなら、わたしと一緒に入ろっか? 今すぐに」

「ゆかちゃんと? うーん……それなら、入ってもいいかなぁ」

「よし決定! ささっ、浴場はこちらです」

「知ってる……」

「あ、じゃああたしも入るー。踊ったら汗かいちゃった」

「ならば、僕も入ろう」


 メガネは二秒で全裸になると、流し台によじ登ってステンレスの浴槽にすっぽり収まった。

 その様子を見届けてから、わたしたち一行はお風呂場へと向かうのだった。

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