(2) ぷろろーぐ。 -B part-

「どういう、意味?」


 わたしは恐る恐る訊ねた。全員分の視線がメガネに向けられる。


「本当に男子に勝ち目はないのか? そう言ったのです。そしてその答えは、ノーだ」

「まだ女子に勝てるかもしれないってことか!?」


 悠斗が身を乗り出してメガネに詰め寄る。

 メガネは静かにうなずいて、眼鏡をクイッと押しあげた。わたしは固唾を呑んで彼の次の発言を待った――。


「いいですか? この場に一人、イレギュラーな存在がいたとします。さて、それは誰でしょう?」


 イレギュラー……つまり、この場で最も浮いている人物、ということだろうか。真緒くんの女装は完璧だ。浮いているということはない。ならば……


「全裸の、鳴亜梨ちゃん?」

「鳴亜梨か?」

「酒本さん、かな?」

「鳴亜梨しかいないと思う……」

「えっ、あたし?」


 全員が口をそろえて言った。


「そう、酒本鳴亜梨さんです。そして、彼女は全裸だ」


 たしかに。全員が相槌を打つ。


「じゃあ、全裸の彼女はどちらの性別にも属さない、つまり男でも女でもない、ということになりますよね?」


 えっ……。


「ああ、そうか! 女装も男装もしてないってことは、そういうことだよな。考えてみれば当然だ」


 悠斗がうんうんとひとり納得している。

 う〜ん……言われてみれば、たしかに、そういうことになるのかな?

 まあ、メガネの言うことに間違いはないのだろう。


「普通に女の子だと思うけど……」


 このみちゃんがなにか言ってるけど、よく聞こえない。


「つまるところ、酒本さんは無所属――いえ、無属性に進化したのです。『無属性』という名の属性にね」


 なるほど……深い。わたしはメガネの演説に聞き入っていた。


「あたし、進化したの?」


 鳴亜梨ちゃんが不思議そうに首を傾げる。


「そうですよ、酒本さん。あなたは生まれ変わったのです」

「そうなんだ。あたし、進化しちゃったんだ……」

「おめでとう、鳴亜梨ちゃん!」


 わたしは手放しで祝福した。


「うん……ありがと」


 けれど当の鳴亜梨ちゃんは、どこか浮かない表情だ。


「……あれ? もしかして、うれしくないの?」

「ちょっと複雑かな。なにしろ突然のことだったし。それに、進化前にやり残したことがないか、不安もあるの」


 今年の汚れ、今年のうちに。そんなフレーズが脳裏を駆け抜けていった。


「あはは、でも、そっか。進化……かあ。なんだか、自分が自分じゃないみたい」


 なんだかんだでうれしそうな鳴亜梨ちゃんなのだった。


「で、それがどうかしたのかよメガネ? 鳴亜梨が無属性だからなんだってんだ?」


 話を戻した悠斗がつまらなそうに吐き捨てる。


「状況を整理しましょう。現時点での女子会のメンバーは女子三人、男子二人、無属性一人ということになります。であるならば、まだ男子側にも勝機はあるということです」

「おお、すげえ! さすがメガネだぜ!」


 まだ具体的なことはなにも言ってないのに、雰囲気に呑まれて手のひらを返した。バカだこいつ。


 でも、メガネを疑うわけじゃないけど、本当に勝機なんてあるのかな? 仮に無属性の鳴亜梨ちゃんを男子側に引きこめたとして、戦況は三対三の膠着状態に戻るだけだ。残りの女子を造反させるのも難しいように思える。


 と、教卓から鎖骨の上までを覗かせる鳴亜梨ちゃんが、自らの肩を抱きながらどこか警戒するように口を開いた。


「言っとくけど、あたしは男子側には加わらないからね。せっかく進化したんだから」

「ふむ。たしかに、君を動かすのは無理だ」


 メガネは余裕の表情で答える。


「だが、それを利用することならできる」

「利用?」

「タイムリミットだよ」


 鳴亜梨ちゃんを視界に留めながら、メガネは続ける。


「彼女は服を着なくてもいいかもしれないが、彼のほうは彼女の服をこのまま着続けるわけにもいかない……そうだな、椎原?」

「うん、まあ……」

「そんな、寝返る気なの真緒くん!? このみちゃんというものがありながら……」

「そ、そんなこと言われても……」

「なんでわたしなの……?」


 だがそれも仕方のないこと。真緒くんだっていつかは服を脱ぐ時が来る……あ。


「もしかして、それが『タイムリミット』?」

「ご名答だ、若月。椎原が服を脱ぎ、全裸になったその瞬間、勝負は決するだろう。ではこのとき、比率はどうなっていると思う?」

「えっと、女子が減って無属性が増えるから……二対二対二?」

「そう。このままなにもしなければ、な。聡明な若月のことだ、ここまで言えばあとはわかるな?」

「あ……」


 口元を押さえたわたしを満足げに見届けて、メガネは答え合わせを始めた。


「簡単なことさ。逆転の発想だよ。男子を増やすのではなく、女子を上回る勢力を創りあげてしまえばいい。つまり――」


 つまり、それって……。


「僕と広見が裸になればいい」

「進化……!」


 わたしは息を呑んだ。

 言い終わったときには、メガネはすでに上半身裸になっていた。さらにズボンに手をかける。

 まずい。かなりまずい。このままじゃ、確実に負ける……!


 真緒くんが服を脱いだ先に待っているもの。それは二対二対二の均衡状態などではなかった。女子二人に対して、無属性は四人! 男子会は回避できても、このままでは無属性会になってしまう!


「さあ、君も脱ぎたまえ」


 メガネはするするとズボンを脱ぎながら、悠斗にも促す。

 こうなったら……一か八か、わたしも脱ぐ? だめだ、そんなことをしても意味がない。


「おい広見、どうしたんだ? 早く脱ぎたまえよ」


 なにかトラブルでもあったのか、メガネがパンツにかけた手を止めている。彼の視線を追うと、悠斗と目が合った。なぜか銅像にでもなったみたいに固まっていた。着衣には一切の乱れがない。


 ……っていうか、なんでわたしを見てるんだ悠斗は。


「脱がないの、悠斗?」


 訊くと、悠斗は慌てたようにそっぽを向いた。その横顔は心なしか赤い。


「は、はあ? 脱ぐとか、ばっ、馬鹿じゃねえの? そんなことできるわけないだろっ!」


 わたしの顔をちらちら見ながらまくし立てる。なんでだろう。やっぱり女子会を認めてくれたのかな? ていうか、本当に顔が赤い気がする。たぶん鳴亜梨ちゃんの裸が原因だろう。身体が隠し足りないのかも。むしろ隠してるから逆にそそられるのかもしれない。男心って難しい。


「鳴亜梨ちゃん、もっと隠れて!」


 わたしは息子からエッチな本を取りあげる母親の心境で指示を飛ばす。


「えっ、もっと!?」

「うん。眉毛から下は見せないで! 有害だから!」

「う、うん。わかった……」


 これでよし。


「ふふ、広見くんも大変だねー」


 このみちゃんがなにやら意味深なこと言う。その横では真緒くんが苦笑いしていた。なんのことだかよくわからないうえに、なぜかこのみちゃんの目は表情とは裏腹に笑っていないような気がした。


「なるほど。どうやら一件落着のようですね」


 メガネが穏やかな口調で言った。白いブリーフがよく似合っている。


「ああ。しょうがねえな」


 悠斗もすっかり気を取り直した様子で同調する。メガネはみんなに向き直ると、締めくくるように声を張りあげた。


「女子三人、男子二人、無属性一人。よって、女子会は存続とします」


 存続――その言葉を聞いて、胸のあたりにじわじわと感慨がせりあがってくるのを感じる。

 やった。ついにやったんだ……!


「わたし、守りきったよ! 鳴亜梨ちゃん!」

「やったじゃん! 柚花!」

「鳴亜梨ちゃんっ!」

「柚花ぁ!」


 ガバッ!

 わたしは鳴亜梨ちゃんを教卓の下から引っ張りあげ、喜びを分かちあうように抱きあった。


 そんなとき――背後でガラガラと戸が引かれる音がした。


 喜びの余韻でニタァ〜っと緩みきった顔を反射的に扉に向けると、我らが担任・宮田先生と目が合った。先生は敷居を跨いだ体勢のまま驚愕したように目を見開いていた。


 ……この状況、客観的に見ると何気にかなりまずい気がする。

 スカート姿の男子に全裸の女子、全裸の女子と抱きあうわたし、ブリーフ一丁の男子……


 これ絶対ヤバイ。なにかと誤解されかねない。わたしは身動きさえ取れずに停止した時間の中で途方に暮れることしかできなかった。一方、鳴亜梨ちゃんはわたしの腕の中で危機感とは無縁のマヌケ面を浮かべている。真緒くんは呑気にもスカート丈の長さを気にしているようで、周囲の状況が目に入っていない。メガネに至っては「眼鏡、眼鏡」と眼鏡の奥の目を細めて眼鏡を探していた。


 先生が口を開く。絶体絶命だ、怒られる! 親に連絡がいく!


「なんだなんだ、楽しそうなことやってるな! あれか、パーティーか? どうして先生も招待してくれなかったんだ!」

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