陽気な悪魔

 佐藤先輩が部屋を出たあと、わたしは、聖書を二冊、鞄から取り出した。

 一冊は、わたしの愛用している聖書、もう一冊は刑事施設被収容者のために教会が寄付を集めて購入している聖書だ。

 カトリック、プロテスタントを問わずに、キリスト教の教誨を受ける者には配るとキリスト教教誨師連盟で決まっている。

「入ります!」

 大きな声と共に、佐藤先輩と若手の刑務官に連れられて、髪を腰まで長く伸ばした男が入ってきた。

「死刑囚舎房担当の松原です」

 若い刑務官が挨拶をしてきた。

「ほら吉田、お前も神父さまに挨拶をしたらどうなんだ?」

 佐藤先輩が、長髪の男に声をかけた。

 すると吉田と呼ばれた長髪の男は大きな声でSEXピストルズのアナーキーインザUKを歌い始めたのだ。

「コラ止めないか!」

 佐藤先輩が怒鳴る。そして、取り押さえようとした松原看守に、吉田は噛みついた。

 一体何故、彼は、キリスト教の教誨を受けようと言うのにいきなり『俺は反キリスト』という歌詞の歌を大声で、まるで酔っ払いのように歌うのだろう?

 一悶着した後、吉田という長髪の男は、何事も無かったかのように立ち上がり、「よう! 神父さん! 俺の歌どうだった?」と陽気に口を開いた。

「まっまぁまぁ、では、ないでしょうか?」

 あっけにとられながらも、とりあえずは、そう答えるしか無かった。決して上手くは無いパンクロックを聴いたので、この青年に少し嫌気はした。

 余談になるが、わたしは、小学校から音楽は得意で神学院でも成績は良かったしミサ曲なども良く歌い、聖職者仲間の間でも評判はいい方だと思う。

 まぁ言ってみれば、わたしの歌に比べて、彼の歌は、下手だと言うことだけは確かだ。

「俺、神とか仏とか信じねぇから」

 軽いノリで、吉田は、言いながら伸びをした。

 なら何で、わたしは、ここにいるのだろう? 何で、彼は、キリスト教の教誨を受けようというのだろう?

 わたしは、頭の中が、疑問符だらけになった。

「説明する暇がなかったのだがね」

 佐藤先輩が苦笑いをした。

「彼は、無神論者で無政府主義者(アナーキスト)なんだよ」


 それでか? その自己主張のためにアナーキーインザUKを歌ったのか?

 まぁとにかく死刑囚、吉田真と出会いは、大変賑やかだった。


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