第58話 天也
石勒は歩騎四万を率いて洛陽に向かい、ついに黄河を渡った。
斥候の情報では、黄河には流氷が浮かんでおり、風も強いということだったが、主力が到着すると、氷が融け、天候も穏やかになり、渡り終えてから流氷が流れてきた。
石勒はこれを神霊の助けと思い、この渡渉地点を
石勒は進軍しながら、流石にもう洛陽は陥ちているだろう、と考える。
では、どうなれば勝ち筋はあるか。
張賓が生きていれば、どのように考えるだろうか。
「劉曜が兵を
石勒は横にいた徐光にそう言った。
徐光は目を丸くして答える。
「おいらも、そのように考えます」
果たして
「で、どっちだ」
石勒の国も趙、敵の劉曜の国も趙。
敵味方のどちらか一見してわからない。
「アニキ……陛下!」
嬉しげに軍中から駆け出してきた騎馬武者は、石虎であった。
石勒は天を指差し、その後に自身の額を指差して、言った。
「
関に登って見渡せば、洛水にも劉曜軍はいなかった。
石勒は徐光や桃豹の肩をぽこぽこ殴って、笑う。
「俺を祝福しろ!」
石勒は騎兵に重い鎧を外させ、軽騎兵とした。
そして、兵士に
◇
「あの女を手に入れたのは、この洛陽だった。晋の豚どもを皆殺しにして京観を築き、燃え盛る城を見せつけながら、ものにしたのだ」
劉曜は死んだ羊献容との出会いを懐かしみながら、酒盃を傾けていた。
劉曜にとって、この洛陽は思い入れの強い土地であった。
いつまでここに留まっているのだろう。
平先はじめ配下の将たちは心配になってきていた。
間者が石勒の本拠で反乱を起こす手筈だが、その報せも届かない。
「石勒軍出現!三方向から洛陽城に向かって、猛烈な勢いで接近しています」
劉曜は酒盃を投げ捨てると、五色の剣を抜いた。
石勒軍は石虎の敗軍も吸収して、歩兵六万、騎兵二万七千あまり。
対する劉曜軍は歩兵八万、騎兵二万あまり。
石勒みずから歩騎四万を統率して、宜陽門から洛陽城に入り、故太極前殿に登った。
石季龍は歩兵三万を率い、城の北から西に進み、劉曜軍の中軍を攻める。
石堪と石聡らはそれぞれ精鋭騎兵八千で、城の西から北に進み、劉曜軍の先鋒を攻め、西陽門で会戦した。
鎧を着ていない石勒軍に対し、劉曜軍は重装備である。
まともにやり合えば数でも装備でも劉曜軍に分のあるはずが、虚をつかれて防御戦闘を始める前に侵入を許したため、素早い石勒軍に主導権を渡してしまった。
包囲されたことを悟った劉曜は、軍を大喝する。
「何を固まっておるか!展開しろ!
まとまって布陣していた劉曜軍は、目を覚ましたように横隊に展開した。
しかし、その行動こそが致命的な結果をもたらした。
厚みを失った劉曜軍を切り裂くように、石堪と石聡率いる精鋭騎兵八千が突入した。
劉曜軍は石勒軍の素早い動きに翻弄されるばかりとなった。
「石勒ぅぅぅぅぅ!」
劉曜は獣骨の弓を構えると矢を番え、迫り来る騎兵の背後に見える石勒へと渾身の力を込めて放った。
石勒は泰然として、ただ愛用の剣、
劉曜の矢は、石勒の剣に当たって折れた。
「陛下、お逃げくださ……」
劉曜配下の平先の声は、石聡の放った矢によって断ち切られた。
首に矢の刺さった平先は落馬し、乱軍に踏み潰されてしまった。
劉曜は五色の剣を抜いて、馬に鞭打つと、石勒を見据えて走り出した。
あと一馬体も近づけば剣の間合いだ、というところで、劉曜の動きは止まった。
脇腹に矛が突き刺さっていた。
石堪が矛を引き抜くと、劉曜の脇原から止めどなく血が流れた。
馬から落ちた劉曜は、暗渠に張った氷にその身体を打ちつけることとなった。
氷上に臥した劉曜は、氷に映る石勒の姿を見た。
「石勒よ。劉家への忠義の誓いを忘れたか」
石勒は静かに返した。
「今日の事は天がそうさせたのだ。他に何を言うことがあるか」
◇
劉曜は捕らえられ、襄に送られた。
劉曜の侵攻と連動して襄に仕掛けられた反乱は、石勒の后である劉凛によって鎮圧され、首謀者は劉凛の手で斬られていた。
石勒は劉曜に残党への降伏勧告を書かせようとしたが、劉曜は徹底抗戦を煽る書状を書いた。
石勒は遂に劉曜を斬った。
これにより、華北は石勒の手により統一された。
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