第39話 王浚の最期

 「ぎょうが陥落しただと、段部は何をやっている」


王浚おうしゅんは口からしゃぶっていた豚足を噴き出して叫んだ。

王浚の食卓には他に、熊のてのひらの煮込みやら、家鴨あひるの吊るし焼き、海鼠なまこの吸い物やらといった山海の珍味が並んでいたが、どれも汚らしく食い散らかされていた。

それらのご馳走は全て領民から搾り取ってまかなわれたものであった。

配下の游統ゆうとうが慌てて答える。


石勒せきろくと何か妥協したのか、まったく召集に応じませんし、書を遣わしても返事がありません。しかし、石勒からは使者が参っております」


王浚が引見すると、子春ししゅんと名乗る使者は石勒の書を読み上げた。


「私はもともと卑小なえびすであり、野蛮な出自です。晋の天下が乱れたとき、家族は散り散りとなり、奴隷にさえも身を堕としました。その後に逃げ出して、匈奴と結び、命を長らえましたが本当にひどい世の中です。現在、晋室は衰え遠く呉の地に移ったため、中原には主人がおらず、民衆にはよるべがありません。伏して考えますに、殿下は国を代表する名士であり、四海が敬服するお方です。帝王にふさわしい人物は、殿下のほかに誰がいましょうか。私が身命を投げうち、義兵を起こして賊を誅殺しているのは、まさに殿下のために戦っているのです。伏して殿下に願いますに、天命に応じて、皇帝の位にお昇りくださいますよう。私は殿下を父のように奉戴いたします。殿下、いや陛下。私を子のように慈愛してくださいますよう」


露骨におもねるような石勒の書に接して王浚は喜色を浮かべたが、まだ疑心は残っていた。


「石勒殿は当代きっての武人で、趙の旧都に割拠し、鼎立ていりつの形勢をつくりあげているのに、どうして私に臣従する気になったのだ」


使者の子春は答える。


「我が主人が優れた軍才をもって、鼎立の形勢さえも作り上げているのはその通りでございます。しかし、先祖代々その輝きを磨かれ、幽州に出鎮して晋人のみならず胡人にも威名を轟かす王浚さまとは比べものになりません。その昔、韓信かんしんが鼎立の形勢をつくりあげながらも、敢えて劉邦りゅうほうへの臣従を貫いたのは、軍才のみでは天下は望めぬことを理解していたからです。項羽こうう公孫述こうそんじゅつはそこを見誤り、車を覆して命を失いました。また、古来より胡人が名臣となる例はあっても、帝王となった例はございません。我が主人、石将軍はその点を心得ているのです。どうか、我が主人の誠心をお疑いなきよう」


極め付けに子春は携えた風呂敷包みを解いた。

生首がそこにあった。

それは王浚の見覚えのある顔だった。


「王浚様を裏切り、我が主人石勒への転向を図った者です。忠誠の証として誅殺して参りました」


すっかり石勒を信用した王浚は、子春を厚くもてなし、石勒の臣従を認める旨の書簡と、軍師が指揮をする時に用いる払塵ふつじんーー毛の房がついた短い杖ーーとを持たせて送り返した。


 子春が王浚の部下に護送されて戻ってきた。

子春は王浚の部下に、石勒軍が壊れた武具を修理しているところや、怪我人の集まる救護所などを見せた。


「このように、我が軍は痛手を被っており、王浚さまのお助けを求めることは、赤子が慈母をもとめるような心でございます」


子春がそう言っても、王浚の部下たちはまだ信じきれない様子であった。


「帰る前に石勒殿にお目通り願いたい」


「どうぞどうぞ」


王浚の部下たちが石勒の部屋に入ると、石勒は払塵を祭壇において伏し拝んでいた。


「石勒殿、あの、何をやっておられるので?」


「あ、王浚様に面会が出来ませんので、せめて王浚様に賜ったこの大切な払塵へ、王浚様に対するように敬意をあらわしているのでございます」


目をきらきらさせる石勒を見て、王浚の部下たちは苦笑いした。


「はは……石勒殿の忠心は我が殿にお伝えしておきましょう」


王浚の部下たちに山ほど手土産を渡して送り返すと、石勒は子春を部屋に呼んだ。

石勒は祭壇の払塵を取ると、膝に打ち付けて叩き折った。


「さて、子春。報告を聞こうか」


「王浚の統治は、拙劣なものでした。昨年の洪水以来、幽州の民はまともに穀物を口にしておりませんが、王浚は粟を百万石ひゃくまんごくも備蓄していますのに、それを支給することもしていません。刑罰や法律は厳しく、賦役も多い。諫言をした賢者はことごとく誅殺され、王浚におもねる佞臣たちがやりたい放題。既に百姓は耐えきれずに逃散をはじめています。それに、鮮卑が離れたことで、烏桓うがんも兵をまとめて引き上げてしまいました。そんな有様であるのに、王浚は自分が曹操や劉邦に伍する者だと誇って、美女を犯し、美食を平らげて歓楽をほしいままにしています。また、私が逗留している間にも役所に狐が突然現れるなどの凶兆ともとれる事件がありましたが、王浚は気にするそぶりもありません。王浚が、閣下を疑っていないことは明白です」


石勒は脇息きょうそくを撫でて笑みを浮かべた。


「王浚を捕らえるときが来たようだな」


 王浚の君臨する幽州の都、けい

この幽州の大都会に牛や羊が千頭ほども溢れかえっていた。

游統は兵士に尋ねる。


「おい、この獣たちはなんだ」


「石勒殿からの贈り物だとか。“これが遊牧の民の流儀です"とかで。石勒殿は遅れて臣従のご挨拶に参るとのことです」


「いくらなんでも、これは。これでは兵が動かせな……」


游統には思い至るところがあった。


「排除なさいますか」


「いや、いい。放っておけ。他の者にも手を出させるなよ」


しばらくすると、何かの長く響く鳴き声が聴こえた。

狼の遠吠えだった。

数頭の狼を先頭に、狼のような戦士たちがやってきた。

戎装した石勒達の様子を見れば、拝謁するために来たのではないのは誰の目にも明らかだった。

王浚自慢の幽州の突騎は街路から飛び出して防戦しようとするが、狼の声に恐怖した牛や羊が固まって壁となり、組織的な抵抗がまったく出来なかった。

幽州刺史のごてごてとした居館に、石勒率いる十八騎がなだれ込む。

殺戮の嵐が吹き荒れ、王浚はあっさりと捕縛されてしまった。

游統は這いずって石勒の前に出る。


「石勒殿!お待ちしておりました。私の使者が首になって戻ってきたときはどうなることかと思いましたが、ようやくお仕えできる。このたびも牛や羊を除けようという者がおりましたが、この私が止めたのですぞ」


「そうかい、ご苦労さん」


石勒は剣を閃かす。

游統の首がゴロリと落ちた。

縛りあげられた王浚が悲鳴をあげる。


「ぶひぃっ、蛮族のガキめよくも騙しおったな!ああ、天よ。我を見放したもうたか!」


石勒は王浚の襟首を掴む。


「あんたは位人臣を極めて、幽州という剽悍の国に割拠し、燕全土という突騎の郷にまたがって、精強な軍を持っていた。だのに、ただ京師が転覆するのを眺めるだけで、天子を救うことをせず、かえって自ら天子になろうとしていた。悪人ばかり取り立て、忠良の人を殺し、情欲をほしいままにし、国中に害毒を振りまいていた。あんたは自ら今日のような目を招いたのであって、天によるものではない」


王浚は襄国に連行される途中で車から川に転げ落ちて入水自殺を図ったがあえなく引き上げられ、最期は市中引き回しの上で打首獄門とあいなった。

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