垂直少年と水平少女の変奏曲〜加納円の大いなるお節介と後宮の魔女達〜

岡田旬

第1話 全て世はことも無し 1

 うららかな春の日は、余程のひねくれものでも朗らかな好人物へと人を仕立て上げるものだろう。

 どうせ死ぬなら、まんまるお月さまが空にぽっかりと浮かぶ、満開の桜の下が良いな。

などと嘯(うそぶいた)歌詠みの坊主が、遥か悠久の時の彼方、源平合戦の頃に居たらしい。

だがしかし、僕はこの春ようやく受験勉強から解放された元受験生なんだよ?

ラジオの深夜放送だけを友として、息も絶え絶えでお花見の季節に辿り着いたサバイバーだよ?

古典の教科書でしかお目に掛かる機会のない生臭坊主の自己陶酔的死生観なんて、56億7千万光年先の戯言に過ぎないね。

桜の下なんかじゃ死ねねーよ。

桜の下じゃ覚えたばかりのジンライムでうっとり酩酊するのさ。

花見て一杯が春の作法と言うものだよね。

春朝酔花則花前

古典の教科書にはこうも書いてある。

この春の気分は僕的には西行より李白。

これは間違いない。

 とは言っても、こんなに春うららかなのに、僕はちっとも朗らかじゃないし好人物とは程遠い。

ひねくれ者のままってことさ。


 クラインブルーを水増しして少しばかりミルクを落としたような、寝とぼけた空の色だ。

武蔵野らしく街中にも公園にも欅がやたらと多いのは、最早背景美術上のお約束としか言えないだろう。

 

 時は春、

 日は朝(あした)、

 朝は七時、

 

そうした、箒を逆さまに立てたような欅の木が見せる冬の佇まいは、ここ数日で劇的に変わろうとしている。

細密画として描き込んだら発狂しそうなほどに込み入った枝々には、薄緑色の鮮やかな若葉が、今まさに萌え上がろうとする様が見て取れる。

 はけの崖下を流れる小さなせせらぎに沿う歩道は、年寄りの無聊を慰める散策にもってこいの小道だろう。

だがその小道は、青臭くあるいは埃臭い高校生たちの通学路としても重宝されている。

 崖の斜面から小川の反対側に至るまで、雑木が立ち並ぶ平地林が広がる。

木々の間には人家が立ち並んでいる。

普通の住宅に隣接して昔からそこで暮らす農家も散見される。

敷地が広い農家の庭先には常緑樹が多い。

古びた家の屋敷林が作る鬱蒼とするほの暗さは、春の気配を追っ払うような寒々しい景色だ。

ふんだんに陽が差し込む周囲の落葉樹の林と比べれば、常緑樹が作る陰は好対照に見える。

『これって陰陽ってやつじゃね?』

ぼんやりそう思ったりもする。

 通学路に面して建つある住宅では、庭に向かう掃き出しのサッシが気持ち半分ほど開かれている。

冬とはすっかり様変わりした暖かな春の大気を意識してなのだろうか。

レースのカーテン越しでは屋内の様子は伺えない。

けれども微かに朝の連続テレビ小説のオープニングテーマが聞こえて来るから、現在時刻が午前八時という事はすぐに分かる。

そうであるならば始業の八時半までは約三十分。

高校入学に合わせて買ってもらった腕時計を見るまでも無い。

新学期早々、遅刻と言う不都合に見舞われる気遣いはない。

不都合がないなら、今が朝(あした)の七時だろうが八時だろうが大勢に影響はない。

 

 「円。

今日は何人抜きできると思う?」

「よっちゃんもホント好きだな。

僕はこんな朝っぱらエネルギー充填120パーセントなおぬしが、羨ましいと言うより最早鬱陶しいよ」

元々があまり運動好きではない加納円は、朝倉善美に毎度おなじみの愚痴を垂れてみた。

よっちゃんこと朝倉善美は、つむじの真ん中から尾てい骨の先っぽまで、これ体育会系の好男児だ。

「わっかいのに寝言も大概にしろや。

たまにはニコニコシャキシャキ小走りして見ろっての。

ほれ、急ぐぞ」

「えーっ。

よっちゃんのそういうとこ、きっと京都じゃいけずって言うんだよ」

 朝倉善美は加納円の幼馴染だ。

ふたりは幼稚園以来、今年こうして同じ高校に進むまでつかず離れず、悪童連一味の仲間として轡(くつわ)を並べて来た。

昔風に言えば竹馬の友とか刎頸の友というやつだ。

悪童連一味は中学の卒業と共に学校がバラバラと成ってしまった。

善美と円だけは似たような成績なので、同じ高校に進むことになったと言う訳だ。

この当時の都立高校は入試に内申点が重視されている。

そのせいもあり同じ中学から進学する生徒は、必ず団栗の背比べめいた成績だった。

 通学路には八時半の始業に向けて、都立国府高校の生徒達がアリの行列のように黙々と、あるいは仲間とじゃれ合いながら歩いている。

はけ沿いの通学路は国分寺駅から学校までの最短コースになっているのだ。

 この春から、新一年生として加納円と共にこの道を歩き始めた朝倉善美は「三度の飯と同じくらい体を動かすのが好き」と公言してはばからない若大将体質な漢だ。

善美は単細胞ではあるがスペックの高い大脳を実装している。

文武両道とはこいつのことを言うのだと、円も常々彼の性能諸元には敬意を払ってきた。

同時に子供の頃から変わらずにいる彼の素直で気持ちの良い心根も大好きではある。

 善美に欠点があるとしたら、それは生まれつきのサラブレッド体質だろう。

善美は何かにつけ、人と競り合う事を好んだ。だが善美は勝負ごとで勝ち負けに全くこだわらない。

そんな不思議な了見を持っている。

「勝っても負けてもどっちでもよい?

そりゃ勝負とは言わんだろう」

円が茶々を入れても「そうか?そうだなー」と笑っているだけだ。

へんてこながらそれでも勝負師を自認する善美だった。

 通学途上の同窓生を駅から学校まで何人追い抜くことができるかに挑戦する。

喜美がそんな益体(やくたい)もつかぬ競技を思いついたのは、入学式の翌日だった。

善美はその名が示すまま善美(ぜんび)の人なので、朝から適度に体を動かすことは万人にとって有益であると心の底から信じている。

よもや惰弱な幼馴染が、そんな善美の意気軒高なお節介をいい迷惑だとしか考えていないとは、知る由もない。

円がそんな不人情な人間であるとは、善美は露ほどにも疑っていないのだ。

 そうした背景事情の元。

朝倉善美はレニ・リーフェンシュタールが一目でほれ込みそうな均整の取れた肉体美を誇示しつつ言い放ったものだ。

「共に良い汗を流してアグレッシブな青春しようぜ」

顔を引き攣らせた円に文字通り明朗闊達な口跡でニカッと笑いかけながらの暴言だった。

 よっちゃんは日々“美の祭典”ごっこの妄想にでも浸っているんじゃなかろうかと脳筋テイストな善美の事を円は疑い怪しんだ。

幼馴染があまりに楽しそうなので面と向かって嫌と言えないのが円の辛い所だ。

できるだけソフトに状況打開を図ろうとチャンスを伺う円だが、中々ダメ出しを切り出せぬまま日が過ぎた。

 円はただでさえ不足し気味な元気と気力を、毎朝蕩尽し続けている。

それはあたかも、やくざ者に見込まれた若旦那が賭場で家産を搾り取られる風情にも似ている。



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