応援コメント

すべてのエピソードへの応援コメント

  • 私の麻酔科研修の時は、まだレミフェンタニルがなかったので、フェンタニルを使っていました。溶かす作業がなかったのは助かりました。

    私たちの病院では、2年次に麻酔科研修が組まれており、最初に麻酔科医と接触するのは外科研修の時でした。手術室長は麻酔科長で、今振り返ると丁寧に教えてくださってたのですが、右も左もわからぬ1年次、とても厳しく感じたことを覚えています。

    注意されたのは当たり前のことばかりで、「真っ先に手術室に入って、局所麻酔科での手術であっても、エフェドリンの用意と麻酔器のセッティング、リークテストをしておくこと」「看護師さんと協力して、自分のできることを見つけ、積極的に行なっていくこと」などでした。

    エフェドリンの用意と麻酔器の確認をきっちりしておくこと、は実際に外科研修中に役に立ち、鼠径ヘルニアの局所麻酔手術で、外科医長の入れた硬膜外麻酔が正しく入っておらず、テストドーズで全脊麻になったことがありました。私が患者さんの頭側にいたので、すぐに麻酔器で人工呼吸を行ない、エフェドリンで血圧を安定化させ、大事に足らずに済みました。前もって準備すること、とても大切だと思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。作中の麻酔科研修医の業務の描写は自分自身の麻酔科研修の経験に基づいていますが、記憶だけを基に書くには複雑すぎるので本棚から研修当時使っていた麻酔科マニュアルの本を引っ張り出して書きました。

  • 第3話 社会人1週目への応援コメント

    私の修業した病院では、内科研修の6カ月は1年次4か月、2年次2か月と分けられていました。研修医院長でもあった私の師匠は、「先生方は、この数年間、どんどん成長していきます。1年次と2年次では明らかに考えること、できることのレベルが違います。なので、2年次にもう一度内科を回ってもらい、さらに実力を深めてほしいと考えています」とおっしゃられていました。実際に師匠のおっしゃる通りで、2年次の内科研修は1年次と比べてはるかに密度の濃いものになりました。

    ちょっとした思い出話です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。1年目研修医として働いていると2年目研修医がものすごい人生の大先輩のように見えますが、自分自身も来年度は1年目研修医からそのような目で見られるのかと思うと緊張が走ります。

  • 第1話 深夜のひと刺しへの応援コメント

    私も初期研修医の時、サーフロ留置の練習のために、妻の腕を借りたことがあります。そのころは何も知らなくて、ERから持って帰るサーフロの中で、いつも使っているピンク色と、余り気味のきれいなグリーンが気に入って、それを使って練習させてもらっていました。年次が上がり、グリーンのサーフロが最も太い18G年って、「妻には大変申し訳ないことをした」と大いに反省しました。

    今でもサーフロの留置よりCV留置の方が成績が良いです(市中病院で研修したので、末梢ルートは全部看護師さんが取ってくれたから)。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。この回の描写は「俺にも静脈路確保の練習台になってくれるかわいい彼女or奥さんがいればいいのに!」という欲求に基づいているのであまり深い意味がありませんでした。

  • 第4話 気分は風評被害への応援コメント

    2024年2月現在で、いまだCOVID-19は変異しながら流行中です。外来の感覚では、FluAは減少、FluBは増加、COVID-19はそれ以上に増加、という印象です。

    私も2年前の2月(デルタ株だったか?)と、2023.11月の2回、COVID-19にやられました。第一回目は腹部症状メインのCOVID-19患者さんにルーティーンの身体診察をしたところ、「オエッ、ゴホゴホ」と顔に直接飛沫をかけられたこと(この時は不織布マスクだった)、2回目は子供が持ち込んだ家庭内感染でした。家庭内感染は、如何ともしがたいですね。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身は2019年から現在まで本当に1回もCOVID-19に感染したことがないのですが特にスポーツマンでも健康体でもないので不思議に思っています。(外出中の頻回の手洗い・帰宅時の手洗いとうがい・1日3回の歯磨きといった習慣はコロナ禍が始まる前から守っていたのでシンプルな対策の結果かも知れません)

  • 最終話 ごめんねSP病棟への応援コメント

    大学とは縁のない私ですが、初期研修医の麻酔科研修で1か月間、天王寺にある某公立大学病院に、麻酔科の医局人事のつながりで研修させてもらいました。そこも、最上階はVIPルームで、確か1泊20万、と聞きました。

    私の給料ではとてもそんなところには入院できません(笑)。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私が学生時代に噂に聞いた話では母校の附属病院のVIP病棟は1泊10万円程度とのことで、やはり相当な資産家でないと入院できないのではと思います。

  • 第9話 練習台は後輩でへの応援コメント

    内科診断学の教科書では「腹痛などの腹部症状がなければ、腹部診察は省略してよい」と書いている教科書もありますが、これまた大切です。肝臓の大きさは、打診、あるいはひっかき法でわかります。肝の辺縁の蝕知は難しいですが、時に右季肋部よりも心窩部でわかることも多いです。脾臓の触診は、脾腫がないと分かりません。Traube三角の打診でtympanicであれば問題なし、でいいでしょう。腎臓の触診も、正常腎を触れることができたことはありません。一度「ここに便の塊があって、おなかが不快だ」という主訴で来られた右腎がんの方で、小児頭大の腎腫瘤を触れたことがあるくらいです。

    大動脈の触診は、太った人では難しいですが、逆に太った人で腹部に拍動を触れる場合は異常だと考えるべきだと思います。全く関係のない主訴で来られた方、腹部診察で大動脈の拡張を触れ、心臓血管外科に送った方を数人経験しています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。身体診察の重要性は私自身も大学時代の総合診療科の病院実習で詳しく教えられましたが、研修医として働いているとあまりの患者数の多さに特にメジャー内科ではどうしても省略されがちな現状を感じます。

  • 現在心疾患、特に弁膜症では心エコーが活躍していますが、現在の心エコーを使った弁膜症の診断制度を、剖検で答え合わせをした正診率を100とした場合、心エコーのない時代、聴診での診断精度は80だった、という話をかつて聞いたことがあります。

    拡張期雑音は本気で聞かないと分かりませんが、収縮期雑音や過剰心音は、通常の高齢者外来では珍しくありません。

    ワクチン外来も担当しており、胸部聴診はすべての患者さんに行なっていますが、かなりの収縮期雑音があり「今まで、『心臓に雑音がある』とか、『弁膜症の可能性がある』と言われたことはないですか?」と患者さんに聞いても、多くの方が「いえ、そんなこと言われたの初めてです」と言われます。

    世の医師は、どれだけ丁寧に胸部聴診を行なっているのだろうか、とモヤモヤしています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。心臓の聴診についてはとある有名な循環器病院で働いているベテランの先生(もちろん循環器専門医)から「聴診は年に数回するかどうか」という話を聞いたことがあり、臨床現場で実際問題としてどれほど活用されているのかという疑問を抱えています。

  • 私たちのOSCEでは、頭頚部の診察で「直像眼底鏡」も項目に入っていました。

    今の病院では残念な、というか、どうして、というか、直像眼底鏡も耳鏡もおいていないので、Welch-Allynの眼底鏡、耳鏡セットを自腹で買いました。10万ちょっとでした。その他、打腱器、パルスオキシメーター、アネロイド式血圧計も自腹で買っています。

    一般内科外来でもしばしば、小児科も含めた総合診療外来では特に耳鏡は必須なので、OSCEでの訓練を基に、利用しております。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身もOSCEでは耳鏡を使う機会があったのですが初期研修医になってからはほぼ一回も触れたことがなく、病院のどこにあるのかも分からない状況です。

  • おっしゃる通り、国家試験は資格試験であるにもかかわらず、「相対評価」で、かつ厚生労働省が「恣意的に」合格ラインを設定できるため、ものすごいストレスです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。様々な意見があるとは思いますが私自身は選抜試験ではないにも関わらず必ず全体の約10%が落とされるという医師国家試験のシステムはどう考えても非合理だと感じます(年度により問題の難易度は変わるので合格点が毎回調整されること自体は納得できるのですが、あくまでも資格試験であるならば理論上は受験生が全員合格できるべきだと思います)。

  • 初期研修医、後期研修医、私の修業したグループ病院では、「ジュニア・レジデント」「シニア・レジデント」と分けていました。内科だけなのかもしれませんが、内科学会が認定する『総合内科専門医』は、初期研修も合わせて6年間の期間が必要です。なので、私がトレーニングを受けた内科後期研修は4年間でした。

    おそらくここは、専門診療科で変わるところだと思います。また、厚生労働省の天下りと悪名高い「専門医認定機構」の専門医制度については、私は門外漢なこと、申し訳ありません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。日本の専門医制度は時代を追うごとに変化しており、私自身は最新の制度さえ100%は把握できていないので創作上も大変悩ましいと感じます。

  • 非常に楽しく読ませていただきました。

    登場人物のキャラクター設定、心の動き、LGBTQの問題など、非常に丁寧に書かれていて、素晴らしいと思います。

    ありがとうございました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。これまで知人・友人を除く現役の医師の方に本作を最初から最後まで読んで感想を頂けたのが初めてなので大変嬉しかったです。本編はこの回をもって完結していますが「気分は基礎医学」の物語はアフターストーリーという形で今後も続いていきますので引き続きお楽しみ頂ければ幸いに存じます。心に響く感想コメントの数々を頂き本当にありがとうございました。

  • 雅人君、つらいね。気持ちがよくわかります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。雅人の恋愛に関する描写はリア充爆発しろ!という思いから書いた面がなかったとは言えないのですが男女がお互いいい加減な理由でお付き合いするとギクシャクしやすいのではという想像を小説で描いてみました。

  • 心砕けた経験、私もあります。全身から力が抜けて、心も身体もどんどん冷えて行って、「誰が悪いわけでもないこと」はよくわかっていて、「心の中」には「怒り」のようなactiveな感情は無くて、ただ自分自身が凍り付いていくような感じがしたことを覚えています。

    さくらさん、涙が出るだけ、泣けるだけ、まだよかったのかもしれません。状況によっては、「その場から逃げること」や「涙を見せること」すら許されない場面もあるからです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身は知人・友人に剖良のようなレズビアンの女性は(把握できている限りにおいては)いないのですが剖良の失恋エピソードは異性愛者であっても普遍的に起こりうるエピソードをレズビアンの女性に置き換えて表現しています。

  • 196 気分は笑顔への応援コメント

    細かい経緯は省略しますが、私の心の中には、今でも高校時代に恋をした女性がいます。

    一緒に所属していた高校のクラブ、卒業後3年目にOB総会の幹事をするのですが、私たちの学年が幹事学年として無事にOB総会終了後、同期で飲み会をしたのですが、話題が「彼女の彼氏」になり、「指輪をプレゼントされた話」だの、「ファーストキスの話」だの、のろけ話をたくさん聞きました。私の顔は笑顔でしたが、心の中はズタズタでした。

    飲み会の帰りに、彼女から、「彼氏がほかの女性にも優しい」と相談を受けました。酔っぱらっているうえにズタボロのメンタルで、頭も回りませんでしたが、「でも、彼氏さん、あなたのことを好きだと言ってるんでしょ。彼の言葉を信じてあげてもいいんじゃないかな」と答えていました。ボロボロの私でしたが、多分私がいくら彼女のことを好きでも、私では、彼氏さんほど彼女の心を愛で満たすことはできない、と感じていたのは事実です。

    梅田駅のホームで、先に私の乗る列車が出発したので、お互いに手を振って。それが彼女と会った最後でした。

    私が医学部に合格し、「夢だった「医師」に一歩近づいたよ」と彼女に手紙を書いたとき、彼女から葉書で、「夏に結婚する」と返信が来ました。「おめでとう」と返そうと思いながらグダグダになってしまいました。

    今、彼女がどこでどうしているかはわかりません。私にも大切な家族ができました。それでもやはり彼女への思いは、私の魂の中でくすぶっています。

    思うことはただ一つ、彼女と、彼女の大切な人が、いつまでも幸せでありますように、ということだけです。一青窈さんの「ハナミズキ」、「君と君の好きな人が、百年続きますように」の歌詞を聞くたびに泣きそうになっています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身は大学在学中から自分が好意を抱いた女性ほど相手から好意を持って貰えない経験しかなかったのでまともな恋愛については既に諦めていますが、せめて創作の中では美しい恋愛模様を描いていきたいと思います。

  • 197 ある地味な男の話への応援コメント

    阪急川西能勢口、キター!

    駅前とかかなり都会で、「地味な駅」なんて言うとクレームが来そうですwww。

    私が子供のころは、能勢電鉄が国鉄川西池田駅と阪急川西能勢口をつなぐ路線を持っていました。おそらくそのころから考えると、ものすごく都会になったと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身は川西市在住という訳ではないのですが遊びに行った経験が割と多いので実家のような気分で好き放題描写しています。(川西能勢口駅周辺は素敵なお店が沢山あるので大好きですが実際問題として梅田・宝塚・豊中・石橋辺りと比べるとどうしても地味だという印象があります)

  • 215 心の中を覗きたいへの応援コメント

    本当に好きな人であればあるほど、心の底を覗きたい、自分をどう思っているのか知りたい、と思いますね。若かりし頃、その思いで煩悶したことを思い出します。

  • 217 女の決意への応援コメント

    これまでの人生で一度だけ、「その覚悟」を感じたことがありました。

    とても大切で、とても愛しい人だったからこそ、その申し出を断りました。

    そのラインを超えてしまったら、もう友人には戻れないと思ったからでした。

    今も、彼女とはLINEでつながっていて、お互いに、「専門家」としての意見を聞いたりしています。

    若いころだったので、とても残念でしたが、私の選択は正しかったと思っています。

    back numberの曲「ヒロイン」を聞くたびに、彼女の顔や声を今でも思い出します。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。「気分は基礎医学」という作品のコンセプトとしてメインキャラ(塔也・理子・剖良・化奈・恵理・龍之介・微人・美波)には必ず作中で1回は性描写を入れるというものがあるのですが、化奈は性格上普通の恋愛ではそうなりそうにないので従弟との微妙な関係と身内の不幸という要素から性描写につなげました。

  • 私も、今でも忘れることのできない想いを秘めながら暮らしています。

    心の中で、いつでも彼女の幸せを願っています。

  • 「研究医」が少ない、という一方で、「博士課程を修了したけど職がない」という高学歴ワーキングプアの問題も深刻だと思っています。

    かつてはnon-M.D.の医学研究者の道を進んでいた私としては、基礎系講座には積極的にnon-M.D.のPh.Dを雇用すべきだと思っています。

    ”Scientist”という地平に立てば、M.D.がそうでないPh.Dに比べて優秀、ということはないと思っています。むしろ、中途半端に臨床科目が入ってくるので、スタートラインでは不利だと思います。

    臨床研究、という形であれば、M.D.でなければできないことがあるので、そこは違う話になるとは思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身は臨床と両立しての基礎医学研究者志望で今後大学院入学を予定していますが、私のように在学中から学生研究を続けていても研究技能が十分に身についたとはとても言えない中で医学部医学科を卒業してから初めて基礎研究の道に進む医師がどれだけ苦労するかは想像を絶するものがあります。

  • 156 気分は研究医合宿への応援コメント

    コレラと言えば、コレラバケツとORSを思い出します。江戸時代などに大流行した株と、最近流行を起こす株では、ずいぶんと毒性が低くなっている、という話は細菌学で聞いたことがあります。コレラ患者さんはコレラバケツに排便してもらい、重量を測定して、同量のORSを内服してもらうことで致死率が劇的に下がった、と記憶しています。

    最近(でもないか?)開発された下剤であるアミティーザやリンゼスはコレラトキシンによる下痢のメカニズムの一部を使った薬剤なので、そういう点では創薬に役立ったのかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。作中に登場したコレラの体験談は私が微生物学教室のとある先生から実際に聞いた話ほぼそのままで、コレラバケツのこともその際に教えて頂きました。

  • 仏教では「不殺生戒」という戒律があります。とはいえ、生きていくためには、他の命を奪わざるを得ません。困った弟子が釈尊に「不殺生戒」の意義を尋ねたところ、「『殺す心』を殺すのだ」と言った、というエピソードを聞いたことがあります。

    3000年以上前のエピソードですが、「深いなぁ」と思いました。

    その話を思い出しました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私は自分自身が研究において動物実験を行ってきたこともありカルト的な動物愛護団体には批判的なのですが作中にも登場した「3R」をはじめとする動物実験における留意事項は全ての研究者が詳しく知っておくべき重要な事項だと考えています。

  • あぁ、その親しみやすさが「魔性」の片鱗なのでしょう。私の職場にも、「魔性の女性」がいたので、そう思ってしまいます。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。山井理子にはモデルとなった特定の人物はいないのですが「分かりやすい美女よりも親しみやすいそこそこ美人の女性の方がモテる」というのは現代日本の医学部医学科でもよくみられる現象なのでその現象を創作に反映しました。

  • 126 幸せな時間への応援コメント

    私の同級生ですが、在学中にでき婚、出産、二人目の出産を経験しながら、留年することなく一緒に卒業した人がいます。

    悪阻の強い時期に解剖実習がかぶさっていて、おそらくしんどかったのだろうと思いますが、少なくとも私は、彼女が妊娠していることは知らなくて、「不勉強だなぁ」と思いながら、彼女の試験対策をサポートしていました。3年次になり、たまたま彼女たちの雑談が耳に入り、

    「えっ?妊娠してたの?」
    「えっ?わからなかったの?」

    彼女はスマートな体系だったので、全く気付きませんでした。その3日後に彼女は出産。1週間の休みを取った後は、また学校に出てきました。彼女のお母様が学校の時間帯はbabyちゃんの面倒を見ていたそうです。

    ご主人は大阪で勤務をするDr.とのこと。友人を介しての知り合いだったそうですが、はずみで一度結ばれてしまい、できちゃった、といっていました。

    彼女は入籍し、苗字が変わりましたが、あまり夫婦仲は良くなかったように見えました。というのも彼女は頻繁に

    「別に住んでいるから、婚姻関係は続いているけど、一緒に暮らすことはあり得ない」

    と言っていたからでした。

    ところがどっこい、6年時のクリニカル・クラークシップが終わるころに、2人目の妊娠が発覚しました。結局彼女は身重のまま卒試、国試を受け、どちらも無事に合格。初期研修は、彼女の出身地の大学病院で受ける、と言っていました。

    ちなみに彼女が「長老組」のトップ。入学時にたしか31歳と言っていたかと記憶しています。年齢を考えるときわどいところですが、休学することもなく、ギリギリでしたが留年することもなく卒業、国家試験合格を果たしたことを考えると、純粋に「すごい!」と思いました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身も親しかった女子医学生が在学中に同じ大学の先輩(医学生→医師)と交際→結婚→出産を果たし、大学との協力で留年することなく無事に卒業→国試合格をして今も研修医として働いているそうです。現代日本の医学部医学科における男女共同参画を反映した大変好ましい事例と感じます。

  • あぁ、つらいです。心中お察しいたします。

    大切な人と、大切な関係を続けるためには、お互いに正しい努力が必要ですね。

  • 106 気分は再受験生への応援コメント

    再受験で、私立医科大学を受ける、というのはよほど仕事で貯蓄をしたか、ご実家が裕福なのでしょうか。

    以前にも書きましたが、私の医学部同期は一般入試で、100人中16人が「再受験組」でした。再受験組でもある程度年齢を重ねたメンバーは少し自虐気味に「長老組」と自称していました。26歳(間もなく27歳)で入学した私が年齢序列で8番目、だったので仲間がたくさんいてホッとしたことを覚えています。

    国立大学で、授業料が安めなのは、長老組が多かった理由のひとつかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。これについても様々な意見があると思いますが社会人としての貯金で学費を賄い得る国公立医大と異なり私立医大の社会人からの再受験はほぼ必然的に「20代後半~30代にもなって莫大な親の金で大学生をやる」ことになるので私個人は私立医大への社会人からの再受験には批判的です(全員がそうという訳ではありませんが知人の再受験生には20代後半~30代にも関わらず人間性が幼稚な人が多かったです)。

  • 101 気分は自由恋愛への応援コメント

    グラム陰性球菌…Niseria属か?口腔内常在菌の名もない菌でなければ、淋菌や髄膜炎菌…、だめだ。特に髄膜炎菌なんてもってのほかだ。
    グラム陽性桿菌…きれいな桿菌ならClostlidium属かな?偏性嫌気性菌だから菌株の維持が大変だな。口腔内ならCorynebacterium族がいますが、C.diphtheriae…これもダメな奴だ。

    実習用のためだけに菌株を保持するのは難しいですね。

  • 私が研修を受けた病院では「研修医が手抜きをするから」という理由で、グラム染色は検査科が行なってくれていましたが、自院にない診療科の研修をするためにグループ病院に派遣されていた時は、その病院ではERの職員用通路の一角にグラム染色用のmini-laboが置かれ、自分たちでグラム染色を行なっていました。

    さすがにガスバーナーは置けないので、ドライヤーで火炎固定(の代わり)を行なっていました。結核かもしれない患者さんであれば危険だなぁ、と今では思います。

    アルコール脱色はもたもたしていると、本来染まるべき最近まで脱色されてしまうので、そこはチャチャッとしたいところですね。

    古い本になりますが、「感染症レジテントマニュアル」という、当時市立堺病院におられた藤本先生の書かれた本、今でも私の白衣のポケットに入っていますが、簡潔かつ具体的にグラム染色の仕方が書いてあります。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私が現在研修医として務めている病院ではGram染色は検査部のスタッフが行う仕組みになっていますが、もし自分が依頼されても行えるように復習しておこうと思います。

  • 96 気分は理由と根拠への応援コメント

    私の一つ上の学年が、「結核菌」を使った「抗酸菌染色」の実習中に、菌体の入った試験管をつかみ損ねて割ってしまう、という事故が起きました。

    実習室は1週間入室禁止になり、私たちの学年からは「抗酸菌染色」の実習はしなくなりました。

    上の学年は、この件については大変だったようです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。作中に登場した某大学医学部医学科の微生物学実習中のアクシデントは私が指導教官から教えられた実話を基にしています。

  • 93 気分は浄土真宗への応援コメント

    私の個人的意見ではありますが、臨床医、とくに人の生死にかかわることの多い分野につくのであれば、何らかの形での信仰心、生死観を持っておくべきだ、と思っています。

    僧籍を持つ医師も少なからずおられますし、医師のルーツをたどっていくと、結局は「宗教者」でもある「呪医(witch doctor)」に行きつくのだろうと思っています。

    私が白衣のポケットに常に入れている「医師の格言集」という本には

    「医師は誰しもが「呪医」の要素を持っている。適切な時に「呪医」の能力を使うべし」

    という言葉があります。

    「医学」と「医療」はある意味別のもので、ある意味「医療」には「科学的ではない」要素が含まれます。「人間」という存在が全てを「科学」で解釈することはできないからです。

    私は"Scientist"であると同時に"Witch Doctor"でもある、"Medical Doctor"という存在だ、と思っています。そのバランスを場面場面で使い分け、患者さんを「治療」できるものは治療し、「ケア」できるものは「ケア」しています。これも有名な格言ですが、

    "To cure sometimes, To care always"

    です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身は在学中に周囲の医学生があまりにも人文学的知識に欠けている(大学受験で地理しか学んでいないせいで「世界三大宗教が分からない」「太平洋戦争の終戦年を知らない」というレベル)ことにいつも驚いており、色々な意見があるとは思いますが医学部受験では地理の選択を禁止した方がよいのではと個人的には考えています。

  • 82 中高一貫男子校への応援コメント

    「家族の期待を背負って」とか、「実家を継ぐために」という他発的な理由で医学部に進学するのは、しんどいように思います。

    「私が医者になりたい」という希望を持っていたのは家族は知っていましたが、本当になれるとは、誰も(自分自身も)思っていませんでした。

    変なプレッシャーがなかったのは私にとっては良かったのかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身は周囲に「親が医者だから医学部医学科に入学した」医学生が多すぎてこれでは研究医が育たないのではと批判的に考えていましたが、近年では高校の成績が良いという理由だけで医学部医学科に進学した(親が医者でない)医学生が卒業後すぐに美容医療の道に進んでまともな臨床や研究をほとんどやらないという事例が増えていると聞き「親が医者だから~」も立派な動機だと考え直すようになりました。

  • 「巻置く能わず」という状態ですね。それができるのも「学生の特権」だと思います。

  • 76 気分は高校生物への応援コメント

    私が最初に進学したのは基礎工学部 生物工学科(今は学科改編で、当時の「制御工学化」と統合され「システム科学科」となっています)でした。基礎工学部はすべて二次試験の理科は「物理」「化学」指定でした。医学部も学士入学ではなく一般入試で入学したので、「物理」「化学」で戦いました。

    医学部で要求される「生物学」の知識のほとんどがいわゆる「分子生物学」に集約されると思っています。「シダ植物の子孫の残し方」なんて使うことはないからです。

    基礎工学部時代は、教養課程、と低学年時の専門科目で分子生物学を学習し、教科書は有名な「細胞の分子生物学(原著は"Molecular Biology of the CELL")」でした。

    個人的にはあの一冊をしっかり頭に叩き込めば、大学院試まで、あるいは学位を取った後も十分な基本的知識が身に付くと思います。

    「化学」「生物」で受験すると、MRIの原理、シンチグラム(今では少なくなりましたが)の原理などで苦労するかと思います。

    「医学」が「総合化学」である所以かと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身は諸事情から大学受験で「物理」「化学」「生物」の3科目全てを履修し結局は「化学」「生物」で受験したのですが、医学部医学科6年間での結論としては「医学部受験の理科は化学だけで十分」と考えています(物理の知識は6年間でほぼ全く使わず、生物を知らなくても基礎医学で地獄を見るだけで済みますが医者が化学を十分に学んでいないと電解質異常等を理解できず死者が出ます)。

  • 70 気分は出店への応援コメント

    粉物の難易度は、関西風お好み焼き<たこ焼き<広島風お好み焼きですよね。

    広島風お好み焼きの、薄い生地の上にたくさんのキャベツ、焼きそば麵、お肉の層を崩さずに、目玉焼きの上にひっくり返すのは至難の業だと思っています。

    医学部の独身時代には、友人たちを招いて、関西風お好み焼きパーティーをしていましたが、今でも広島風お好み焼きを自分で作れる自信がありません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。真偽のほどは不明ですが全国区で放映されているとある県民性がテーマのバラエティ番組で過去に「広島県民も自宅で作るお好み焼きは関西風」という話が紹介されており、広島風お好み焼きはやはり調理難度が高いのだなあと思いました。

  • 65 気分は合法ショタへの応援コメント

    私は他学部卒業後医学部に入り直したので、現役生とは8歳ずれています。私が学年で最高齢かなぁ、と思っていましたが、入り直し組を年齢順に並べると、私は8番目でした。入り直し組が100人中16人と2割近くあり、年齢などで差別をしていない(であろうと推測される)母校を誇りに思っています。

    さて、年齢と立場の逆転は、おっしゃる通りで、私より年上だった友人は、初期研修終了後、小児科医を選択しましたが、小児科の医局長は彼の弟さんだったそうです。

    私は、大学院生という立場を捨てて医学部に入学したので、卒業後は大学に残るつもりはありませんでした。初期研修から、全国的な医療グループで、創立者は病気を持ちながらも自身の夢の実現に情熱を持っており、ハードな研修生活で有名な某グループの病院に入職しました。1年次の7月ころに、この病院で外科の研修を受けた後、『総合診療をしたい』と三重大学で修業を積まれ、「この病院で総合診療をしたい」ということで戻ってこられた先生がおられました。

    兄貴肌の人で、後期研修医の先生方は、その先生に初期研修医のころお世話になっていたので、私たちの学年も、居並ぶ後期研修医の先輩方も「兄貴、兄貴」と慕っていました。

    ある日、その先生とER当直でご一緒する機会がありました。私の出身高校から医学部に行く人は毎年一人、二人なので、全く思いもよらなかったことですが、なんと私と同じ高校の1年後輩でした。

    私としては、中ボスにあたる先輩医師なので、それまで通り、後輩としてふるまい、その先生は、私を高校の先輩として遇してくださり、お互いに敬語で話し合う、という関係になりました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身は近畿圏内の私立高校を卒業後に数年間浪人して母校となる私立医大に入学したのですが、高校の後輩が同級生になっていたり同じ高校出身の上級生に卒業年度を聞いてみると高校では後輩だったりという経験があって当初は凹みました(同じような境遇の同級生が非常に多かったのですぐに慣れました)。

  • 私の時代、私の大学では、マークシート式の試験は「卒業試験」だけでした。

    ご存じの通り、国試合格率は「医学科」にとって至上問題ですが、私が2年生の時に、桜島が見える母校が、国試合格率、国公立大学最下位、全医科大学中 ワースト3だったことで、卒業試験の形態が大きく見直されました。結果として、「卒業試験は国試形式とする(時間配分も含めて)」「本試験で合格した者も含め全員追試験(これまた国試形式)を受けること(本試験合格者は、「国試模試」としての扱い)」となりました。

    どの問題が、どの講座から出題されているのかは明らかにされていないのですが、本試の結果発表では、不合格になった講座が明示されていました。追試を受けなければならない人は、「不合格になった講座の科目が合格すればOK」なのか、「追試の結果も総合的に評価される」のかが明らかではなかったので、結局全科目を勉強することになります。時に「こんなん国試で問われへんやろー!」というような重箱の隅をつつくような問題もありましたが、学校全体で「国試」を強く意識していたことは伝わりました。

    私の学年では、120人近くが本試を受けて、合格者は5人でした。その中に私の名前もあり、ホッとしたことを覚えています。

    基礎系の試験は、1年後期に発生学、2年前期に生理学、2年後期に第一解剖(肉眼解剖+神経解剖)、第二解剖(組織学)の試験がありました。私の下宿は少し広かったので、1か月近く、友人たちと「合宿状態」で勉強していました。私は賑やかなのが好きなので、「合宿所」となることには抵抗ありませんでした。むしろ試験が終わり、みんなが帰って行って、がらんと1人になった時にとても寂しかったことを覚えています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私の母校は平成末期(入学当時)の私立医大であったこともあってか教養科目と一部の基礎医学科目を除くほぼ全ての学内試験がマークシート式でしたが、数十年前に地方国公立大学の医学部医学科を卒業した親戚に話を聞くとほとんどの学内試験が記述式だったとのことで隔世の感がありました。

  • 53 気分は文芸研究会への応援コメント

    私の在学した大学は、総合大学で学生数も多かったため、大学生協がしっかりしていました。生協で教科書を買うといくらか安くなったような気がします。市内にはあと2店、医学書専門の本屋さんがあり、そちらも割引をしてくれました。

    丁度そのころ、Amazonが日本にやってきたころで、洋書を買うのはAmazonが一番安かったです。なので、洋書についてはAmazonで購入していました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私も低学年の頃は大学内の書店で医学書をよく買っていましたが臨床科目が始まってからは電子版の参考書を利用することが多くなり、今では基礎医学研究のための医学書も電子版を買うことがほとんどです。

  • 47 気分は女子バスケ部への応援コメント

    私は医学部時代、諸般の事情で特に部活には所属していませんでしたが(お金がないのが一番かな?)、友人たちから西医体のことはよく聞いていました。

    当時は宮崎医科大学がちょっと特殊な入試を行なっていたので、「甲子園出場経験がある」などといった選ばれしスポーツ選手も学生にいたそうです。

    西医体では「宮崎医科体育大学」と呼ばれていたようでした。

    今は「宮崎大学医学部」となっているので、あの頃とは変わっているのかもしれません。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。自分自身は文化部にしか在籍経験がなく、親しい友人にも大活躍している運動部員がほとんどいなかったので運動部の描写には今でも苦労しますが、研修医の中でも在学中に運動部で活躍していた人物は付き合いやすい人が多いと感じるので運動部所属の医学生のことは今でも尊敬しています。

  • 自分が「面白い」と思えない研究をするのは、確かにつまらないものです。

    しかし、non-M.D.であれば、「研究者」として生きていけなければ、他に選択肢がないので、そういう研究でも頑張らざるを得ないのかもしれません。

    また、自分が「あまり面白くなさそうだ」と思ったテーマから思わぬ発見があり、それで道が開ける人も見てきました。

    研究者と芸能人、芸人には共通点があり、「努力しないと成功しない」「努力しても成功するとは限らない」「成功には『時代の趨勢』も大きな影響を与える」という点が似ていると思っています。

    M.D.であれば、バイトだけで家族を養っていける、これだけでnon-M.D.からはとてもうらやましい、と思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私が医学生の頃に指導教官から提示され、現在まで研究しているテーマも始めた当初は何が面白いのか分からなかったのですがデータを集めていく内に大変面白くなったので当初は面白いと感じない研究テーマでも面白くしていく努力が有用と感じます。

  • 倫理・政経選択者は少数派だと思いますが、今、受験生をしている長男も「物理・化学・倫理政経」の選択者です。

    私も医学部受験の時は「倫理」を選びました。理由はシンプルで「チリ」も「日本史」も「世界史」も好きではなかったからでした。哲学、とか宗教学、というものには非常に興味があり、高校生時代には「文学部哲学科」に進学しようかと結構真剣に考えていたので、「たぶんこれが自分に一番合うだろう」と思ったからでした。

    実際、チャート式の参考書を独学で勉強しましたが、センター試験、バッチリでした。ただ、センター試験の社会を「地歴」のみとしている医学部がそれなりにあり、私の選択肢は狭まることになりましたが、それはそれ、結果オーライです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。日本の大学入試(今春となる2024年度入試までの教育課程)では日本史B・世界史B・地理Bが4単位、公民科目の倫理・政治経済・現代社会が2単位のため旧帝大や医学部医学科では一時期公民が(2単位であることを理由に)選択不能となりがちでしたが、現在は4単位扱いの「倫理、政治・経済」という科目が導入されたため「倫理、政治・経済」ならば公民も選択可能であるようです。(ただし地方国公立医大の一般入試や私立医大の共通テスト利用入試では2単位の公民科目も選択可能な大学があるようです)私自身はただ単に公民が好きだったので倫理政経で受験しましたが、そのおかげで医学生になった後も「心理学」や「公衆衛生」でほとんど苦労しませんでした。

  • 26 気分は新歓チラシへの応援コメント

    わはははは…。確かに美しいと思いますが、その美しさを理解するには知識と訓練が必要ですね。

    まるでピカソの絵を「美しい・芸術的だ」と感じられるようになるまでのトレーニングと似たようなものかもしれませんね(いや、病理学の知識の方が身につきやすいように思うのだが)。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。病理学研究をしているとHE染色像は美しいものだという認識が当たり前になってしまいますが、一般の視聴者に向けたスライド作りでHE染色像を大映しにして指導教官にたしなめられることがよくあります。

  • 「微研」時代に厳しく言われたことの一つは、"suggest"と"conclude"の違いでした。一度ジャーナルクラブで、取り上げられた論文で"conclude"と書かれてあったので、そのまま”conclude"と発言したところ、ボスから厳しく指摘されました。

    「君、この著者らの実験系やけど、しっかり考えなあかんで!TTXは確かにNa channel inhibitorやけど、TTXは本当にNa channel以外のものには「全く」影響を与えないのか?その根拠は?そういうことを一つ一つ疑問として積み上げたら、とてもじゃないが私は"conclude"とは言えないと思う。"suggest"であれば、同意するよ。でも私はこの論文では仮説を"conclude"できないと思う。「文献を批判的に読む」ってそういう事やろ?」と厳しく追及(指摘?)されたことは今でも覚えています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。"suggest"と"conclude"の違いという観点は頂いたコメントで初めて知りました。興味深い観点だと思います。

  • 23 気分は社長令嬢への応援コメント

    私立大学医学部には、びっくりするような御曹司がいるようですね。

    私が初期研修医時代、1年後輩は甲子園の近くにある医科大学の出身でしたが、同級生に某大手製薬会社の創業家一族の娘さんがおられたそうです。

    確かにその製薬会社、ルーツは大阪の道修町にあるので、関西の大学にいてもおかしくはないのですが、その話を聞いて「ひょえ~~っ!」と思ったものです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。作中に登場する社長令嬢の生島化奈は完全に架空のキャラクター(「大学最寄り駅前にあるたこ焼きチェーン店」自体は実在します)で、私の同期で最も裕福な学生は近畿圏内に多数のグループ病院を展開する医療法人の跡継ぎでした。他の学年の医学生を探せば(医療系でない)大企業の御曹司や令嬢も実在すると思います。


  • 編集済

    私は、大学院医学研究科博士課程を中退して、医学部に再入学しました。

    この作品、そして山崎 豊子氏の「白い巨塔」でも同じように呼ばれている「浪速大学」の基礎工学部を卒業後、浪速大学医学部が基礎医学研究者を養成するために作った「医科学修士課程(その当時はここにしかなかった)」に進学し、「マラリアワクチンの開発」を目標に掲げていた、「微生物病研究所」の、かつては「寄生虫学講座」と呼ばれていた講座でお世話になりました。

    ボスは普段はものすごく魅力的な話し方(自分たちの研究がどれだけの価値を持っているか、という事を熱く語り、私たちをやる気にさせる)をするのですが、ジャーナルクラブ(論文抄読会)では「批判的に論文を読む」という訓練に対しては「鬼」のように厳しかったです。

    基礎工学部時代、医学部に入りなおしてからの基礎配、クリニカル・クラークシップ期間での論文抄読会など、いくつもの抄読会に参加しましたが、微研時代の厳しさに比べればいずこも「天国」でした。

    今、DICの治療薬で「リコモジュリン(遺伝子組み換え型トロンボモジュリン)」がありますが、私の大学の講座がメインに仕事をしていたと思います。「世界と対等に戦える研究室」の一つでしたが、クリニカル・クラークシップで1か月間お世話になった時の論文抄読会で、私の論文の読み方、ディスカッションの仕方をみた教授が「君、すごくセンスがあるねぇ。絶対研究者向きだよ」と、とても褒めてくださいました。でも何のことはない、ただのチート能力でした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私の母校では批判的な論文の読み方は基礎医学以前の教養科目の授業で熱心に教えられており、大学入学後すぐの段階から批判的な論文の読み方を教われたのは貴重な経験だったと思います。

  • パッと目に「訳わからん!」と思った症例でも、発生学、解剖学、生理学の視点で見返せば「あぁ、そういう事か!」と思う瞬間は、今でもあります。

    臨床をするほどに、もう少し基礎を勉強しておけばよかった、と思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。初期研修医の立場でも放射線画像読影では解剖学、薬剤の処方では生化学・生理学・薬理学といった基礎医学の知識がダイレクトに役立っているので基礎医学を敬遠する後輩がいるとどうにか頑張って勉強して欲しいと伝えたくなります。

  • 12 気分はとても辛いへの応援コメント

    私は2004年卒ですが、私たちの学年は色々な変化を受けた学年でした。OSCEとCBT導入のため、「試験的」ではあるものの、それらを科されるようになったのは私たちの学年からでした。国家試験のガイドラインは4年に一度改定されますが、改定直後の酷使を受けたのも私たちの学年で、「国試にOSCEが導入されるかもしれない」という噂がまことしやかに飛び交いました。そして、初期臨床研修必修化の第1期生が私たちの学年です。

    OSCEで学んだ手技、今の臨床でも役に立っています。設備のない医療機関などで診療を行なうには、患者さんの身体所見をきっちりとれるだけの診察手技をマスターしておく必要があります。

    私たちの時代は、臨床実習は「ポリクリ」と呼ばれていましたが、今ではOSCEとCBTに合格し、「学生医」という資格で実習を受けているとのこと。一定の知識と技能を保障されている、ということは意味があると思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身は4回生のCBTとOSCE(Pre-CC OSCE)に加えて6回生のOSCE(Post-CC OSCE)が本格的に導入された頃に医学生をやっていましたが、現在はCBTと2回のOSCEが完全に公的化されたため私が受験した頃と比べるとずっと合格の基準が厳しくなっているそうです(コロナ禍の落ち着きにより一時は簡略化されていた病院実習も再び本格的になってきているため後輩たちの苦労が忍ばれます)。

  • 組織標本の染色、といえばまずH-E染色、と思ってしまうのが、年を取った証拠でしょうか?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身の基礎医学研究者としての専門は病理学で、将来的に基礎医学研究と並行して病理診断科の医師としても勤務する予定ですが組織学でも病理学でも基本はもちろんHE染色だと思います(学生研究の大変さを端的に表現する題材として免疫染色の細かい描写を序盤に入れました)。

  • 7 気分は謎だらけへの応援コメント

    基礎系の講座としては「解剖学」「生理学」「生化学」などと別れていますが、現在では「分子生物学」を土台とした研究となっていますね。分子生物学の進歩、ものすごいものだと思います。

  • 2 気分は緊急避難への応援コメント

    小生、皆月市(のモデル)市内にある小さな病院で「何でも内科」(Hospitalist、でもプライマリ・ケア医、と呼んでもらっても良い)に所属するオサーンです。

    畿内医科大学(のモデルと思しき大学病院)にも大変お世話になっています。

    一気に親近感がわきました。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。皆月市および皆月市内にある私立医大である畿内医科大学には明確なモデル(言ってしまうと私の母校)があるのですが元ネタに気づかれると何となく恥ずかしい気がします。私自身は主人公と同様に基礎医学研究者志望の現役研修医ですが臨床の診療科の中では総合診療科が最も好きなのでプライマリケア医の先生に本作をお読み頂けて光栄です。


  • 編集済

    3 気分は早とちりへの応援コメント

    私の大学では、術中迅速診断の検体は手術室から病理学教室に送られてきました。速やかに標本をつくり、2人の医者で確認していました。

    6年次の「クリニカル・クラークシップ」と呼ばれる4か月のうち1か月を第二病理学教室で過ごしましたが、先生方と一緒に術中迅速診断のプレパラートを一緒に見せてもらっていたことを思い出します。

    細かい疑問ですが、10年間大学で研究をするうち、おそらく4年は「大学院生」の身分で、大学にお金を払う必要があるかと思うのですが、残りの6年はどのような身分で、給料は支払われるのでしょうか?

    大学の研究室に所属して、何らかのポストを与えられて給料がもらえるなら、本当はとっても「おいしい」制度だと思います。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身もその対象者であった実際の研究医養成コースの規定では「大学院終了後10年間基礎医学教室の教員として勤務する」ことが条件でしたが作中の研究医養成コースは一般的な地域枠に準じて「医師免許取得から数えて10年間(=大学院修了から数えると5~6年間)勤務する」という制度にアレンジしています。作中では大学院の話題はまだ出てきていないのですが研究医養成コース生の大学院の学費は特例で無料で大学院修了までは初期研修医→医師の臨床業務で生計を立て、大学院修了後は自動的に基礎医学教室の助教のポストを与えられるという設定です(実際の研究医養成コースの制度は若干異なりますが大筋は同じです)。

  • 1 気分は崖っぷちへの応援コメント

    その学費を払わなければならないかもしれない立場にあるものです。

    どうか、国立大学に受かってくれ、と願っています。

    私の実家は貧乏だったので、「医師になりたい」と思っていても、「私立大学医学部」という選択そのものが「もともとあり得ない」ものでした。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。現在の日本には学費無料かつ簡単な入試で入学できる地方国公立大学の地域枠(その中でも地元出身者枠)がありますが地域枠というシステムがなかった頃の国公立専願の受験生の苦労は想像を絶するものがあると思います。(一般入試で合格できなければ自治医大や防衛医大ぐらいしか選択肢がなかったのでは?)

  • 19 気分は男友達への応援コメント

    私の卒業した大学では、大学祭の主管学年は4年生でした。私の親友が大学祭実行委員のトップ。私がナンバー2でした。前年の大学祭でトラブルがあり、マイナスからのスタートでしたが、何とか3,4年生の気持ちをまとめて大学祭開催にこぎつけました。

    大学祭の前日が麻酔科の試験でした。試験前日に友人が「俺たち、頑張ったよな。もう(麻酔科)に落ちてもしょうがないよな」と言い、私も「そうだそうだ」といったことを覚えています。

    試験当日、少し早めに登校した私たちは、友人たちから知識を分けていただき(カンニングしたわけではなく、本当に教えてもらった)、二人とも本試験で合格したことを覚えています。

    「血の小便が出るまで頑張るで!」と二人で励ましあっていましたが、大学祭当日、私が尿管結石で血尿を出し、痛みで死にそうになったことも今では懐かしい思い出です。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身はマイナーな文化部にしか所属していなかったため大学祭の運営にはほとんど全く関与しませんでしたがお客さんとしては遊びに行ったことがあります。作中の大学祭の描写は運動部に所属していた友人に取材をして書きました。


  • 編集済

    14 気分は在宅バイトへの応援コメント

    勉強会はNEJMのMGH-CPCですね?

    私も学生のころ、病理学の抄読会に参加させてもらっていました。

    複数の学年から、まじめな人たちが集まるので、結構熱い勉強会だったことを覚えています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私が実際に参加していた抄読会はまさしくNEJMのMGH輪読会と呼ばれており、低学年のうちから臨床系の英語論文に触れられた経験はその後の学生研究で大いに役立ちました(学生研究をしていない医学生も多数参加していました)。

  • キムワイプは理系学部であれば、大抵のところで使うので、キムワイプチョコ、大学生協や購買部に置けば売れるかも、です。

    キムワイプ、それなりの値段なので、私の友人はキムワイプで鼻をかんでいるところを教官に見つかり、説教されていたことを覚えています。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。私自身も友人がとある教養科目の実習中にキムワイプで鼻をかもうとして先生に怒られているのを目撃したことがあります(世代を問わないアクシデントなのかも知れません)。