銀色の告白~20兆円市場の咆哮

シュレディンガーノネコ

第1話 幸せかどうかは、自分次第である

1994年7月某日 東京都新宿近郊


 朝7時30分、スーツの上着とカバンを手に新大久保駅を南下しひたすら歩き続ける。出勤である。


 今では慣れたが、この時期まだ太陽がそれ程高くない状態でもまるでサウナにでも入っているかのようなこの気温・湿度。雪国育ちの僕にとっては有りえない。反面「除雪」という毎年の重労働が無くなった安心感のようなものも有ったが、今となってはどっちもどっちという所か。


 店舗に着くまでにはまだ15分程歩かなければならない。そして7時35分丁度に高層マンションの入口から一人の黒い羽織を着たおばあちゃんが現れる。今日はゴミ出しのようだ。

「あら、白河くん!久しぶりね。そうそう、昨日は14連荘した後にねぇ、もうね、5回転くらいでね、また来たの!そこからまた13連荘してね・・・・」

 このつまらない話を聞き終わるのに大体5分弱かかるのだが、ついつい違う何かを考えている。例えば先週は

「どうしてこのばあちゃんは、いつも僕が通りかかるタイミングジャストでいつも出てくるのか?また例のごとく実はストーカーなのか?」

などと考えていたのだが、実際には日本の電車の超優秀なダイヤ(時刻)の性能のおかげと、自分の単調な足取りが、分単位で正確にこの場に立たせている、という事を理解し先週は電車を1本早く乗り、7分早くここを歩いて通過した結果、おばあちゃんは現れなかった。


 しかし不思議なもので、今までずっと通勤途中に会ってた人に突然会わなくなると、何か気になって今週からまた以前の通勤時間に戻したのだった。そうしたら、おばあちゃんは又いたのだった。

「ああ、そうなんだ。ばあちゃん引きが強いからねぇ。今日も来るの?あまりハマるんじゃないよ!」

そんな会話をしつつその場を後にする。黒い羽織を着た老婆はまたマンションの中へ戻って行く。


 10分程して、職場の店舗へ着く。7時50分。


「ヤマト 大久保店」

(設置台数:パチンコ425台 スロット200台 合計625台 4階建てビル型)

※グループ年商 1994年現在 2250億円

 いつも通り、店舗入口のセムコ防犯装置を解除しようと、指紋認証装置に指を置こうとした時、不意に横の階段の影から人が現れる。

「おはようございます。白河サブチーフ。」

その礼儀正しくも冷たい口調で、遅いぞお前と言わんばかりに話しかけてくるのは、総務サブチーフ 伊達彩華。


 痩せ型で黒髪ストレートのロングヘアー。ボタンを2つ外した白いブラウスが胸元の白い肌をやや多く露出させている。そしてどこへ目をやって良いかわからない深いスリットの入った黒の短いスカートに、カツカツと音のなる高いヒール。極めつけは、その赤渕の細いメガネと冷ややかな眼光。(初対面の時は、目が大きく可愛い印象だったのだが。)

 

 いわゆる「美形で優秀」に属する女性なのは間違いないのだろう。基本的に、尊敬できる上司以外の男性、無能な上司や職位が下の男性、自分より年収が下の男性はゴミ程度にしか思っていないらしい。何か嫌がらせを受けた訳では無いが、正直に言って苦手だ。何故なら、「職位が同格」の僕もおそらくそのように思われているのだろうと推察される。何より性格がキツい。年齢は28歳なので僕より5つ上で、未婚でフリーとの事。本来はこういう女性が同僚にいると、喜ぶべきなのだろう。実際、ホール係の若い男性諸氏には人気が有る。僕も若いのだが。


「おはようござい、ます!」指紋認証装置に指を置き、防犯装置を解除。

「いつも大変ですよねぇ。上の二人がちゃんとしてないから・・・・」

 たまに、ごくごく稀にこういう事を言ってくれる時があるのも人気な理由なのだろうか?全く常時冷たい訳でもない。ツンデレギャップというやつか。

「まあ、慣れですよ、慣れ。」

僕はそう言ってこの年上の綺麗なお姉さんに照れ隠しをしつつ、扉を開け店内に入って行く。


 足早に彼女が僕を追い越して行き、店舗内1F奥の事務所前に駆け寄る。どうやら事務所のカギは自分で開けるらしい。No3以下のスタッフは本来、ホール内の立ち上げ・セッティングをすれば良いだけで、事務所にはあまり用事の無い立場なのだが、上の二人が「朝来るのが遅い人」と「ほとんど夜しか店舗に来ない人」なので必然的に僕が店舗の開錠や、事務所・司令室の機器立ち上げも命じられているワケだが、この事務所という「大奥の長」である彼女はNo3の僕を部屋に入れたくないのかもしれない。僕はそれ程出世欲も無いが、たかだか入社二年弱で同格になった幸運な年下を許せないのかも知れない。


 僕はまず事務所内にある別室「司令室」へ行き、照明をつけ手に持っているスーツの上を掛け、カバンを置く。そしてタイムカードを通す。事務所がNo1・No2・女性総務スタッフの居場所だとすると、ここがNo3=ホールスタッフを束ねる僕の居場所であり、売上・利益・出玉管理や店内全域を監視できる中枢である。司令室の「ホールコンピュータ」の電源を入れ、次に「遊戯台」の一括電源を入れる。最後に「防犯カメラ」全台の確認をする。


 再び事務所に戻ると、伊達彩華はデスクで何やらノートパソコンで作業している。相変わらずキーボードを打つのが早い。僕は事務所の「サブホールコンピュータ」の電源を入れ「No2」のデスクに座り、ノートパソコンの電源を入れる。何気に正面の彼女をチラ見すると、ひたすらキーボードを打っている。照明が反射しメガネが光って見える。この無言の空気は辛い。


 そして彼女が突然席を立ち、ちょうど立ち上がったと同時のサブホールコンピュータの前に行き、立ったまま左手をつき、前かがみで右手でマウスを動かし何か書類をレーザープリンタで印刷する。印刷される数秒の間、マウスを指でコンコンしている。彼女には1秒でも貴重なのだとわかる。はい、電源入れるの遅くてごめんなさい。


 彼女は席に戻り左手に印刷した書類を持ち、右手でパソコンに入力をしている。僕の方もパソコンが立ち上がったので本社からのメールをチェックする。そうするや否や、また彼女は突然席を立ったと思うと、こちらに向かって書類を持った右手を差し出し、深く礼をしながら下を向く。

「営業日報お願いします」

礼をし、下を向きながら彼女は早口に言う。その差し出されて伸びた右手と書類のライン上にあるブラウスの胸元に目が行ってしまう。本当にこの人は目のやりどころに困る事をする。

「僕が打って良いのかな?」

メガネへ視線をずらしても、胸元はまだ視界に入っている。

「できれば」

と、やはり早口で言ったまま動かない。とっとと受け取って前日の営業日報を打てと言う事だろう。立って受け取ると恐らく罪悪感が沸くものが見えてしまうので、僕は座ったまま書類を受け取った。それでも水色のような何かがうっすら見えてしまったのだが・・・・


「昨日の夜に中田サブマネージャー、日報打ってなかったんですねぇ。」

僕は気を取り直す意味で軽く聞きながら日報を打ち込む。

「ええ。白河サブチーフが休みの時はだいたい翌日ですから。て言うかサブマネに打たせたらそれだけで閉店作業終わってしまいますよ?」

微かに笑っているように見えた。彼女なりのジョークなのだろうか。


 などと話していると、事務所のドアが開き

「オーゥ。はぇーなぁーお前ら。」

8時17分。中田政次サブマネージャーが出勤。当店のNo2である。

「おはようございます。日報コメントだけお願いします。あとは全部入力してあるので。」

僕は席を立ち譲る。

「俺パソコンって苦手なんだよなぁ・・・・お前コメントも書いておけよ・・」

初老のその男性は、席に着きながら弱々しく呟くが

「ダメです。これも練習です。ホールと開店準備は全部やっておきますから、8時30分の朝礼だけ出て下さいね。」

そう僕は言って事務所を後にした。


 さてと、と思いながらホール内に向かうと既に何人かが開店準備作業を行っていた。

「おはようございます。全台ガラス・ドアチェック間もなく終わります。」

そう言ってきたのは、ホールリーダーの 山本寛輔である。

「お、さすが優秀な人は早いですねぇ。」

僕は朝のあいさつ代わりにそう答えた。


 彼は33歳なので、社会常識的に目上であり尊敬している。既婚で性格も良く仕事もこなし一般スタッフとも上手くやっている優秀な部下の一人。いわゆる良識人だ。ただ、何故かあまりマネージャーの評価は良くない。だからなかなかサブチーフへ昇格できずにいるようだ。

 ある程度現状に満足している僕などは、こう言う人が早くエライ人になってくれれば、会社はもっと良くなり僕も少しはラクをできるのではないか。


 少なくともこの時はそう思った。

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