14 鍋と変わりたい男

 久しぶりの春との食事、少しでも長く一緒にいたいという思いから孝太郎は鍋をチョイスした。白菜に、えのき、しいたけ、豆腐、それと主役の鱈。大根をすってポン酢を用意すればそれで準備は終わりだ。連載が始まって忙しそうな春に効率よくバランスのいい食事を取ってもらいたかった気持ちもあるので、鍋はちょうどよかった。春が来て孝太郎は、いらっしゃい、と笑顔を向けた。春はほんの少し、ぎこちない。孝太郎は先日果歩に言われたことを思い出していた。酔ってハグしているところに春が出くわしたと。変なところを見せて申し訳ないと一応ラインで謝罪したが、あらためて孝太郎は言った。


「前、すみません。飲みすぎちゃって……玄関先でうるさかったですよね。春さんとの約束も寝落ちして破ってしまったし……」


 忙しくて会えないとは聞いていたけれどもしかしたら少し怒っていたのかな、と孝太郎は弱気になる。春は、いえ、と否定した。


「お仕事お疲れさまです。あ、ポン酢とか運んじゃいますね」


 そう言って春はポン酢や大根おろしを運び始めた。ローテーブルにカセットコンロを置いて、その上に土鍋を置いたら完成だ。ローテーブルに向かい合って座る。いただきます、と手を合わせて春は自身の皿に大根おろしとポン酢を入れた。そして、鱈と白菜、しいたけをお玉で取る。はふはふ、と熱い鱈を頬張り、美味しい、と頬を緩ませた。


「春さんの美味しそうな顔、久しぶりに見れた」


 孝太郎がそう言うと春は、ふい、と目をそらした。そしてそのままぎこちなく切り出した。


「……あ、あの、今日は、お願いがあって」

「なんでしょう」

「よければ孝太郎くんの行きつけの美容院と服屋さん……教えてもらえませんか?」


 やけにあらたまって言うのでどんなお願いかと思いきや存外可愛いものだったので孝太郎は快く引き受ける。


「いいですよ〜。美容院はお店のホットペッパーのページ送りますね。服屋はどうしようかな……おれ、特に決まってないんですよね。先輩からのお下がりの貰い物が多くて。みんなどんどん買うからすぐいらなくなるみたいで」

「そうだったんですね……あ、ありがとうございます」


 美容院のページが早速ラインで送られてきたので春は頭を下げた。


「春さんどこかに行くご予定が?」


 春の行動範囲はいつも自転車の範囲内だ。オシャレに興味のなさそうな春がわざわざ髪を切って服まで新調するなんて、と孝太郎は疑問に思い尋ねた。


「あ、編集さんと取材で少し……出かけます」

「取材ですか。どちらまで?」


 そう聞いた孝太郎に春が口ごもると孝太郎は、すみません、と謝った。


「ネタバレになっちゃいますよね。連載に関係するところなら」

「あ、はい……」

「前に打ち合わせしていた編集の方と2人で行くんですか?」


 はい、と春は頷いた。孝太郎の頭に円香が浮かぶ。同世代の女性と2人でどこかに行くと聞き孝太郎は少しモヤモヤした。仕事なのだから、と思い直すが気になり、つい口にしてしまう。


「あの編集の方、お綺麗でしたよね」

「え? ああ……円谷さん……。はい、すごく……綺麗です」


 いきなり目に見えて春のテンションが急降下したので、孝太郎は驚いた。


「すみません。今、何かよくないこと言いましたか?」

「いえ……その……何でもないです」


 そう春は誤魔化したが絶対に何でも無いことがない反応だった。春は、ぽつり、と言った。


「ただ孝太郎くんは円谷さんみたいな女性が……タイプなのかな、と」


 それを聞いて孝太郎は、ピン、ときて春に弁明した。


「春さん! おれは春さんの仕事先の女性を狙ったりなんてしませんよ。そんな見境なくありません」


 昔から孝太郎をゲイだと知らない男の友人にはこのような誤解をされることがあったので孝太郎がそう言うと、そう思ったわけでは、と春はきまり悪そうにしていた。春の反応に違和感を覚えた孝太郎が言った。


「もしかして春さん、あの編集さんのことが好きなんですか?」

「ッえ、ちが、違いますよ!!」


 否定していたが春の顔は真っ赤に染まっていて、その反応に孝太郎は胸がジグジグと痛んだ。聞かなければよかった、と落ち込む。仕事関係の、さらには漫画に理解のある同世代の女性なんてよくよく考えれば社交的ではない漫画家の春と非常にしっくりとくる組み合わせだ。孝太郎は円香とは1度ゲイバーで話しただけだが、若いのにすごくしっかりしているように見えた。少し天然なところのある春と彼女は合う気がする。少なくとも同性のホストの自分よりかは何倍も相応しい、と孝太郎は沈んだ。そんな孝太郎に気づかず春は言った。


「孝太郎くんこそ、前に家まで送ってきてくれていた女性のことが、好きなんじゃないですか……あの美人な……」

「……ああ、果歩さん。ええ、好きですよ」


 春が編集の子のことを好きなのかも、と勘違いしてしょんぼりしていた孝太郎はあまり春の話をしっかり聞かずに生返事をしていた。春は恋愛の意味で好きか、と聞いたのに孝太郎は単なる人としての好き嫌いの話で答えていた。


「ッ……」


 絶句した春に孝太郎は気づかず、春のためにせっせと鍋のアクをすくっている。


「あ、春さん、鱈が崩れてきちゃいました。どうぞ」


 そう言ってお玉ですくった鱈をお皿に入れてもらい、春は俯いたまま食べる。春は尋ねた。


「果歩……さんって、何されてる方なんですか?」

「同業者ですよ。クラブのホステスさんです」

「そうなんですね……それなら、孝太郎くんの仕事のこともよくわかってそうですね」

「え? まぁ……お店にも前々からよく来てくださってますし……」


 孝太郎は頭の中で、そういえば前に果歩さんに送ってもらったお礼に何を差し入れようかなぁ、と考えていた。孝太郎がポン酢を取ろうとしたとき、たまたま同じタイミングでポン酢を取ろうとした春の手と当たる。


「あ、ごめんなさい!」

「いえいえ」


 孝太郎は一瞬手を触れてラッキー、と思っていたが春は浮かない顔をしている。孝太郎は思い切って、えい、と春の手を握った。


「ッうわ!! なんですか!!」


 春の過剰な反応に孝太郎は面食らった。


「あ、ごめんなさい……春さん前によくスキンシップしてきてたから……そのノリで……」


 春は、あ、と声を上げて恥ずかしそうに赤面した。


「ごめんなさい……びっくりしてしまって……」

「や、こっちこそごめんなさい。急にしたらびっくりしますよね」


 はは、と笑いながら内心孝太郎は傷ついていた。あんな声を出すほど嫌なのかぁ、と心に刺さる。前は大胆なスキンシップに悩まされていたのだが、急に態度を変えられるとそれはそれで寂しかった。空気を変えようと、孝太郎は全然違う話を振った。


「春さんがお嫌じゃなければ取材に行くときおれの服貸ししましょうか」

「え! たぶんブカブカになるかと……」

「先輩からもらった服でサイズが小さかったのがあるんですよ。処分するのも躊躇われて置きっぱなしになってて……それでよければ」


 他の後輩に回してしまおうかとも思ったのだけれど、ゲイの自分からもらうのは嫌かなぁ、と手元に置いたままになっていた物だ。


「あ、でもクリーニングしてても知らない人の古着なんて嫌ですよね」

「いえ! 正直助かります……! まともな服を買わなければと思う気持ちは強いんですけど、買いに行くのも選ぶのも何もかも億劫で……どこかに落ちてたらいいのにって思ってたんです。どうせ普段はそんなよそいきの服着ませんし。だから孝太郎くんさえよければ貸してください」


 そう言われ、もちろんです、と孝太郎は微笑む。あげてしまってもよかったのだけれど、貸す、と言ったのは少しでも会う機会を増やしたかったからだ。最近春が忙しくて食事を断られていたので、孝太郎はもっと春と一緒にいたくなっていた。


「美容院はいつ行きますか?」

「え? あ、そうですね……先延ばしにすると億劫になるのでもう明日にでも行こうかな……」

「じゃあおれも一緒に行ってもいいですか? そろそろ根本のリタッチ行きたかったし」

「りたっち……?」

「伸びてきたから、生え際だけ染め直そうかと」


 孝太郎がそう言うと春の表情がパァッと明るくなった。


「めちゃくちゃ心強いです!! 恥ずかしい話ちょっと場違いかと不安になっていたので……」

「よかった。じゃあ春さんのも一緒にネット予約しておきます。カットだけでいいですか?」

「はい! お願いします」


 春は、はぁ〜、と息をついた。


「肩の荷が下りました……もう新しい服とか美容院とか慣れなくて……本屋とか電気屋ならサッと行けちゃうんですけど」

「はは。じゃあおれが電気屋行くときはついて来てもらおうかな。おれ、そのへんは疎いので」

「任せてください」


 そう春が得意げに笑う。その表情1つにさえ孝太郎は恋心を疼くのを感じていた。綺麗な顔をしていて才能もある春がオシャレになったら、もう編集さんに限らずとも恋人なんてすぐできてしまうだろうなぁ、と孝太郎は寂しさを覚えていた。それまでは少しでも一緒にいて、1番近しい相手でいたかった。

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