第21話 落武者小五郎(3)

「そんなこと、わしらがやりますんで、由己様にやってもらうんは恐れ多いこって……」

西光村の中央の原っぱでは、今夜の祭りの用意が着々と進められていた。由己は準備していた村人には、既に自分が何者かは軽く紹介していた。原っぱには四隅に竹の柱が打ちつけられ、その竹の柱の間に縄がかけられていた。さらにその縄に等間隔で濃い緑葉の榊の枝を逆さに括り付けて装飾していた。

由己は庵から戻ってきて以来、どんよりと重い空気を背負っていた。この祭りの舞台を手伝ってはいたが、祭りが楽しみで仕方なかったわけではなく、何かやっていないと押し潰されそうだったからだ。

「よいのじゃ、手伝わせてくれ。こういうのをするのは好きでなぁ。榊はこんな風でよいかなぁ」

「……へい、ありがとうごぜいやす」

村人はなんとなく、顔色が悪い由己に手伝ってもらうのは、心苦しいというよりも、居心地が悪そうだった。

そんな由己は、村人と関わりながら、遠巻きにあの不思議な童、小五郎を視界の端に捉えていた。小五郎は村人と関わる様子はなく、一人丘の上の大木を背にして座り、そこから見える風景に目をやっていた。

由己が正面から小五郎を見るのは、この時が初めてだった。なるほど、確かに薄汚れたボロを身にまとい、全身汚れてはいるが、内なる珠は輝きを失わず、高貴な空気がみなぎって、人を寄せ付けないものがあった。村人の同じ年か、それより下の童が、その存在を気にするかのように近付いていこうとするが、その不思議な童は、相手をすることも愛想笑いを浮かべることもしなかった。

由己の目には、小五郎が場違いに放り出された一匹狼に見えるのだった。狼は元々群れ社会で、夫婦とその子供たちで群れを成す。その子供が成長し、大人になると群れを離れ、他の群れの同性を倒して群れを乗っ取るか、異性の一匹狼と群れを成すかのいずれかで、前者は死を伴う危険をはらんでいた。小五郎はわずか十二、三歳で群れから離れてしまったため、いずれの怪も困難を極めていた。誰かにすがりたいが誰もおらず、何かをしようにも全くの異社会で手が出ず、そんな小五郎を由己は悲哀の情と、遠巻きでしか見守れないことへの謝罪の情で、見つめるのだった。実は西光寺の庵で、牧蓮尼に、小五郎を連れて行ってはくれまいかと懇願されたのだった。尼が言うには、このような山奥で婆の世話をすることが小五郎の運命ではないと。由己は答えに窮してしまった。人さらいの犠牲となった童を助けようと庵まで出向いた由己だったが、いざとなると二の足を踏む自身に嫌気が差すのだった。

庵からの帰りの道中、助けたいという義侠心が、小五郎のためになることなのか、由己は悩んでいた。苦悩の種は、ゾクリとさせるおぞましい二つの眼に他ならなかった。それは誰かに監視されてはいないか、という刻まれた恐怖の刻印だった。それが明智家ゆかりの者となれば尚更であった。小五郎とは、十中八九明智光秀の嫡男十五郎に違いないと由己は確信していた。世間では坂本城落城の折、一緒に焼け死んだと噂されている様だが、どうも事実は違ったらしい。それ故に小五郎と接触することで、逆に小五郎を殺してしまうことになりはしないか、太刀打ちできない恐怖の前に怖気づいていた。

「すまぬ、————すまぬ」

竹の柱に縄を結びつけながら、横目で小五郎に視線を送る由己は、そうつぶやいた。

由己が目をそらしたその刹那、

「やめぬかぁ!」

鋭い声が辺りに響いた。その場にいた村人や走り回っていた童が、一斉に声の方向へ顔を向けた。それは丘の上の大木に背を預けて座っていた小五郎だった。小五郎は右手を伸ばし、走り回っていた童を静止するような身振りを見せていた。

誰もが硬直したその場で由己は、飛んで逃げるイナゴに目が止まった。どうやら小五郎は、イナゴを追いかける村の童を静止したかったのだと、由己は気がついた。その時の小五郎の目は、さっきまでの自身の運命に絶望した死んだ眼ではなかった。しかし、またすぐに顔色が曇り、大木を背に座り直してぼうっと前景を見つめるのだった。

————おぬしはイナゴを生かしたか!

由己は飛んで逃げるイナゴと、それを助けた小五郎を見て、胸が熱くなるものを感じていた。

今の自身はとりわけイナゴじゃなぁとぼんやりと思った。見えない眼に怯え、ただ逃げ惑うのみ。これでは一生巨大な影に怯えて暮らす事になりかねん。

————あのイナゴはあのままで逃げ切れたのだろうか。

ふと由己にそんな疑問が浮かぶ。おそらくはあの童たちに捕まるか。勢い余って踏み潰されるのがオチではなかったか。だがあの不可思議な童、小五郎の一言がイナゴの運命を大きく変えた。今日、この場に小五郎がいたことは偶然だったか、それとも必然だったか。由己が今、西光村にいたのは偶然だが、必然だったやもしれん。それに、この場でイナゴを助ける小五郎を目撃したのは偶然だったのか? それとも……。もしかすると、自身でも未だ、認識していない役割への途上に立っているのやもしれんと由己は思い直していた。

————視線の恐怖に、一人怯えるだけが怪ではないのではないか!

と由己は思い始めていた。

小五郎のいる丘の方へ木枯らしが吹き、枯葉が舞った。大木を背にしているせいか、小五郎がとても小さく見え、朽ちた枯れ木のようにみえるのだった。由己はそんな小五郎を先ほどまでとは違った気持ちで見つめていた。

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