第59話 はゆるとみんな③

 そんな不可解な体験談を話してみると、紅愛くれあちゃんとわたりくんは揃って腕を組み、高い天井を見上げて唸りました。


「やっぱり、変な人だよね……」

「気づいたらいるし、猫と話せるし、顔めっちゃかっこいいし、足めっちゃ速いし、気づいたら消えてるし……は、ほんとに人間か?」


「私もいよいよ、疑い始めています」答えながらロイヤルミルクティーをかき混ぜると、氷が軽やかな音を立てました。以前三人でこのカフェに来たのが、もうずいぶん昔のことのように思えます。


「人間なのだとして、瞬間的に離れた場所へ移動してしまうというのは、変わった体質の持ち主ですね」

「……和泉いずみさんにだけは言われたくないと思うぜ」

「そういえば、漂意はもうできなくなっちゃったの?」


 紅愛ちゃんが少し寂しそうに尋ねました。

 私は咄嗟に渡くんを見据え、意識を集中させました。


「まだできますよ。ほら」


 渡くんの声で答えると、紅愛ちゃんは大きな目を一層見開いて、胸の前で小さく拍手をしました。


が他人の身体に入ってる間、この身体の主導権はにある」


 主人格のほうの私はロイヤルミルクティーを飲んで、不敵な笑みを浮かべました。意思に反して動く自分自身の姿を眺めるという体験にも、さすがに慣れました。


「ひええ、ますます意味不明な身体になりやがった」渡くんがわざとらしく顔をしかめました。


「よかった!」


 一方、紅愛ちゃんは満面の笑みを向けてきます。そのあまりの眩しさに私は両目を焼かれそうになったけれど、焼かれたとてそれは渡くんの目であり私にはなんのダメージもないのです。


「私、これからも映ちゃんの居場所になれるんだね」


 紅愛ちゃんはそう言って、照れたように視線を下げました。私は自分の身体に戻ると、テーブルに置かれた紅愛ちゃんの手にそっと触れました。


「果てしない闇に呑み込まれていた私を、紅愛ちゃんが助け出してくれたのです。これから先、紅愛ちゃんが自分を見失ってしまいそうになった時には、私が絶対にあなたを助けます。約束です」


 私と紅愛ちゃんは小指を絡め、それからお互いに見つめあって微笑みました。


「ありがと!」

「こちらこそです」


 窓から吹き込んだ暖かい風が、ささやかな祝福みたいに、私たちの頬を撫でていきました。


 それからしばらく、私たちは他愛もない会話をして過ごしました。やがて私の注文した二杯目のロイヤルミルクティーが運ばれてきた時、紅愛ちゃんが腕時計を見つめて慌てて立ち上がりました。


「ごめん! 私、そろそろ部活行かなきゃ」

「今からですか? 日曜日なのに忙しいですね」

「うん、実は……」


 ほんの少し目を逸らしてから、紅愛ちゃんは打ち明けるように言いました。


「文化祭公演の、主役に抜擢されちゃって……」


 私と渡くんは、揃って感服の声を上げました。


「おめでとうございます。今から文化祭が楽しみです」

「その舞台って、友達のよしみで僕も出演――」

「できるわけがないでしょう」

「でも、僕はマジックが得意だぜ? つまり人並み以上に演技力はあるってわけだ」

「だとしても、なぜ他校のあなたがうちの文化祭に出るのです」

「そこはまあ、業務委託みたいなノリでさ……」


 いつもの調子で言い合っていたら、紅愛ちゃんがくすくすと笑っていました。


「初めての大役で今から緊張しっぱなしだけど、二人のこと見てたら元気出てきたよ!」


 鞄を肩にかけ、胸を張ってカフェを後にする紅愛ちゃんを、私は手を振って見送りました。


「映ちゃん! また明日、学校でね!」

「はい。また明日です」


 また、明日。

 それははたから見ればきっと、なんの変哲もない、ありふれた高校生たちの姿です。でも私にとって、大好きな親友に特別な理由もなく会える毎日というのは、なによりも尊いものなのです。

 そんなことを思いながら、私は小さな宝石を抱くように、胸の真ん中に手を当てました。


「……で、わざわざ日曜に呼び出して、なんの用?」


 二人きりになってしばらく経ってから、渡くんが尋ねました。


「用事は、だいたい済ませましたよ。今回の件で迷惑や心配をかけた人々に、直接会いに行ってお詫びとお礼を伝えること。それが目的です」

「それだけかよ。まめな人だなあ、和泉さんは」

「提案したのは、こっちの私なのです」

「こっちとかそっちとか、いい加減にしてくれ。もう脳味噌がちぎれそうだよ」


 渡くんは溜息をついて、椅子に背中を預けました。そしてたった今その存在を初めて認識したみたいに、テーブルの上のスコーンを手に取りました。


「……和泉さんに聞きたいことが、いっぱいあるなあ。あの日、僕たちと別れてから、君はいったいどんな冒険を繰り広げたのか……。財前ざいぜんさんの身体でどこに行ってたんだ? ていうか、どうやって日向太ニキと知り合った? そもそもなんで猫の中にいたの?」


 質問を浴びせるだけ浴びせると、渡くんはスコーンをひとつ丸ごと頬張り、人生の来し方行く末を思うかのように目を細めました。頬と鼻を思いっきり膨らませて口をもぐもぐさせながら遠い目をしているので、いつにも増して間抜けに見えます。


「私も、渡くんに話したいことが、たくさんありますよ」


 私は微笑みながら、潤ったグラスを両手で包み込んで、渡くんの瞳をまっすぐに見つめました。この時の私たちは、まるで――




 おっと。

 私としたことが、余計なことまでぺらぺらと喋りすぎました。


 このあと私と渡くんはもう少しだけ会話をして、その結果私たちの関係性にちょっとした変化がもたらされたのだけれど、詳細は、あえてご想像にお任せします。

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